二次創作短歌といふもの


喉を裂く言葉 抱えているけれど 
今はあなたとお茶がしたいの


アニメや漫画やその他エンターテイメントとにかく創作物、それらをテーマにして何かしら作ることを二次創作というそうな。何を作るのかっていうと本当に様々。絵を描く、漫画を描く、小説を描く、映像作品を作る、衣装を作る、着る、アクセサリーを作る、作曲をする。

その中に、詩、短歌、俳句などなどがある。ジャンルによるけれど探すとけっこうある。そしてこれが面白い。

2005年に小学館から『ドラえもん短歌』という本が出ている。これは「ドラえもん」をお題にした短歌を募集し、そこから入選したものが載っているものだ。そもそも二次創作で短歌と聞いてピンとこない人はこれを読むと掴めると思うので参考までに。

二次創作短歌について、目に入ってくる範囲で眺めて、自分で作ってみて、ここが面白い、興味深いと思った点がいくつかあるので上げてみようと思う。


○同じ知識を共有する人々の集団を読み手として限定することでより多くの情報を伝えることが可能になる

元々、和歌を人々が読んでいた頃、「それらをたしなむ階級のひとびと」には共通して持っているべき情報、教養というものがあって、そのひとびとはそれらをふんだんに使って歌を詠み手紙を送りあっていた。このワードを入れれば、相手はきっと○○に載っている○○の歌のことを思い出してくれるはずだ、とか、○○という地名は○○で有名だ、とか、そういうことをわかってくれるはずだと期待する。そしてそのとおり相手もわかる。わかったよということを伝えられるように返事を書く。そうやって相手の教養レベルを測りつつ、その言葉以上の情報量を伝えていく。

それでは今人々にそういったものの共有があるかといえば、必ずしもそうではない。ある言葉がどれぐらいの幅を持つ意味を伝えられているかということを推測するのがどんどん難しくなってきている。普通にお喋りする範囲なら、「知らなかった」という部分は追って説明すれば良いが、歌ではそうはいかない。「これは○○っていう意味で――――」と説明をあとで加えなければならないほど興醒めなものはない。

その点を、二次創作であること、つまり「読み手を○○という作品の知識を持っている人に設定すること」で超えることができる。一つのワードで多くのことを読み取らせることができるし、それを期待して作ることが出来る。そんなとき、原作はある種の歌枕になり、本歌になる。


○象徴論で生きている

「腐女子は概念をレジンで固めている」という名言をツイッターで見かけたが、例えば二次創作アクセサリーを見れば、彼女たち(偏見かもしれないが、この傾向は女性に強いように感じる)がいかに連想ゲームが大好きな生き物であるかがよくわかる。そのキャラクターの絵がなくてもかまわない、彼や彼女を想起させてくれるものがあれば良い。花、色、数字、道具、動物、それらから自分の見たいものを引き出す。ほとんど特殊能力じみたレベルだ。

その「何か具体性のあるものから想起される何か」を味わうのが好きなひとびとと、コンパクトな言葉からスケールの大きい意味を送り出す文化はだいぶ親和性がある。概念や刹那をレジンで固める作業だ。


○評価をもらえる機会がある

これは短歌に限らないが、漫画でもイラストでも、何かを作ろうとした場合二次創作の方が多くの人の目に触れる機会、加えて評価をしてくれる人に合う機会が多い。こんなことを言うと「褒められるためにやってるのか」などとお怒りになる方も多いのだが、せっかく作ったものなら見てもらえる方が良い。感想をもらえればなお良い。

短歌や詩を作ってみた場合、周りの友人や家族にほらほら見て見て、とやる人も少ないだろう。いきなり活動コミュニティに入ってみるのもハードルが高い。投稿という手もあるが、場所にもよるものの多くの場合は選に入らなければレスポンスが返ってこない。自分も投稿者だったからわかるのだが、力作を投げ込んで何も返ってこないのは、他の誰かに評がついているのを眺めるのは、続くととても寂しい。「二次創作」は良くも悪くも、何かを作って見てもらいたいという欲求を、一つのカテゴリに入れて発表しやすくしてくれる装置である。「何故そんなものを作ったの」という、創作好きにとって死ぬほど面倒くさく傷つく質問を避けることが出来る。ジャンルにもよるが、趣味が同じ人々の中にいれば、一人ぐらいは「それ、いいね」と言ってくれる人が現れる。某ジャンルでは歌合も開かれた。もちろん見てもらうことが全てではないのは言うまでもないが、創作の楽しさを味わうことはできるだろう。


本気で短歌をやろうという際には賛否両論もあるだろう。しかしながら、例えば専門家でも何でもないサラリーマンが、帰りの電車の中でふと定型詩を作る、という、そんな文化がある世界というのを僕は素晴らしいと思う。二次創作短歌を眺めていると、そういう世界に乾杯したい気分になる。思っているよりも、ずっと多くのひとが、言葉を食べて生きているのだ。

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