見出し画像

東京ジェンベファクトリー&アフリカ屋

東京ジェンベファクトリーは義理の息子のタクミ君と佐々木さんが作ったお店&工房多分2005年日本に戻って来たタクミ君がアメリカ在住のマスタードラマとマスターダンサーを招聘するので協力して欲しいと、娘のダンスクラスに叩きにあらわれたのが、私の父が亡くなった次の日。何故か私はこの人入れ代わり??

私は『クラスは喪中でお休みにする』と言ったら、娘の日光は『お金もないのに何を言ってるの?私は休まない爺ちゃんが観に来るかも知れないから、今日は弔い合戦』当時私はこのアフリカ屋を維持るす為に借金地獄&数々の問題を抱えた人生の修羅場の42歳を迎えた時でその後、母が他界【母の下駄屋あつみ屋&私のアフリカ屋】2010年6月多摩ジャンベファクトリーが引っ越して来た【下駄屋あつみ屋→東京ジェンベファクトリー&アフリカ屋】として町屋のアフリカが拡大したTDF【東京ジェンベファクトリー】は、その後2016年までアルバイトを含めた4人の強面の男性🤣がいた為、私は当時の暴力沙汰から解放されたのであった😂人生はひょんな事から色々な方向に障害物が現れる、インベーダーゲームだと悟った。何が言いたかったと言うと、人生は山あり谷あり、谷から上を見上げると幸せをより感じえるもので人生捨てたものではない。

アフリカが未無だった35年前
【アフリカ屋】を始めると言った私に家族はきっと血迷ったと思ったと思う。
商売は商い(どうせ直ぐ飽きるからほっとけ)と言われたが、一度思ったらしぶとい私、保守的で感情的で人間らしい、昔の日本人のような西アフリカの方々の面白さに出会いあっと言う間に35年が経ってしまった。佐々木さんが未だにジェンベにお熱なのはわかるのだ。。。兎に角面白いし飽きない、次は何が出てくるのか?知れば知る程やめられないのだ
人生は情熱と直感と違和感に左右され動いているのだ❣️

当時太鼓が沢山並んでた店内😃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?