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この世も人も皆イビツだ。

家の幼なじみの家はどうも複雑だ。
夫婦間での会話が無いそうで、子どもたちは少しバラバラになっている。良くなる施しがなくて二人の仲は縮まる事はない。でも家族間で大きな問題があれば家族がかっちりと団結して問題を解決していく。

そんな幼なじみの下の娘は、家の親父と母親の仲を羨ましがる。「うちもこんなに仲が良ければ良かったのに」
そんな事をおばさんに話していたそうで、母親はその事を僕に話した。

家だってそうではなかった。
いや厳密に言えば仲は良かったと思う。自営業で二人で頑張ってきたし、親が冷戦状態でピリピリしていた事は皆無だった。だけど度重なる親父の行動の不清潔さは時に母親の気持ちを大きく萎えさせていたのは事実。傍から見ていた僕にとってあれほど不安定に感じた事はなかった。

世の中にはまっすぐ綺麗な道も愛もない。
大きく屈折しては枝分かれして、それでもお互いが見えないふりをしてどうにかくっついていることなんてゴマンとある。隣の芝は青く見えるように世の中なんてものはそういう愛で溢れているんだと思う。

車で街道を走っていると綺麗な外装の家が立ち並んでいる。真新しい外壁とおしゃれな外装。外から見れば幸せな家庭に見えるだろう?いつか家庭を持って夢のマイホームを持ちたいと思うのは自然だ。
でもその家の家族の仲が必ずしも幸せだとは限らない…。そういうものだ。

時に愛というのは歪んでいることもある。
その歪みがお互いをどうにか食いつなげている事もある。
誰にでも一つや二つ位は人に言えない事情なんてあるもの。現に家の家庭の過去を誰かに話した所で絶対に貴方の家庭にはありえない事だなんて言われるだろう。

でも現実なんてものは綺麗事では済まされない。表も裏も綺麗な世界が広がっているとは限らない。

表を見すぎても理想が高すぎちゃうし、裏を見すぎたら斜に構えてしまう。

人間と言う生き物は本当に不安定で不器用な生き物だよなって僕は思う。全てを知っておきながら知らないフリをし続ける。大丈夫そうな顔をしながら辛さを一人で抱え続ける。人はそうしながらも平穏を保っているのだろうか?腫れ物を長い髪で必死に隠しながら笑っている様な、そんな不安定さがある様に思える。

現在の世の中なんてものは全てテクノロジーがなんとかしてくれる。スマホが全ての答えを返してくれる。なんでも自分の親代わりにスマホはまるで召使いのようにあれやこれやとアクセクしてくれる。文句も一つ言わない。
だから人はこんなにもスマホを愛するのだろう。なんでもやってくれて、答えは必ず明確にしてくれて、電源が続く限り朝だろうが夜だろうが文句も言わない。


人に会って人の目を覗き込んだ所で全てが見える理由じゃない。一生懸命表情を取り繕って嘘を隠しながら笑うことも人には容易い事だろう。人はそれぞれ闇を抱えながらその闇を光に変えてなんとか一日を生きている様にも見える。それが機械との大きな違い。人間なんて額面上でどうこう言える程単純ではないのだろうな。

幸せそうに見える人を眺めてその人達を羨む。自分はこんなに惨めなのにあんなに笑っていると。その笑顔が昨日までは涙であったとも知らずに人は目に入ったものしか理解しようとしない。でもそれを身勝手だと片づけるけど僕は少し違うと思う。

人の心なんて複雑だ。何処までもグネグネとうねっている。グネグネと絡まって大きなだまになった時にそれが綺麗な球体に見えたりもする。それが堅実に見えたり、正常に見えたりもする。でもそれらはずっとまっすぐ一直線にはならない。ずーっと絡まったままになったっきり。

親父の秘密を母親は抱え続け、僕は見えないふりをして、妹は事実を知らなかった。その光景を傍から見ればとても堅実で問題がない家族に見えちゃうんだよね。
でもそうだ、人生なんてそういうものでしょ?誰もそこには踏み込む事が出来ないし、変える事も出来ない。
時にはその絡みに触れないほうが幸せなこともある。それで平穏を保てる事なんて沢山ある事に気がつく。


だから要は人って常にイレギュラーなんだよね。人生なんてとっても歪でとっても複雑。歪だからこそ歪な心同士がピタッとハマるんじゃないかなとも思える。
パズルのピースがあれだけ歪な形をしている様に、歪な物に惹かれ合って、歪んだところを敢えて見ないように共に歩んでいる。

家の母は強く見えて脆かった。脆いから敢えて歪な部分を見えない様に生きてきた。小さい時から見えていたからわかるが。世の中の人は皆顔で笑いながら何かに耐えているものだと思ったから、おかげさまで人との距離感という物を学べたと思う。


人は何処か不安定で不完全。それを敢えて触れないで見えない様にする事も愛なのだろう。時には何も言わずただ近くに座っているだけでも良い時もある。視界に少し入る距離で黙っている事が相手にとって幸せになる事もある。


時にそれがすっごく煩わしく感じるし、人間なんてやめちまえばさぞ楽になれるだろうなんて思うこともある。
それと同時に人間で良かったって感動する事もある。人間でなきゃ体験出来ない事もあるんだなって。


キャバクラ通いの知り合いは毎回大金を握って店に出向く。「どうせ相手なんて鴨がネギ背負って来る両客だとしか思ってないんだから、いい加減そんな所へ行かなきゃ良いのに」って言うと。

「そんなの百も承知だよ。そんな裏事情なんて全て知った上で楽しんでんの!」って毎回スキップをしながら店に行ってしまう。


ヤレヤレ。でもまぁそんなのものだよな。結局楽しければ良いんだ。知らなくても良いことなんて触れない事に越したことはない。知らないフリをしている方が幸せな事ばかりだもんな…。


幼なじみのおばちゃんは電話かけてくるとしょっちゅう旦那との話題で持ち切りらしい。母はもうアレコレ言うことも無くなった。口ではああ言いながらお互いなんとかやっているのだからと。あーだこーだ言いながら結局今まで続いているんだから大丈夫だろうと…。
多分お互いの人間性を知っているからこそ、敢えてそこには深追いしていかない。きっとその状態だからこそ繋がっている何かがあって、それがお互い心地が良いとも言えるだろうと。


人なんていつも秘密ばかり、墓場までその呪縛を負い続ける事もある。お腹の中にひっそりと隠しておいて鍵をかけて、今もこの時を楽しんで笑っている。そんな脆さも危うさも歪さも人間という生き物の良さなのだろうな…。


もうそれでいいや。
深く考えるのはしない。
結局人生なんて楽しんじまえば勝ちなんだから。目を瞑る所は目を瞑って例え表面的であってもそれを楽しめば良いじゃんって考えに至ればそれほど楽な事はないんだよな。


結局自分と同じように相手もイビツだから
自分だけを責めるなんてそんな無駄な事はないって事だろうね。


ちょっと早めの昼ごはん、食べたうどんが美味しかった。
あー夏だなと思いながら外を見ると水溜りから跳ねた水にキャーキャーいう若い夫婦が見えた。


隣の芝は青く見えるか…。


僕はまだ暫くここに居たいので好きでもない和菓子を頼んだ。


たまには良いかな?無性に喉ばかり渇くけれど…


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