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人は人。自分は自分。人が何をしていようが何を考えていようが結局はその人の課題である

あなたのためにとか、人の行動にどうこう考える
家族や近い人間あらば尚更だ
ただその人が何をしたいのか?何をしているのかなんて言うことは他人にとって何の問題もないはず。
結局はやるやらない。行動する行動しないという個人の選択をあたかも常識論でどうこうしようなんて考えははっきりと言ってナンセンスだと僕は考える。

それこそ大手企業に勤めていようが、俳優だろうが、医者だろうが、貧乏だろうが、世捨て人だろうが結局は同じである。物質的に豊かあろうが本質的には何一つ変わらない。結局は人間であって飯を食べなきゃ弱るし怪我もするし病気もする。

それにあれこれ他人が他人の行動や立場や未来などをアレコレ言うこと言うことは回り回って自分の心配なんだろうなと僕は思う。
いい学校に行った、いいところに勤めたそんな子供が誇らしいのも、そんな子供を持つ自分が誇らしくて、自分の育て方の賜物だと言いたい。

どんな学校に行っても、どんなところに勤めても、何をしても、何をしなくても人は人であってその人がそれぞれ進むべき道を進んでいるだけ。

自分の家族のせいで友達に言えないとか
自分のせいで周り迷惑をかけていると考えがちなんだけど、そんなの別に考える必要性は0であると思う。
僕は別に家族がそれぞれ何をしていようが、親しい仲間がどんな人生を歩んでいてもそれでいいと思う。
だってそういう決断をしたのは自分であり、全てが正しい道を進んでいるだけだからだ、それを恥ずかしいから人に言えないからと当事者を責めるのはどうなのだろう?
恥ずかしいのは自分であり、当の本人は恥ずかしいと思っていないならばそれでいいのではないか?


人は人、自分は自分
それ以上でもそれ以下でもない
ただ人をぞんざいにはしない大切に出来る。
人としての思いやりを持てるそれを持っているならば、個人の行動など自由ななんだと僕は思う。

誰に迷惑をかけているわけでもない
誰かの人生を潰しているわけでもない
それならば何をしていようが何をしようとしようが全然オッケーであり、横からチクチクすること自体逆に有害である。それこそ言われている人以上に害悪だと僕は思う。

そういう事を毎回言ってくる人の特徴は
なにかの形に物事をはめていないと安心しない人だと思う
〇〇でなければいけない、〇〇までにここまでやっておかないといけない。ある意味そういった明確な枠がある以上生きやすいとは思う。ただなにか形がないものを表現したい、作り出したい、もしくは世間とは全く真逆の考えを持つ、それを実行するというのは。並大抵のものじゃないと僕は思っている。

人々がレールの上に走る電車に乗っているのを尻目に別の道を作り出して行くようなもの。
これからの時代というのはそういった型から離れていく
多種多様な生き方や、物の考え方というのがとても重要であると思う。どんな事を仕事にしていようがそれが天職になるはずだし、例え雑用だと罵られたとしても一生懸命やっているならばそれは素晴らしい職である
これから何をしても良い、何を考えても良いという時代に
あえて型にはめ込もうとする様な発言は正しい事も多いだろうけど、だからといって個人の考えを曲げる力はないと思う。

人は人という考えは一見非常に冷たい表現にみえるが
人は人だから個人個人がどんな生き方を選んでもいいですよ、何をしたってその人の勝手なんですよってポジティブな意味だと思う。

だから別に親戚が暴力団に入ろうが
半グレで活動してようがその人の勝手
プー太郎でいたとしてもその人の勝手
ある意味そういう時期でしか経験できないものがあるから
その人はその道を選んだ、そしてそれに取り巻く人達はその人と触れ合う事でそういう経験出来るという事。

恥ずかしいから、惨めだから、家族だから、恋人だから、友人だからと確かに心配になるけれど
その人がそう生きようと思ったのならば、もうその人の人生でありストーリーである。正しいも間違いもなくて
全てがそういう物なんだと思うしかない。

そうやって様々な波動というものが世の中に溢れている以上。この地球という惑星がすべてを許容している。
変な話魂の高い低い等の問題ではなく、波動の高い低いではなく。全ての人間が全ての生き方を選んで地球に生息しているだけで、働いてるから偉い、働いていないから駄目。お金を持っているから価値がある、貧乏だから価値がないという考えは少し違うのではないのかな?って僕は思っている。


何があっても素晴らしい
誰が何をしていても良い
それが地球であり、世の中である。


そして今日もこんなに外晴れている
外にいる人も家にいる人も外の明るさを感じることができる。もはやそれだけで良いのである。
それに上も下も、価値がある無いもない
年齢がどうとか、遅いとか早いとかもない

そんな固定概念という枠はとっくに捨てられています。
何が起きてもそれが人生なんですよ。

人は人、人は人として産まれて人生を歩む
それが人として産まれた意味。
どんな人生も台本のままに仕事をきっちりとこなしている。なので自分の行動や立場を恥じる必要性は


200%ありませんよって事。

たとえ何が起きても今世が上手くいかなきゃ
来世へとシフトする。
「なーんだ。じゃあ駄目になってもいいじゃんか」
「死ぬほど怖かったけど、別に次に頑張ればいいんだ」
「なんだそれならば今やりたいことを楽しんでいよう」


それが5次元的考え。
3次元的な考えも悪いことじゃない
全ては段階を踏んでいる


そう全てはパーフェクト


それが絶対的な答えである!


よーーし身体が軽くなってきた?
身体の中が熱くなってブワーッとみなぎって来た?
まだまだ出来そうもないけど、少し心がピキッと反応した?

うんうんオッケー
それで十分!!

そう思えた貴方は素晴らしーーーです!!
拍手喝采です!!


おめでとう!

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