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「REVOLUTION+1(レボリューションプラス1)」監督舞台挨拶で噛みつく底辺YouTuber

映画「REVOLUTION+1(レボリューションプラス1)」を観た。
最大の問題作といわれる。
足立正生(あだちまさお)監督の舞台挨拶もある上映に友人に誘われ行った。

安部元首相襲撃を犯人の視点から描いたものだから当たり前であり
上映はおろか撮影すら困難を極めたという。

故人の映像も使われており、不快を訴える人がどう考えたっているような
造りになっているぶん、

こうしてレビューすることすらためらわれるという。

さぁ、どの立場から語ればよいだろう。と僕は考えると、答えは簡単で
作家だ。

文学賞を獲ろうという気概があるのなら、ペンを折るようなことは簡単にできない。
という前置きはよいとして、

まず、そもそも
国葬反対に向けた時期に向けたタイムリーな作品で、それを
さんざんメディアに語られた状態で今見られるものだろうか、というのがあったけれど
私は、涙した。

私には主義主張などはなく、ただ暴力はよくないし、弱者が搾取されるのもよくない、という
いたってつまらないアニメに憧れる青年のような思想しか持たない。

川上(実名は使われない)は兄と妹がおり、
小さいころに父が自殺し、兄も目を患い、苦悩する母は旧統一教会に入信し財産(父の保険金も)をすべて捧げる。
金がないので不自由な暮らしとなり大学にも行けない川上は大学の赤本を破り捨てる。

私が気になったのはまず
川上の視点であるから故人に恨みがあり「アイツ」呼ばわりを冒頭でする時点で
かなり身勝手な視点であることは免れない。さらに、
あの蛮行を「英雄視している」という指摘が生まれるのも免れない、そういう造りがある、という点は動かないと思う。
これは何が悪いなどの前に冷静にみた感想。
なので、だから悪いとも言わない。

これは揺さぶりをかけよう、という意図で作られたものだから。
作品には作品の意図がある。
意志と使命がある。

なので素直に思ったことを監督に質問させていただきました。
「安部さんを冒頭で『アイツ』と呼ぶ部分とラストから犯行を『英雄視』しているという
そしりは免れないと思います。
ただし、とても大切ななにかが描かれているのも確かで、もっともっと作品が遠くまでとどかなくてはいけない
と思います。実名を使わず「川上」としているなら、逃げるならとことん逃げる手法で
現代らしく、もっと誰にでもみやすいバージョンを作って、逃げながら戦うという、現代的な手法を
取った方が作品の問題提起は伝わると思いました。
最近見た映画で作品が入れ子構造になっているものがあり、それと同じように
これをみた互いの意見を織り交ぜて続編や連なるなにかを表現したほうが良いと思いました」

こうも言った。
「タイトルもレボリューションプラス1というのも気味が悪い(一応語源も聞いてましたが)。つまり大衆にどんどん届きづらくなっている。」
至って普通の心象として言わせてもらった。

監督は無数の意見や批判を受けてきているので無知な人間の「逃げる」などの言葉程度で怒るとは思わなかった。
すると監督は

「あなたのような意見をレボリューションプラス、なんでもいいけど、2にでもして
作ればいい。」といい、

世論が沸き立たないんだからあなたのようなYouTuberも頑張らないと。と励ましてくれました(;'∀')

で、これ作品単体だと零れ落ちる部分もあり、ミスリードする部分もあった。
実は問題とされているラストシーン、妹がカメラ目線で突然語りだすのだけれど、
そのあとに、チャリンコに乗って『ボカーン』という音とともに場面が切り替わる。

これ、国葬を「爆破」したのか?ととらえるシーンなのだ。
私は妹のアイデンティティが描かれたシーンとつないだ場合、それはありえないので
ただ稲妻が落ちるような、革命あるいは雷、に思えた。
これはどう考えたって不謹慎である。
これを不謹慎だと思うのは良い悪いではなく「自然な感情」だ。

問題なのは「不謹慎」=悪だ、と思うことが様々な問題をうやむやにしてないか?ということ。
この事件や社会問題の根幹がそれだったんじゃないのか?と私は思うのだ。

耳障りのよいものだけを集めた罪をさらけだす。
現在進行形で、その生ぬるい言論は、可能性を抑圧し続けいつか痛い目を見る。
あるいはそれは戦争という形さえ取るだろう。

とまで私は思うからこそ、いまYouTubeと小説をやっている、と宣伝しておこう。

ひとつだけ謝りたいのは
監督と東京新聞の望月さん、が結構、私をYouTuberとしてイジってくれたのはすごく嬉しいが
私、YouTuberはYouTuberでも底辺(チャンネル登録1000以下)なんです(;'∀')
影響力皆無ヾ(゚д゚ll)

ラスト付近、孤独であることさえ故人のせいに上乗せしていることを
あまりに身勝手だ、と思うが
身勝手だ!といって解決することはない。
妹は身動きがとれない人生の中でも頑張って自分の道を歩んでいた。
「私たちに何ができる?私はどうすればいい?」
とカメラに語り掛ける。
監督は「決起」と革命家らしい言葉を使うが、
我々の決起とはなんだろう。

私は優しい決起を望む。
私は冷静であり、常に言葉を考える。
私が不愉快になるのは弱い者いじめだけであり、
この監督の意志の是非を語れるくらいの土壌無くしていじめのない社会は育たない。

パンフレットなどを見ていくと
あまりに短い撮影機関と、降板する関係者、予算の工面、など
苦労と情熱が垣間見られる。

映画とはなんだろう。映画を「行動」と「=」にしてしまえる革命家らしい映画だ。

ともあれ、みなさんに言いたい。
監督が最後に言っていた言葉がとても印象深い。

「ここに観に来てくれたみなさんがありがたい。
映画とは一期一会。
観てくれなければ存在しないものです、ありがとうございます」
そう言って一会の指を立てた時にポスターの「プラス1」と重なった。

えー、というわけで監督はサインだけでなく握手までしてくださいました。
監督!チャンネル登録お願いします(おいヾ(゚д゚ll)

近いうちに世界を変えるYouTuberでした。
(YouTube感想お待ちくださいませ)



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