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語られない物語があるということ『秒速5センチメートル』

映像で表現できることと、文章で表現できることは違う。表現としては映像(と音楽)の方が手っ取り早いことも多いけれど、映像なんかは必要としない心情、というものもある。本書を執筆する作業は、そういうことを考えさせてくれる刺激的な経験でもあった。これから先もきっと、僕は映像を作ったりそれが物足りなくて文章を書いたり、あるいはその逆をしたり、はたまた文章的な映像を作ったりということを、繰り返していくのだと思う。

『小説 秒速5センチメートル』あとがき

『小説 秒速5センチメートル』を読んでいた。『秒速5センチメートル』の映画を数年前に観ていたぼくにとって、その小説の物語は目新しくもなんともないはずだった。映像で語られた物語が言葉によって再び紡がれるとき、その物語がまったく異なる姿で我々の前に立ち現れる。映像や音では誰にも語られない、語りえない物語の断片が言葉によって姿を現す。その意味で『秒速5センチメートル』の映画と小説は密接不可分の関係にあったように思う。

『秒速5センチメートル』は主人公、遠野貴樹をめぐる物語の三編である。

第一話「桜花抄」
篠原明里が貴樹の通う小学校に転校してくるシーンから始まる。転校という共通点を持つ彼らは自然と惹かれ合い、ふたりだけの小さな関係はより強固なものとなっていく。中学校への進学と同時に明里は転校してしまうが、ふたりの関係は文通によって保たれ、やがて彼らは1年ぶりに明里の地元で再開する。明里は貴樹を待ち続け、雪が降りしきる中、納屋でふたりだけの時間を過ごしたのだった。


第二話「コスモナウト」
中学1年生の終わり、貴樹は東京から種子島へと転校する。澄田花苗は転校してきた貴樹に恋心を抱き、ふたりは同じ高校へと進学する。そしてついに香苗は貴樹への告白を決意し、その日ふたりは一緒に歩いて帰っていた。しかし、黙って別の方向を向く貴樹の視線は香苗に告白の言葉を言わせなかった。

第三話「秒速5センチメートル」
あれから時間が経ち、貴樹は社会人になる。それまで彼は3人の女性と交際したものの、結局彼は彼女らと心を通わせることはなかった。仕事での理不尽な要求、酒浸りの毎日、日に日に増える煙草。彼は結局仕事を辞めた。
最後の仕事を終えて深夜に帰宅する中、貴樹はこの十年を振り返る。人を傷つけ、自分自身さえもすり減らしてきた。そして零れ落ちる涙の中、ある思いがこみ上げてくる。「たったひとりきりでいい、なぜ俺は、誰かをすこしだけでも幸せに近づけることができなかったんだろう。」

そんなことはない。明里は15年前の、まだ13歳になったばかりのときの思い出をまるで昨日のことのように大切なものとして心の奥にとどめている。あの遠い日の思い出は彼女の心の一部としていまもあり続けている。それは彼女の脳裏にしか無い、誰にも語ることのない物語なのだ。きっとこれからも、遠野貴樹は彼女の追憶の中で生き続ける。

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