優しい世界っていいですよね

「誰も傷つかずに、それぞれが認め合って自分の幸せを感じられる優しい世界」って良くないですか?


のっけから理想論的な言い方になっちゃいましたけど。

こんな言い方して、かなり恣意的じゃないかなとか、「知らないうちに誰かを傷つけてしまうこともあるんじゃないかな」とか心配になることもないわけじゃないし。


じゃあ、せめて自分だったらどうしたいかな、何ができそうかなって考えてみたときに、
目の前の人に変に執着せずに寛容になることかなって思ったんです。

正直、誰かを見て即座に「あぁもう何か無理!許せない!」って思ってしまう自分もいます。
でも、だからといってその誰か自身(もしくは自分自身)が一方的に悪いとは限りません。
お互いが何らかの形で関わり合って初めて相性とかがわかってくると思うから、もし相性良くなかったら「まあそんな人もいる」って理解してそっと距離を置けばいいだけだと私は思います。(「いいだけだ」って言い方しちゃったけど実際難しいときだってあるよね)


で、ここからが本当に言いたいことで。

どうしても許せない他人がいるのはしょうがないにしても、やっぱり寛容でありたいと思ったら、まずは自分を許してあげるのがいいのかなって思うんですよ。

「は?私が悪いってか!?!?」って思ったらごめんなさい。
そうじゃないんです。自分で自分のことをどう思ってるかってことなんです。

人の振り見て我が振り直せじゃないですけど、自分の中の許せない部分(コンプレックスとか)までも理解して許せるようになったら、おのずと他人にも寛容になれるような気がします。

「自分に厳しく他人に優しく」ってよく言うけど、本当に優しい世界がいいんだったら、基本的に自分にも他人にも優しくありたいなって思いました。(本当にダメなことはダメって言い合えるのももちろん大事だけど。てかむしろそういうのが優しいってことなのかな…?)


あと、こんなことを言われるかもしれません。

「他人を許すって、自分が許してもらいたいだけでしょ?」
「本当は自分が優しくしてもらいたいんでしょ?」

…めちゃくちゃざっくり言ってしまうと、
おっしゃる通りです!

だからこそ、まず自分で自分を許すんです。
自分で自分に優しくしてあげるんです。

これは私の場合なんですけど、意味もなく誰かと比べてしまったり、失敗とか不安に見舞われ
たり、「こうじゃないといけない」って自らを縛ったりしてきた自分と一旦向き合って、「大丈夫」だの「よくがんばった」だの言ってやったりしてると、少〜しだけ気分が良くなります。(絶対とは限らないけど)

これやってると、あるときその良さげな気分(エネルギー)を誰かに与えたくなるんですよ。自分でも不思議なんですけど。

「他人に優しくして自分も許してもらう」じゃなくて、「自分を許してると自然に他人にも優しくしたくなる」ってことですね。(無条件に他人に優しくできる人もいるかもしれないけどね。もうそこに楽しさを感じてる人とか)


こういう良さげなエネルギーの人たちが集まったら、悪い方向にこじれることもなく良さげなコミュニケーションができるかなって思ったんです。

「それいいね!」「ありがとう!」おわり

「それもいいけど、私はちょっとこうした方がいいと思った!」「あ、そうだね、ごめんね!」「ううん、大丈夫だよ!」おわり

「今日も推しが可愛い」「それな」おわり

…みたいな。(最後のはちょっと違うかw)


優しくて平和な世界つくりたいなー…。


身も蓋もない言い方かもしれないけど、この記事書いてる時点で私には「優しくない世界」が見えてしまってたってことなのかもしれませんね…。

けど私よ無駄に案ずるなかれ、気づいてないだけで実はもうすでに「優しくて平和な世界」はすぐ近くにある(もしくはつくれてる)のかもしれません。だとしたらそういう身近なものから気づいて大切にしたいですね。

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