【For Youth】共感のその先【脳みそダイレクトわし摑み選手権】
ずっと自分だけが心の中で思っていたことを誰かが言葉にしてくれて、すごく嬉しかったことってありませんか?
言葉にならない感覚を人が言ってくれて「あーそれそれ!」とかも
アーティストや作品ってその役割をすることも多いのかなと思いますし、それが自分の友達やパートナーが言うと「この人とは似た感覚なんだな」と思って安心を覚えます
精神的な単純接触効果みたいな
その共感が安心になる時もあれば
ほとんどが安心なんですが
この共感はしたくなかったなと思うこともあって
今日はその話をします
ちなみに「あー!それそれ!言葉にできなかったけどその感覚!」は、私が普段言われるタイプなので自分が言うことはまぁ珍しいです
珍しいっていうか無いか
今回もそれではないな
またおまえかキムナムジュン
おまえって呼んてサーセン
でもこれ、「きみ」とかだと合わないんで
意図が伝わらない人もいるので先に言っときます
時に、この世はそのための補足地獄にまみれている
だる
For Youthの訳をしっかり読んだ時にびっくりしました
元々「なんか妙にDNAレベルでこの曲を欲するなぁ」と思っていて、いつもとりあえず最初は訳なしで聴いて、その後慣れてから訳を見ます
他にも強く思ったことはありましたが今日は置いといて、我らがキムナムジュンのリリックを読んで「そうかぁ、きみはこの気持ちがわかってしまうのかぁ…うーーーーん、そっかぁ」と、共感のその先のような感覚に陥りました
特定の人しか思わないこれ
これはもう全て一言一句同じことを言い表していて、更に私が思っていた頃もナムジュンと同じ年頃だったのも手伝って、脳みそをダイレクトに触られている気分になりました。
例えば触ったもの、香ったものとかって一度手先から神経を通じて脳に届けますけど、今回はその時差とかももっと短くて、直接脳みそを触られているような、もっと生々しくて、もっとグロテスクな感覚です。
テレビで見るニュースと現場で目の前で見てるようなラグや感覚ですかね
この言葉にすべて集約されているから説明を聞く必要もないんですよね
「なんでこれを書いたの?」「その意図は?」とか聞くのも必要ないかんじ
ついでに時間を経てFor Youthに入れた意味すら聞く必要がないような
そんな気分でした
詳細は知らん
思ってしまったあの言葉がすべて
理由を理解しているから聞く必要がないではなくて、結果、そう思った結論のあの言葉が全てを表しすぎているのでそのプロセス=理由は二の次なんです
そのことについて特に聞きたいとか知りたいもなくて、「あれ、思っちゃったんだねぇ笑」と笑い合いたい気分になりました
詳細を言えないから作品にするわけで、今回に関してはあまり言葉にも思考したくもない話です
ただ「よくリリックにしたなほんとに」と驚きました
潜在意識と顕在意識
無意識と有意識
当たり前すぎてわざわざ言葉にしない部分と
強く思い過ぎて言葉にしない部分
つまり人が聴いたらどう思うかとか
色々慮って
人は口を閉ざすと思うですねぇ
今回はその全部でした
沢山説明ができる人はわざとしないことを選ぶことも多い気がするんです
相手の理解度もなんとなくわかってるから、誤解されるだろうなと思ったりもしますし、誤解されることを繰り返していると「どうせわかんないだろうからめんどくさいからなんも言わない」を選びがちです
それらを全てわかった上で、こういった表現をする勇気や、人を諦めてない愛情というか
私も諦めてないタイプですが、あそこまで諦めないのはできません
そう思うとやはりアーティストというのは潜在意識と顕在意識の、みんな思ってるけど敢えて言わない、みたいな部分を突いた人の勝利なんだろなとか思います
友達と話していましたけどある意味大喜利なんですよね
あるあるが受けるのもそのメカニズムな気がしている
必要ない共感
私は感情の共感より思考の共感が強いんですね
なので悲しい過去の話も「えー辛かったねぇ」よりも「私がかつて思ったあんな辛い気持ち/言葉なんて知らないでいて欲しかった」と思います
ナムジュンに関しては本当にこれでした
そんな気持ち、知らないでいてよ
もっと能天気に生きていてよ
もっと無責任に
もっとあざとく、怠惰に
でもそうしないきみだから私が好きになったんだろうなぁとも思いますけども
これは端々でバンタン全員に思いますね
だから好きなんだけど、そんなしんどい気持ち知らないでいてよ、もあります
共感できない部分
昔からナムジュンが絵画を好きなことが理解できないです
それが最高ですね
どちらかと言うと私は絵を描く方、作る方なのでそれで「じゃあ音楽を本格的に聴こう!」とはならないんでその違いがまたリアルで良いです
音楽は昔、本気でやってたのもあるのかな…
他人の作品にあまり興味がなかったのでそこはナムジュンを通して感じて、最近反省しています
いや、他人の思考にも興味ないのかも
認めたくはないが
自分を守ってくれたり癒してくれたり、はたまた鼓舞してくれたり、そのためにアートがあるという側面もあります
その場合はまさに共感のためで、アーティストはそれを言語化したり視覚化して、受け取り側は自分のアンテナに、言語化視覚化はできなくても感覚で感じて共感、共鳴して、それが「推し」になるんだと思います
その共感具合が多面的に深ければ深いほど、愛情も深くなるんだろうなぁと思ったわけです
私からするとバンタンは「推し」ではなく、人生を並走するパートナーみたいな感覚ですが、ARMYヨロブンはそういう人が多い気がしますね
その愛し方も楽しみ方も人それぞれだから、とにかく私の愛するバンタンが、もっと愛されたらいいなと思います
なぜならそう思わせてくれたのが、愛するという感覚を教えてくれたのがバンタンだから、返すだけだな、と
返報性の法則
また小難しいこと言っておわり
そっか、共感のその先って、愛なんだわね
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