【湯守の話】2西屋の湯守とその継承
かつての西屋には、「湯守」という役を専属で担う従業員はいませんでした。元々は家族の男子の仕事でしたが、昭和以降は主に番頭さんがその役を負いました。
なぜ男子かというと、ひたすら外の作業だからです。冬は雪をかきわけ、梅雨や秋の台風の頃には増水した沢で踏ん張りながら木の枝や落ち葉を取り除き、日照りの夏は水を確保するため森を奔走し、朝でも夜でも必要に応じて山に入らなければならないほど、とにかく根気と体力が要求されます。
女性、ましてや女将が自らその役を担うなど、誰も考えなかったでしょう。
時は流れ、人も時代も大きく変わりました。
東日本大震災が東北地方を襲った2011年、それまで長く務めてくれていたベテランの番頭さん2人(うち1人は彦さんの弟子)が高齢を理由に引退しました。当然西屋の”湯守”も不在になったわけです。そもそも湯守作業といっても、お風呂掃除の時や「お風呂が熱い(稀にぬるい)」と言われた時だけ調整に入る程度で、その前後から徹底した温度管理が行われているとはいえませんでした。
60度近くある白布の源泉を適温に下げる水は、自然の力のみで流れてくる西吾妻の源流水を利用しています。水道水ではありませんから、森から降り落ちる葉や枝で詰まったり、雪で凍結してしまうなど、自然現象の影響を非常に受けやすいのです。そうして水が止まれば当然お風呂も熱くなるわけで、
多くのお客様にご迷惑をおかけしました。
ドライブやレジャーの傍ら日帰り入浴で西屋を訪れた方にも、「西屋の風呂は入れないくらい熱い」という不満の声がたくさん聞かれました。しかし
当時の私は出産や子育ての真っ最中。表に出ることは殆どなく、ただただ、お客様の波がゆっくりと遠のいていく様を、漠然とした不安を抱えながら見守るしかありませんでした。
そんなある日のこと。
日帰り入浴のお客様からかなりの剣幕で「熱い」と指摘されたのでしょう。
高齢の会長が不安定な足取りで裏の枡を目指す姿を見かけました。その時、目が醒めたようにはっとしました。
湯守は誰か?
誰が守るべきなのか?
このままではいけない、誰かを待っていてはいけない。
大好きな西屋の湯滝が、自慢のはずのお風呂がクレームに晒されるのを
これ以上黙って見ているわけにはいかない、
湯滝とその本当の価値は自分の手で守らなければいけない。
まるで温泉が地下深くから一気に突き上げるような突然の強い思いが、突然私の中から沸き起こりました。
下の子がようやく幼稚園に入園した2014年のことです。
その日のうちに、先達がいないまま私は湯守を引き継いだのでした。
…以来約10年。
春夏秋冬365日、一から手探りで経験を積みつつ今日に至っています。
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