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キューティクルマシンガンで君の瞳を撃ち抜こう

 床屋さんはいつも、俺にとって思索の場だった。海外では、なおさらだ。

 目の前の大きな鏡には、タンクトップ姿にヒゲのオヤジが映っている。フレディー・マーキュリーそっくりだ。促されて席につくと、オヤジは躊躇なくバリカンを取り出した。

 (おいおい、いきなりバリカンかい! 君の見事に発達した前腕の筋肉はなんのためにあるんだ。チョキチョキしないのか? チョキチョキ!?)

 俺は不満だが、口には出さない。何故ならここは床屋ではなく、BARBAR。ボストン滞在1ヶ月になる俺はいよいよ散髪の必要性に迫られた。異国の地での散髪は一種の賭けだ。彼我の美的センスの違いを思い知らされることが多いからだ。いきなりロックな髪型にされて、”You like it?”とか聞かれたら、”Very much!”以外の選択肢を選ぶ度胸が俺にはない。七三分けって英語でなんと言えばいいのだ? ”Seventy-three divisions”ではないよな!?

 BARBARの選択には慎重の上にも慎重を期すべきだった。甘かった。店に入った瞬間に俺は頭を抱えた。小洒落た店構えと裏腹に、出てきたのがまさかのフレディーだったからだ。「これは現実か? それとも夢に過ぎないのか?」と思ったが、時すでに遅し。なるようになれ。

 俺は目を瞑り、フレディーの幻影を頭から追いやった。いつものように思索に入る。散髪を巡る記憶の旅へ。

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 幼い頃から俺の髪の毛は、キューティクルに恵まれていた。頭には、当然のごとく「天使の輪」が光り輝いていた。その頃の集合写真では、自分がどこにいるかすぐわかる。頭部が光ってるのが俺だからだ。

 思い出されるのは「髪相撲」。①俺の髪の毛を一本抜く、②友達の髪の毛を同じように抜いて、2本を引っ掛ける。そして③互いに引っ張り合う。この謎の競技において、俺は不動の横綱だった。まず、抜いた時点で太さが違う。木でいえば、俺の髪の毛だけが屋久杉であった。カブトムシで言えば、ヘラクレスオオカブトであった。とにかく、他の子の髪の毛を全くの子供扱いにして、(みんな子供だったが)プチンプチンとちぎっては投げ、ちぎっては投げ、王座に君臨する俺の髪の毛。

 七三分けの床屋のオヤジが目を見開き、四方八方から舐めるように見ながら、彫刻作品を作るが如く「坊っちゃん刈り」を仕上げていたっけ。あのオヤジはスカルプターだった。

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 雲行きが怪しくなってきたのは大学の時か。色気付いた俺は初めて、「美容院」なるものに出かけた。お気に入りの紫色のタートルネックのセーターで。

 「あなた紫色、似合うわね。とてもいい色。『狂人の色』っていうじゃない。」
年上のお姉さん然とした美容師は、俺の髪を梳かしながら言う。アンニュイな雰囲気、ドキュンな発言。そんな話は初めて聞いた。

 「『狂人の色』ですか?」

 不満げな俺の表情に、お姉さんはフッと笑った。

 「あら、褒めてるのよ。」
 俺は赤くなった。

 初美容院は、思わぬ幕引きを迎えた。「美容院に行けば、かっこいい頭になる」、という俺の幻想は打ち砕かれた。完成品は、全く「いつもの頭」だったからだ。どうやら俺の髪型は、形状記憶合金のようなものらしい。だが、まあ、それはいい。勉強になった。そこからが余計だった。ようやく仕上がった俺の髪型を見ながら、お姉さんは気だるい表情で、指をグーパーしながら言ったのだ。

 「指が疲れたわ。硬いんだもの。」
自慢のキューティクルが、お姉さんの前腕にダメージを与えたようだ。

 なんとも微妙な俺の表情を見て、お姉さんは言った。
「あら、褒めてるのよ。」

 俺の美容院デビューはほろ苦く終わった。

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 次に行き着いた先は、元気のいい兄ちゃんのいるところ。バリバリの関西人のようだ。思索に入ろうとする俺の体勢に全くお構いなく、チョキチョキしながら話しかけてきた。

 「お客さんの髪、ほんっまに硬いですねー。切ったら、『バチー!』って、鉄砲の玉みたいに飛んできますわ。目ぇに入って、痛い痛い。」

 俺は怒るよりも前に愕然とした。これが関西人の力か。「バチー! と飛んでくる」などという表現は初めてだ。オノマトペの遊園地だ。俺は愛想笑いをしたが、二度とそこに足を踏み入れなかった。

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 続いて俺が逃げ込んだ先は、サイケデリックな服を着たあんちゃんのやってる美容院だった。壁には昔のレコードのジャケットが所狭しと飾ってある。俺が70年代ロックのファンだということを知ると、どういうチョイスなのかPINK FLOIDをかけ始め、ご機嫌でギラギラしたハサミを取り出した。

 「俺の髪、硬くないですか?手、疲れませんか?切ったら鉄砲の玉みたいに飛んできませんか?」
 すっかりしょぼくれた俺は、最初からカミングアウトする作戦に出た。美容師のお姉ちゃんの前腕や、なにわの兄ちゃんの目ん玉をいじめた話をした。

 俺の告解を聞くと、サイケのあんちゃんは穏やかに言った。

 「あー。それは、オレに言わせれば、ハサミが悪いんスよ。手入れしてないからそういうことになるんス。全然大丈夫っス。」

 サイケのあんちゃんは、服装に似合わぬ職人だった。いや、床屋界の司祭だったと言っていい。「ゆるしの秘蹟」を得た俺は安住の地を見つけた。はずだった。ここボストンに来るまでは。

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 さて、後ろにいるフレディーだが、バリカンによる素彫りを終えたらしい。今のところ俺の頭は出獄したばかりの謎の東洋人だ。おいおい、ちゃんと仕上げてくれるんだろうな!?

 ただでさえ発達している前腕の筋肉を、機械の力でさらに随分節約したはずのフレディーは、ようやく大きなハサミを取り出した。チョキチョキタイム。

 だがフレディーのやつ、まさに仕上げのハサミを入れる寸前、鏡の中の俺と目が合うと、渋面を作った。そして、「お前の髪の毛で俺のバリカンが刃こぼれした」とでも言いたげに、一言。

“Wire.”
確かに、そう言った。

 ワ、ワ、<ワイヤー>だとー! 自分のリスニングが信じられん、いや、信じたくない。

 あまりにダイレクトな、いや、outspokenな物言い。俺の脳髄は沸騰した。だが、何も言い返せぬ。英語力もなければ、度胸もない。

 俺は願った。せめて、フレディーの取り出した無駄に大きなハサミ、なまくらであれ!

 俺のキューティクルガン、いや、マシンガンの威力を見せてやるぜ。目ん玉かっぽじって見やがれ、そして食らいやがれ。

 フレディーが俺の髪にハサミを入れる瞬間、俺はつぶやいていた。

 “FIRE!”

(了)

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