見出し画像

不思議な国会の慣例


G20欠席

 開催国であるインドの主要紙にも「残念である」とか書かれる始末である。日本維新の会の音喜多駿議員が予算委員会で「国益を損ねる決断」と発言したが、全くその通りである。今回のG20ではロシアも参加するため対面で議論ができる機会であるにも関わらず、その機会を逸したことは残念極まりない。

 今回の林外務大臣が国会審議を優先したために重要な国際会議を欠席したが、この日、林外務大臣への質問は1問であり答弁時間は僅か53秒であった。そしてこの日を含めて2日間での答弁時間は3分であった。この為に一日中、予算委員会室に拘束する意味がどこにあるのだろうか。今回G20に出席している面子を考えても林外務大臣は出席するべきだった。そしてこの失態の原因は林外務大臣にもあるが、日程調整をできていない外務官僚にも責任は帰する。

国会の慣例

 林外務大臣がG20を欠席した理由は「基本的質疑」が3月1日及び2日に開催されたからである。基本的質疑には全閣僚が出席することが慣例となっている。これにより国会日程を優先させた。

 この手の話は他にもある。麻生太郎財務大臣(当時)は退任の際の会見で、記者から在任8年9ヶ月は長かったかと問われ「朝の9時から5時までずっと質問もないのに、2ヶ月間座っていられる自信あるか?」と答えている。勿論、2ヶ月間毎日と言う訳ではないが、少なくとも質問がないにも関わらず一日中座っていなければいけない日があるのは確かである。この様に質問されない大臣が長時間拘束されるのは不合理である。

 他にも国会の慣例は存在する。例えば、最近では予算審議中であるため憲法審査会を開催しないと言うものがある。更には、参議院には解散がないことに起因するが、議会が終了する合図は、「散会」である。「解散」ではない。個人的に一番よくわからないのは、起源不明の衆議院が解散されるときの万歳三唱である。おそらくある種の景気付けだろうが、自分達が無職になる可能性があるにも関わらず万歳三唱するのは解せない。

要るもの要らないもの

 慣例とはあくまで円滑に物事を進める為にあるもので日々の習慣が慣例となっていく。強制力は無くあくまでも全員の合意により成り立っているに過ぎない。この点において、不要なものは捨てていかなければならない。今回の事例で言えば、全閣僚が出席することが慣例とは言え、その2日間でたったの3分しか答弁時間がなかった外務大臣が重要な国際会議を欠席する合理性はない。この程度なら別日で林外務大臣に質問しても差し支えないだろう。今回の行動は与野党から批判を浴びている。今回、岸田総理がウクライナを訪問した際には、他国の首相や大統領と同様に安全を考慮して極秘に訪問した。要るもの要らないものをもう少し柔軟な対応で取捨選択してもいいだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?