小学校時代【学校での出来事や思い出】




ー小学1年ー


新しい『学校』という環境、勉強も苦手でわからないことばかり、通学するのに片道1時間も歩かないといけない、登校班の高学年の子が怖くて学校が大嫌いだった。


毎日登校の時間になると『行きたくない!』と泣いてお母さんに途中まで送ってもらっていた。


学校生活ではテストで赤点を取った日に広い教室で先生と追試の私だけしかいなかった静かな空間を今もよく覚えてる。


学校での唯一の楽しみは図工の時間だけだった。

ー小学2年ー


この時の女の担任の先生は今でも嫌い。


生徒によって態度を露骨に変える差別的な先生で、頭が悪かった自分は当然先生から嫌われて怖い顔で何度も睨まれた。



あとその頃、一部の男子にやたら意地悪をされた。


スカートの中を覗かれたり何もしてないのにいきなりお腹を何度も足で蹴られたり、近所に住んでいてる幼なじみには下校中にわざと足を引っ掛けられ転ばされたり散々だった。


特にスカートを覗かれたのが物凄くトラウマになりこの時の事がきっかけで小学校へは絶対ズボンを履いて登校するようになり、学校以外の私生活でも高校2年くらいまで制服以外でスカートを履く事はなかった。

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唯一のいい思い出は初めて友達と呼べる子ができた事。


その子(Nちゃん)は私が大好きなお婆ちゃんと同じ名字という事もあり最初から勝手に親近感があった。


仲良くなったきっかけはハッキリとは覚えてないけど、多分私が大好きなカートゥーンネットワークという番組でやってるパワーパフガールズやおくびょうなカーレッジくんをNちゃんが知っていた事で自然と話が合って仲良くなったんだと思う。


こっそり教室で『これ友達の証だからね』と私が好きな緑色のアクリルストーンをくれたのも覚えてる。


先生に見つかったら絶対怒られるのにそれでも学校に持ってきて私にくれた事がとても嬉しかった。


残念ながらその大事なアクリルストーンは中学の頃までは確かに持っていたのを覚えてるんだけど今は無くしてしまったみたい。もしかしたら引っ越しの時誤って捨ててしまったのかも…Nちゃんごめんなさい。


ー小学3年ー


学校が楽しいと思えるようになったのはこの3年生の時からだった。


一番大きかったのが妹が小学校に上がった事。


妹と通う事になるからしっかりしないとと、人見知りで弱気でウジウジとしていた性格から大きな変化があり思った事を誰にでもわりとハッキリ言えるようになりクラスメイトとも上手く付き合えるようになりはじめた。


それに妹と一緒に通学できるのが嬉しくて私はもう泣かずに登校できた。が、今度は妹が学校へ行くのを嫌がり泣いてしょっちゅう家へ一人で引き返していたな。



家でも遊べるのに学校に妹が居るのが嬉しくて長休みの時間はよく妹と遊んでいた。


妹をおんぶをして廊下を歩いたり校庭に落ちてる栗を拾ったり低学年の図書スペースへ本を借りに行ったり。


3年生の通知表に担任の先生が書いてくれてて知る事ができたんですが、当時の私は一斉下校の日に妹を教室まで迎えに行っていたみたいです。


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学校が楽しくなった理由のもうひとつが担任の先生が誰にでも平等で明るくてしかも面白かったから。


体型や雰囲気が私の大好きなお婆ちゃんに似てる(年齢は当たり前だけど全然違うけど)のもあって話しやすかったし今でも一番好きな先生です。


Nちゃんとも同じクラスだったので特に友達関係にも悩まず今まで話した事なかった子達と関わるようにもなり『○○ちゃんって面白いね!』と言われる事が嬉しかった。

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3年生の学芸会では学年全員がハチマキをし、法被をきて私の大好きな担任の先生の指揮で八木節を演奏しました。

先生の趣味なのか中々渋いチョイスだったなと今でも思うけどメロディーを覚えてるくらい小学生時代の学芸会の中でも一番印象に残っています。



ー小学4年ー


4年生の担任の先生は優しくてふんわりとした雰囲気の女の先生ですぐ好きになった。


Nちゃんとはクラスが離れてしまったけど新しいクラスで新しい友達が沢山でき充実した1年間だった。


友達同士で手紙のやりとりをし始めたのもこの頃。もらった手紙は今でも大切に持ってます。


クラスでは好きな子同士でグループを作りテーマを決めて新聞を定期的に作る活動をしていました。


私がいたグループでは犬や動物の記事を書いたりしてとても楽しかったな。


その頃ニンテンドックスにハマっていたのもあって私は大好きなビーグルの絵をよく書いていた。


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4年生のイベントで一番思い出に残っているのはマラソン大会。


運動は元々苦手で鉄棒や縄跳び、水泳、サッカーやドッチボールなど全然駄目だったけど何故か走るのだけは得意だった。


2年生は8位、3年生は7位、4年生は3位でシャトルランもクラスでは最後の方まで残れていた方だったし運動会の登校班別リレーでは班の中で何回か選ばれたりもしていた。


お父さんが昔足が速かったみたいで中学高校と陸上部だったのもあり、この頃足が速かったのは親の影響が大きかったのかもしれない。


ー小学5年生ー


5年生は野外学習という二泊三日の行事があり、そこで活動するための男女混合のグループを作らないといけなかった。



私は仲良い友達2人と組み、男子とのグループはくじ引きで決まったんだけどそれがもう最悪で今でも覚えてる。あのグループ以外ならどこでもいいと思っていたのによりによって一番一緒に行動したくないクラスで一番ノリの合わない陽キャな男子グループにあたって、うわー最悪と思った。


野外学習に向けて色々役割とか決め事をしていかないといけなかったんだけど、いちいち男子の言う事がウザくて本当に憂鬱だった。


野外学習当日の班活動の事は全く覚えてないけどなんやかんやでやり過ごす事ができたんだと思う。


女友達との自由行動は凄く楽しかった、長いローラー滑り台を3人で連結して楽しそうに滑っている写真がある。


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5年生のマラソン大会は練習期間中に酷い胃腸風邪になった事がきっかけで急に体力がなくなり10位以内にさえ入る事ができなかった。


ー小学6年ー


5年生の頃の友達とはクラスが離れたけど小4の時同じクラスだったKと私は一緒に行動するようになった。


Kは性格ちょっときついしストレートにものをいうタイプで敵を作りやすい子だった、でもそういうKと喧嘩しながらも本音でぶつかりあえるようなそれまでの友達とはちょっと違う関係だった。


友達と喧嘩した事なんてそれまで全くなかった自分だったけどKとは本当に何度も喧嘩したな、でも自然とすぐ仲直りできたし親友というよりは仲良いけど喧嘩ばかりする兄弟っぽい関係に近かった。

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そんなKとは当然修学旅行も同じ班だった。


勿論修学旅行中も何度も喧嘩して私が超不機嫌な顔して写っている写真が何枚かある(笑)


クラスで五重塔あたりを周り東大寺のあたりから班行動になり、早々に班の男子2人が迷子になったり、東大寺の中にある大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴があいた柱はすごい行列で辞めよっかとさっさと次の目的地へ行き、早めに着いたせいか人が全然居なかった『なら奈良館』というところで大仏の手のオブジェに乗って写真を撮ったり東大寺では諦めた鼻の穴の柱がそこにもあってこっちでも出来んじゃーんと皆で潜ったりした。


修学旅行の宿で食事中話が盛り上がりすぎて食べるのが遅れてクラスで京都タワーへ行く集合時間に遅刻して先生に部屋の子達皆で怒られた。


就寝前にKが変な寝言の話しをしてくれてそれが面白くて皆で真似してめちゃくちゃ笑ったりもしたな、なんやかんやで楽しい修学旅行だった。


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普段の学校生活では休み時間に席が近くて仲が良かった男友達たちとKとで消しピンをしたり社会の授業の資料集に付いてた歴史人物のトランプで大富豪をやったり充実した毎日だった。


この頃の自分は女じゃなくて男に生まれてきたかったと思っていたくらい女子っぽい事が大嫌いで全く女っ気がなくて、服装も男子のような格好ばかりしていた。


そのせいか仲のいい男子とは異性としての特別な意識は全く抱く事なく女子の友達と同じように遊べるような友達関係を築いていた。


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幼稚園からの幼なじみと同じ班になった時はよくお互い皮肉の言い合いのような口喧嘩をしていた。


私と幼なじみのその会話が同じ班の子の笑いのツボみたいで給食の時その子が笑い過ぎて鼻から牛乳を出した事があったりもしたなー。


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小学6年で一番嬉しかった事は水泳で25m泳げれた事。


私は上に書いた通り走る事以外(それも5年生で普通になってしまったけど)運動が苦手でそれまでの5年間25mを足を一度も着かずに泳げれた事がなかった。

 

でも個人のタイムを計測する日に休んでしまったため、別の日のプール授業の終盤でプールサイドで学年全員が座っている中私ともう一人の子のたった2人だけで皆の前で泳ぐ事になり、『こんな大勢の前でかっこ悪いところ見られるなんて最悪ー!!』と心で思いながら必死に泳いでたら、なんとプールの縁に手が届き気づいたら25m泳ぎきっていた。


自分でも物凄くびっくりしたけど、やれば出来るんだと分かってからその後のプール授業や水泳大会でも25m泳げれるようになった。


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卒業間際、クラスは関係なしに6年間お世話になった学校への恩返し活動をするためのグループ決めで、私はKと学校の掃除をするグループに入る予定だったのに、いざ他のクラスからも人が来てグループが集まって決定って時に土壇場になって急にやっぱり卒業アルバム?かなんかの別の係になりたいと言われ勝手に抜けて行った。


自分勝手だなと腹が立って金魚のフンのように一緒についていくのも馬鹿馬鹿しくて私はそのままのグループに残った。


そのグループは私以外他クラスの男子ばかりだったけど苦手なタイプの男子は幸いおらず、なんやかんやでそのグループで複数回あった学校内の清掃活動を終える事ができた。


後にこのグループの他クラスだった一人の男子に中学時代に自分が恋をするとはこの時の自分は微塵も思っていなかった。

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卒業式当日、絶対泣くと思ってたけど結局泣かなかった。

式の終わりがけに予定にはない先生達からのサプライズメッセージがありちょっと危なかったけどね。


小学6年を振り返って


特に後悔するような出来事も無く、好きな人も出来ず勉強も運動も苦手でクラスでも目立つタイプではなかったけど、『弱虫、泣き虫、超人見知り』だった自分から変わる事ができた6年間でした。

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