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私、こういう人になりたいです。 [Footwork & Network vol.26]

 子どものとき、「私、◯◯になりたいです!」って発表する時間がありました。その頃の私は、アナウンサーとかアイドルとかになりたかったと発表した気がします。キラキラした姿が羨ましく、そのようなかっこいい、ステキな人になりたいと思ったかもしれません。どんどん大人になりながら、何かになりたいと思うことが少なくなったと思います。

 それからどこかで夢は名詞ではなく、文章になる方がいいと聞いたことがあります。夢が名詞ではなく、文章であることがいいというのはなんでしょうか。だが、この次から登場するみかちゃんかよさんに出会って、私は文章となる夢とは何かを気づきました。


みかちゃんの今まで。

 分身ロボットカフェの一員として働き1年半、みかちゃんと私がお話するようになったきっかけは、くまちゃんの絵でした。いつもみかちゃんのプレゼンターにはかわいいくまちゃんがいます。”え!めっちゃかわいいくまちゃんですね!”って声をかけたとき、みかちゃんは”ありがとう!この絵、私右の人差し指で書いた絵だよ!”って言ってくれたことから、次の出勤日や私の誕生日にみかちゃんはかわしいくまちゃんの絵を送ってくれたりしました。その後、みかちゃんは”私、足で絵書いてみた!”って言ってくれたことから、みかちゃんのことが気になり始めました。電話越しのみかちゃんは明るく、安心する声で、私はその声からみかちゃんのいろんな話を聞くことができました。

 みかちゃんは、自分が置かれた場所でチャレンジすることが面白くなり、11年間働いた銀行を辞めて、バリスタに挑戦したと言いました。ママ同士でおしゃべりしながら、子どもを面倒を見ながら、みんなで楽しむカフェがやりたいという夢を持って、バリスタを目指したみかちゃんでした。それは珈琲屋で働いて5年目、社内コンテストで1位になり全国に向けてチャレンジしていたみかちゃんは、どんどん病気の症状が出てきたらしいです。お仕事をする上での制限が多くなり、たくさんの夢がこもってた珈琲屋でのお仕事をやめることに。みかちゃんは自分の病(ALS)を難病中の難病で、ゆっくりと体のスイッチが消される病って表現しました。その病になってみかちゃんは、”ごめんね、ありがとう”を言うばかりの、助けてもらうばかりの自分が嫌いになったそうです。その時期をみかちゃんのいろんな方のサポートも加え、ALSに興味深いオリィさんのSNSを見かけ、パイロットになることを決めました。


みかちゃんが右手の人差し指で描いたイラスト

 消しゴムに名前ハンコを作るとか、絵を描くなど、手先を使うことが好きだったみかちゃんは、ALSになり、細かい作業ができなくなりました。だが、みかちゃんはオリィさんの視線入力を使って絵を書いた方の絵を見て、なにかのせいにしてる自分がいることに気づいたそうです。それから、描く道具を筆に変え、また携帯に変えて、右手の人差し指で絵を描くようになりました。また、みかちゃんは、右手だけではなく、足の親指でも絵を描き初めています。チャレンジをするのが大好きなみかちゃんは、自分の体が変わって行くなかで、自分が好きなことができるように新しい道を探していたのです。私は話を聞き、みかちゃんはみかちゃん自身をどんどん乗り越えている最中だと思い、そのみかちゃんを応援したくなりました。

かよさんは。

 私がWheelogを知るようになったのは、2022年の11月、分身ロボットカフェDAWNでWheelogのイベントをやっていた時でした。いつもDAWNでパイロットさんとお客様の繋がりを作ってくれるかよさんがWheelogのイベントの準備している姿を見ました。かよさんは分身ロボットカフェDAWNでも働く同時に、Wheelogの運営陣だったのです。Wheelogに興味深いっていう話をかよさんにしたら、街歩きに関する情報を教えてくれました。その後、私は町田で行われた街歩きに参加しました。初めて参加した街歩きは知らないことがたくさんで、車椅子ユーザーの生活がわかった初めての日でした。かよさんは、私のような「街歩きをすることで、車椅子の方と接し合う機会ができ、今まで知らなかったことに気づく」ことができる場を作ろうとしています。それだけではなく、かよさんは街歩きを通して「車椅子ユーザーの方々が外に出れる機会」を作っていきたいと思っています。

町田での街歩きに参加した時の写真

 かよさんは2018年にWheelogを知るようになったらしいです。Wheelogの代表理事である友理子さんと関わりが多いオリィさんがWheelogのイベントなどに参加したとき、かよさんもWheelogの街歩きにどんどん参加するようになったのがその始まりでした。そのあと、横浜に住んでいるかよさんは、友理子さんに「もし、横浜で街歩きをすることになったら、手伝いますよ!」って声をかけ、横浜での街歩きを準備していた時には、かよさんもWheelogの運営陣側になりました。横浜での街歩きは70人以上で行ったりしましたが、いろんな活動が始まるごろコロナ禍になり、大人数の街歩きは難しくなりました。しかし、コロナ禍でもみんなの関わりを続けて行きたいという気持ちでオンライン座談会や、近く住んでいる人たち同士街歩きができるように繋ぐなどのこともやっていたらしいです。それだけではなく、かよさんはWheelogの関わりからコロナ禍になる直前、観光庁からの依頼で、オリンピック・パラリンピックのバリアフリー飲食店ガイドーを作成したらしいです。

 かよさんは現状者の自分が車椅子ユーザーのために何ができるのかをはっきりして、コロナ禍での活動を考えたり、オリンピック・パラリンピックのバリアフリー飲食店ガイドーを作ったりしたのです。パイロットさんと近いかよさんだし、友だちでも車いすユーザーさんがいるかよさんは、その大切な人のために自分ができることをやってたと思いました。現状者だが自分と近い車いすユーザーのために、または近いところに車いすユーザーいなくても関わりを増やしていたり、自分でできることをやっているかよさんのような人も応援したくなり、私も自分ができることをやれたらと思いました。

私、こういう人になりたいです。

 人って人生の一回は自分が乗り越えられないような壁に直面する時がきます。何かの壁にぶつかった時、自分ができることを模索し、壁を乗り越えられるはしごを見つけられた人は、まさにみかちゃんではないかと思います。何かの壁にぶつかった時に、その壁を避けたり、遠回りしていこうと思うかもしれないのにです。そのような壁を自分で乗り越えたみかちゃんをみたら、私も高い壁を乗り越えられる壁より高いはしごを作れられる人になりたいと思いました。

 高い壁を乗り越えられるような高いはしごを作るのはなかなか難しいことでしょう。そのはしごを作る時に、横でサポートできることはすごく重要だと思いました。かよさんってそのサポートをしてきた人、誰かがはしごを作るとき、ねじとかハンマーを隣で渡せられる人ではないかと思います。自分ができることをやるが、その方向は、車いすユーザーを向いてました。今までそうしてきたように、またこれからも続けていくかよさんのように、パイロットさんの、また車いすユーザーの方のサポートする人になりたいと思います。

 私、自分が直面した壁を乗り越えられる高いはしごを作る人である同時に、車いすユーザーがはしごを作れる場所を提供したり、ねじを渡せたりできる人にもなりたいのです。

 みかちゃんと、私が働いている分身ロボットカフェDAWNに関して詳しく知りたい方は、以下のウェブサイトを見てください。

 Wheelogの車いす街歩きに関して興味がある方は、以下のウェブサイトからいろんな情報を得られます。


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