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Kyoto Creative Assemblage: 「社会をよく見て、時代を表現する」用語編

Kyoto Creative Assemblageの前半にあたるPart1「社会をよく見て、時代を表現する」の講義のうち、主に哲学から援用されている特徴的な用語の解説をまとめました。講義からの学びの整理を目的にしているため、講義資料内で明記されている引用/参考文献を本記事では詳細に記載していません。また、山内裕先生の趣旨・主張を正しく汲み取れていない可能性もありますので、あくまで一人の受講生が受け止めた内容とご理解ください。

用語

  • 世界、スタイル、自己表現

  • イデオロギー

  • 星座

  • アッサンブラージュ

世界、スタイル、自己表現

・哲学者/哲学をバックグラウンドとするスピノザフローレスドレイファスは『Disclosing New Worlds: Entrepreneurship, Democratic Action, and the Cultivation of Solidarity』のなかで、「世界を開示すること disclosing a world」、「スタイルを変容させること changing the style」、「歴史をつくること history making」の3つを関連づけた。

・スピノザらは「世界性 worldhood」について、人と世界は切り離せず、それは総体として現われ、特定の「スタイル」を持つと説明する。スタイルとは、特定の行為を可能にし、行為だけでなく人・モノにも意味を与え、様々な行為に(意味の)一貫性を与えるものである。

・つまり、新しいスタイルを持つ世界を開示/表現することで(disclosing a world)、人々は人・物事の価値や意味を捉え直すことができ(changing the style)、それは歴史をつくることになる(history making)。

(以下はスピノザらの書籍から離れた、時代背景を基盤とするKCAとしての主張)
・人々は、個人の内面から個性/アイデンティティが生じるのではなく、世界に「同一化 identify with」することで、自己を表現する。また、人々は、世界に対して自分を定義できない不安、時代に忘れられていく恐怖を感じている。これらを言い換えれば、自分を表現できたとき、人々は“この世界・この時代を生きている”感覚が得られる。

・KCAで目指す“歴史をつくるイノベーション”とは、既存の世界で自分を定義できず/自分の価値を感じることができていない人々に向けて、自分を新しく表現できる手掛かりを得ることができるような新しいスタイルを持つ世界を開示/表現することである。

イデオロギー

参考とされている一人のダグラス・ホルト氏は、「イデオロギー」という用語を“文化的なもの”と意図的に曖昧に利用していますが、KCAではこの用語の哲学での扱いも丁寧に汲んでいます。

・「イデオロギー ideologies」とは、社会を形づくるアイデア・観念である。KCAでは、哲学者イーグルトンに倣い、“世界の認識の仕方(「スタイル」)を示す「世界観 world view」”と捉える。

・イデオロギーは近代の概念である。経済学者・哲学者マルクスは「観念論 idealism」を批判し、現実の生活が観念を生み出す「唯物論 materialism」を提唱した。哲学者アルチュセールは、“イデオロギーとは日々の慣習行動の中で作動”し、“物質的なもの”だと説明した。

・またアルチュセールいわく、“イデオロギーは私たちに「よびかけ interpellation」、私たちが「ふりむく」ことで「主体化」される”。現実において、街中で誰かに漠然とよびかけられたとしても、自分のことだと思わなければふりむくことはない。つまり、「ふりむく」ことは、自らを「よびかけ」に従属する「主体 subject/仏sujet」へと変える(変えてしまう)。違う見方をすれば、多くの人が「ふりむく」イデオロギーは、その時代の人々の自己表現となる。

哲学者ジジェクは、個々の特徴がひとつの記号(シニフィアン signifiant)によって綴じられることで、それがイデオロギーの象徴になる(「キルティング」による「全体化」)と説いた。例えば、コカコーラの具体的特徴(味や色など)を詳細にみてもそれが“アメリカ(の体験)”というイデオロギーを示してはいない。しかし、「コカコーラ」という空虚な記号に“アメリカ”という過剰な意味が(事後的/結果的に)付与されたとき、コカコーラは“アメリカ”を象徴するものとなり、私たちに「よびかけ」る。

・またジジェクによれば、「ふりむく」ことは主体(自分)を見る他者の「まなざし」への「同一化」でもある。その他者とは、私たちが近づきたいと感じる絶対的な権威(=社会・時代)である。しかし、そのような社会・時代に必然性や理由はなく、意味に収まりきらない(それゆえ社会・時代は「無意味」である)。だからこそ人々は意味を求めて社会・時代を「空想」し、この空想が人々の欲望を構成する。

星座

「イデオロギーの星座」の「星座」も、哲学の用語として援用されています。

・前提として、事象は独立しておらず、他の事象との関係によって定義されるものと理解することが重要である。加えて、同一性(identity:物事が概念と一致すること)や全体性(ひとつに閉じられて充足していること)はこの世界にはなく、概念を超える過剰や閉じるために排除されたものが世界には存在する、と認識すること。

・そこで哲学者ベンヤミンが提唱した「星座  constellation」の概念を援用する。「星」はひとつの事象であり、星を配置し繋ぐ/関連づけることで星座となる。星座に中心はなく、閉じられてもいないが、だからこそ矛盾するような事象が意味深く併存できる。

・星座として現れる複数のイデオロギーは、事象が背景とする時代/歴史の動きを示す。視点を変えると、新しく生まれた個々の事象は、主流(勝者)の歴史に抗い新しい時代表現を模索している。そのような勝者の歴史から排除された事象(敗者)と他の事象を関連づけ意味を取り出すことを、ベンヤミンは「救済」と呼んだ。

・ベンヤミンいわく、革命とは「過去への狙いを定めた跳躍 tiger jump」である(なお、ここで指す“過去”とは、“すでに世の中にでてきているもの”の意味合い)。勝者の歴史の流れに抗う事象を救済し、“別様の歴史を紡ぐ”(=主流の歴史の流れを止めるような、小さな動きを輝かせる星座を捉え、別様の世界観を表現する)ことが、革命=イノベーションとなる。

アッサンブラージュ

原語の仏語ではアジャンスマン agencementで、その英訳がアッサンブラージュ/アセンブリッジ assemblageです。(ちなみに、現代アートで用いる場合は、平面的なコラージュに対して、立体的なものをアッサンブラージュと言います。)

・前提として、近代のように超越的な原理(神、人間の内面)を措定しないこと。また、物事はそれ自体に意味はなく、他の物事との関係性によってその意味が変わると認識すること(「星座」の前提として述べたことと同様)。

・「アッサンブラージュ」とは、哲学者ドゥルーズガタリが1970年代に提唱した概念である。アッサンブラージュは異種混淆のフラットな集まりであり、超越的な中心はなく、ばらばらな物事が配置されている。物事は、何かに還元されることなく独立したまま、一緒に機能する(例えば、花・ミツバチ・その自然環境)。それらの配置はランダムに積み上げられたものではなく、総体としてのひとつの「スタイル」を持つ。

・別概念として、哲学者フーコーは、人を主体に構成するモノや言説の編成を指す「装置 dispositif」概念を提唱していた。例えば、“寿司職人とは〜を使い〜のように振る舞う”といったものが配置され、寿司職人の「位置 subject position」が作り出される。そして、ある人がその位置を占めることで寿司職人となる。

・堅牢な「装置」に対して、「アッサンブラージュ」は常に解体・再構築されていく多様体といえる。それは既存の配置に亀裂を入れ、なんとか自分を表現しようとすることで主体化していくような配置である。このように、既存の秩序を内部から部分的に解体(いわば“小さな逃走”)するときに、独自のスタイルが生まれる。(この逃走の上に生じるものが創造性であり、それは既存の秩序の外にある超越的な位置から新奇のアイデアを持ち込むことではない。)

・これらを踏まえると、「イデオロギーの星座(=既存の秩序)」に自分を写し込み、内部から部分的に解体したうえでなんとか自分を表現することによって、自分が再定義され、新しいスタイルを持つ世界が生み出せるといえる。

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