打姫オバカミーコがド名作だった件
麻雀分からない?絵がヘタで読む気がしない?いいから読もう!青春とか苦い過去の記憶とか成長とか葛藤とか師弟愛とか追い抜かれる恐怖とか、そういう感情がギュッと詰まったド名作です。
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前置きとして。読み始めたきっかけ
実は過去少しだけ読んだことあるんですよね。ただ、余りにも初心者向けなのと、主人公が余りにも麻雀が下手すぎるので割と冒頭で読みやめてました。
だってプロがプロにするアドバイスの一個目がこれですよ!w(打姫オバカミーコ / 片山まさゆき 1話より)
最近雀魂というアプリが流行ってまして、その関連で「麻雀覚えるならこれで」ってお勧めされてるので、改めて読み直してみました。
あらすじ
主人公は、元王者だが麻雀に没頭するあまり妻に逃げられた波溜 晴と、女子プロだが腕はアマチュアレベルの丘葉 未唯子の二人。
波溜は一度は引退するものの、丘葉に教えを請われ、リーグ最下位からもう一度挑戦することに。丘葉と二人で、プロとしての道を改めて歩き始める。
話の構造としては、下手な丘葉が波溜に教えを請い、そのアドバイスを実践することで強くなる、そしてそれを読んでいる読者の側も一緒に強くなる、というものです。
でもそれって麻雀やってる人向けじゃない?
と、思うじゃないですか。あらゆる感情がパンッパンに詰まってます。いわゆるエモいってやつです。
波溜 晴の苦悩
晴さんは、冒頭で麻雀の大会で優勝しておきながら、その団体を退会するという道を選びます。つまり、その優勝まで至るストーリーを自ら捨ててしまうわけですね。
それはつまり、麻雀という競技に対しての裏切りであって、その麻雀で今後優勝できない、というのはある種の呪いなんですよ。恐らくは優勝できる実力を持ちながら、自らにかけた呪いによって優勝できないということを運命づけられたキャラクターなんですね。
(打姫オバカミーコ / 片山まさゆき 32話より)
(打姫オバカミーコ / 片山まさゆき 67話より)
作中でも、優勝できない、ということは何度も何度も繰り返し語られます。
そういうキャラクターが運命に立ち向かう姿が描かれているからこそ美しいんです。
プロであるという矜持
これも作中では何度も描かれるモチーフになっていて、プロとして麻雀を打つこと、つまり麻雀を打つことでお金をもらっていることというのはどういうことか、ということですよね。
ただなんとなく打っているというだけでは当然見ている人は納得できない。ここでこう考えてこう牌を捨てた、最終的にマイナスになってしまったとしても、理屈としてこういう理由があったから、そしてそれが正しいから、と説明できれば、それはもうプロなんです。
例えば今僕は会社人としてウェブサイトを作ってますが、これはこういう意図を持ってこういう表現にしているんです、こういう人に伝わってほしいからこう書いているんです、って言えればそれは別に間違っていてもいいんですよね。違っていれば修正すればいいだけで、意図が伝わっているか伝わってないかの話なので。
(打姫オバカミーコ / 片山まさゆき 4話より)
(打姫オバカミーコ / 片山まさゆき 20話より)
他にもこんなエピソードも
女流プロである意義とは。そもそも競技人口が圧倒的に違うので、当然男子プロの方がレベルが高い。そんな中で女流プロという存在に意味はあるのか?華があるとかそういう理由だけで存在していていいものなのか?
デジタルvsオカルト。前提として、もちろん最低限のスキルの違いはあるものの、麻雀というものはツキに大きく左右されます。そのツキの流れを読んで、例えばツイてない時にはガンガン行かないとかそういうのがオカルト、確率だけを見て打っていくのがデジタルです。理屈で考えればデジタルの方が正しいのですが、どうしようもなく運がない時とか奇跡の大逆転が起きるのもまた麻雀。
ということで
色んな要素が詰まった「打姫オバカミーコ」、麻雀分からなくても面白いのでオススメです!
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