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小学生の好奇心

小学生って良くも悪くも影響されやすいから、先生とか周りの人間が褒めて信じて情報を与えてたくさん刺激すればとんでもなく成長するし、努力を努力と思わないでのめり込んで楽しむんだなと今日の教職の授業を受けてて感じた。
(リアぺ????????)



自分が小学生の時は、毎日日記と家庭学習ノートを提出していた。
毎日やるって結構すごいと思う。
学年✖️10分➕10分 が家庭学習の目安だったから、小6だったら70分やるのが求められていた。これに加えてノートいっぱいに日記を書いていたから、普通にすごいよね。中学生とかよりもちゃんとやっていたかもしれない。


勉強の開始時間と終わりの時間も「18:24〜19:55」みたいな感じで明記してたから、細かい時間でも積み重なれば結構な時間になるんだな、って感動した覚えがある。


でも日記ってなんの役に立っていたんだろう。
何かトラブルがあった時には事細かに誰がどうしてそうなったみたいな、告げ口遺体な役割を担ってた時もあるし、好きな人ができた時にはなんとなくその人のことを書いていたし、家族での思い出も書いていた。

これって先生が把握しておきたいだけだったのかな。
毎日自分の言葉で文章を書くって、確かに気持ちを整理したり漢字とか語彙が増える点でいい面もあるけれど、私たちの日記には評価がつけられていた。


Bとかもらったことがないからあったのかは不明だが、A 、A⚪︎、AA、AA⚪︎、、Sって感じで日記に対してもなんらかの基準を持って先生は日記を読んでいた。
なんとなく長く書けばAAとかで、たまにSも貰った。
クラスのことに対して、自分の芯を持って相手を思いやり努力を続けみんなと仲良くすること(要約)が先生が求める理想の生徒、学級であり、確かにこの思想があればうまくいくな、と12歳の私はなんやかんや感化され、実現しようと頑張っていた。


この先生はとても面白いし、話もわかりやすいし、真面目な人も置いていかずに学級づくりをする、いわゆる当たりの先生だったと思う。
当時から講演会の講師をやったり、とても熱心に教育に携わっていた印象がある。
今でも講師は続けているようで、本当に「教師」だと思う。



しかし、今思うと、なんか嫌なこともあったかも。
日記の題名が「恋文」と指定された時、無邪気な私は本当に好きな人のことを書いたけど、これって普通に先生が児童の恋愛事情を知りたいだけだったよね??!
普通に恥ずかしいからその先生にそれを押し付けているのかもだけど、あんまり題材としてふさわしくないよね?

別に仮想のものでもいいと思うけど、なんとなく12歳って、
ちょっと恋とかしてるじゃん。
書いちゃうじゃん、そりゃ。。



あとお腹。
その先生は少し太っていて、みんなにパンダと言われていた。
休み時間とか、帰るときにみんなは先生のお腹をさすりながらお喋りをしたり、「さようなら〜」と言っていた。

自分はシャイな子供だったし、触りたいという気持ちにもならなかったから、どんな時でも触らずにコミュニケーションを交わしていた。(当たり前ワラ)


でもある時、日記のコメントにAAとともに、「夏休みまでにお腹を触りにくること♡」とあった。


えっ、これって義務?

なんで?と思った。普通に気持ち悪いなと思った。
なんか、自分のお腹を、コミュニケーションのツールとして受容しているんだなと感じた。


自分が他の女子みたいに腕にぶら下がったり、体型について茶化したり、相談とかにいかないタイプだから、俺のお腹を触ることから始めようってことか?
なんかモヤモヤした。


元気で強気な女子の輪の中で、しょうがなくみんなの手の上に自分の手も重ねた。
まあ想像通りのお腹。

なに?だからなに?



わかんないよーーーーーー・・・・


あんなに優れた教育者なのに、ちょっと変・・・・・・・。


嫌なことを思い出してしまったな。


皆様に申し上げたいのは、子供は案外いろんなことを覚えているよということであります。いろんな言葉で操ることもできるけれど、仲良くなることもできるけれど、、子供は意外と大人に線引きをしています。怒られないように、失礼なことを言わないように、顔色を伺いながら、ちゃんと見ています。

当時はいいと思っていたことでも時が経つにつれて、アレっ?となることだって、大人になってからもあるよね。


できるだけ誠実に、自分の芯を持って相手を思いやり努力を続けみんなと仲良くすることが大事だと思うよ。


あ、、、、、、、

S




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