太っていても妊娠はできる。でも・・・【3】

前回までのあらすじはコチラ。
肥満妊婦のリスクは妊娠糖尿病だけではない。
妊婦がなりやすいと言われる、“激痛胆石”を抱えながら、
私は無事出産できるのだろうか・・・

赤ちゃんが心配!計画無痛分娩でまずは出産へ

胆石発作が起こると、常備薬ではどうにもならない。
なので強い鎮痛剤の点滴を打ってもらい、意識をなくすところまでいかないと、地獄の痛みでのたうち回る。
もう、あの初期の弱い痛みは来なく、一度発作が起きると激痛になっていたのだ。
処方された薬や鎮痛剤は、胎児に影響がないと言われても、万が一何かあったらと思うと心配で心配でたまらなかった。
予定日は7月7日。ただあくまでも“予定”なので、37週を過ぎた正産期からはいつ陣痛が起きてもおかしくない。

出産をすれば発作は起きにくくなるかもしれないし、
もし発作が起きても手術が受けられる。
また胆石発作が起きる前に、まずは赤ちゃんを無事に出産したいと考えたのだ。
主治医の先生も状況を理解してくださり、計画無痛分娩の予定日を決めた。
6月26日。本来の予定日より10日ほど早いが、38週での出産に挑んだ。

計画無痛分娩当日

「今日、産まれるんだ。私のこの地獄の日々もこれで終わる」

入院グッズを準備し、朝一で入院をした。
書類を書き、説明を受け、バルーンを入れ子宮口を刺激。
ネットでこれが激痛と書いてあったが、痛くなかった。

そして麻酔を打ってもらった。
「背中を丸めて下さい」と言われたが、お腹が大きすぎて全然丸められない。
胎児が圧死するのではというくらい丸めた。
無事、麻酔が入り足の感覚がなくなった。

次に陣痛促進剤を打ち、子宮口が開くのを待った。
すでに初診時子宮口1~2cm。ああ、楽しみ。

もうすぐ会えるね、私の赤ちゃん。

子宮口5cmの壁。頑丈な私の子宮口ちゃん。

子宮口5cmまでは順調に開いた。
助産師さんが定期的に開き具合を見てくれる。
胎児はモニターで心拍をはかってもらうので安心だ。
不規則な胎動をはかるより、バクバクする音が聞こえると心から安心した。
そして、病院にいれば何かあってもすぐに診てもらえる。

モニターを装着し、足も感覚がないので、ベッドに寝たきりだ。
暇なのでタブレットで小説を読んでいるくらい余裕があった。

けれども、どれだけ時間が経っても子宮口5cmから先に進まない。
麻酔を打っていると陣痛が遅くなると聞いたので、それなのかな?
まぁ、大丈夫、あと数時間で産まれるよね。

そう、のんきに考えていたが・・・
朝の11時くらいから陣痛促進剤を打ち始めてから、20時になっても子宮口の開きが変わらず、明日またやりましょうと言われ、その日はおしまいになった。

「あれ?産まれないパターンなんてあるのか?・・・まぁ明日産まれるのか。」
6月26日は、当時暦の上で一年で一番良い日と言われる日だったのでずれ込んで少し残念だったが、無理してどうにかなるものでもない。

また明日頑張ろう。

<計画無痛分娩失敗>私に残ったのは、大きなお腹と胆石発作の恐怖と莫大な不安

次の日、また朝から麻酔と、陣痛促進剤を打ってもらった。
腕に点滴の痕が付きすぎて“ヤクチュウ”みたいになっていた(語彙力)

子宮口5cmからスタート。
もう一層の事、子宮口グリグリで人工的に開かないもんか。

待てど暮らせど。。。その日も一進一退、なんの進展もなかった。
おいおい、今日こそは産まれるんだと遠くから母親も呼んだのに。
おいおい、君(赤ちゃん)はまだ産まれたくないのか?

あれ?もしかして一生産まれないんじゃ・・・?
え、何?陣痛促進剤を入れても産まれないとかあるの?

いよいよ不安で頭がいっぱいになり、
「計画無痛分娩 失敗」と調べまくってしまった。
そういうケースはあるらしい。
まさか、私がその一人になるなんて。

そして、主治医の先生から退院指示が。
「ま、そういう事もある」

人生の中で最大級のツッコミ。

な・ん・で・や・ね・ん!!!!!!!!!!!!

怒りより、悲しみ、不安、またあの恐怖の毎日に戻るつらさ。

お腹がぺったんこになってこの産院を出るはずだったのに、まだ大きいまま。

私に残ったのは、大きなお腹と胆石発作の恐怖と、莫大な不安だけだった。

産まれないったら産まれない。

にしても、産まれない。
産まれないものは産まれない。
子宮口5cmという状態で退院したのだから、もう次の日にはパッカーンと産まれるのではないかと思ったくらいだったけれど。

主治医の先生に「妊娠80週の患者とか、見たことないから」と冷静に言われた。
その先生の、いや世の中の常識を覆す“一生妊婦”を私が初体験するのかもしれない。

「妊娠何週目ですか?」
「そろそろ90週目になります」
「へぇ、それは珍しいですね」

なんて非現実的な事が起こるのではというほど。
そんなことが起きたら私の身体はノーベル賞もんだ。


<赤ちゃんはまだママのお腹にいたいのよ>
そんなやわな言葉なんてキライだ。
この精神状態を分かってくれる人なんていないだろう。

これを考えていたのは妊娠39週目。
普通に考えたら、産まれなくても当たり前なのに、なんだか一生産まれないのではと、もうおかしくなっていた。
毎日朝起きては「産まれない・・・」と旦那に愚痴をこぼし、今思うと初産は40週過ぎる事もあるのに、至極当然のことも、まともに判断できなくなるほどだった。

でも、お願いだからもう産まれて・・・妊婦生活終わりたい~と思ったことある人、いますよね??

予感的中。胆石発作、再発。

出た出た。胆石野郎。
またアイツがやってきた。

「あ!陣痛来たの?」

違うんです・・・胆石が・・・
もう助産師さんの哀れな顔を忘れない。
陣痛でもないのに病院に舞い戻る。

恥ずかしさを通り越して消えたかった。

そして、またいつ発作が起きるか分からないので、このまま数日入院させてもらうことになった。
とても綺麗な産院で居心地は最高!
入院費用がバカみたく高くなってもいいから、ここにいさせておくれ!!!

間隔短く胆石発作が起きると、もう痛くて痛くて、「このまま帝王切開で腹を切ってくれーーーーーー!」と泣き叫んだ。
帝王切開はよっぽどの理由や緊急性があると判断されない限り断行しない。

7月7日出産予定日。
7月2日、4日、胆石発作。

陣痛が先か、胆石発作が先か。
鶏が先か卵が先かのごとく、永遠に解けない謎に包まれていた。

予定日前日、陣痛がキターーーーーーー!

7月6日。早朝から少し定期的な痛みを感じる。

ついに来た!陣痛様!胆石発作とどちらが痛いのだろうか?
早速助産師さんを呼び、念のため麻酔と陣痛促進剤を用意してもらう。
3回目の準備。
もうここまでくると、もはや3人目なのではないかというくらい流れが身についていた。

はよ、はよ、はよ。
焦る気持ちもピークに来ていたが、
うまく進まない経験もしているので、今回ももしかしたらという気持ちも出ていた。



7月6日20時。



私の腕から、陣痛促進剤の管が抜かれた。



7月6日。産まれなかったのだ。



次回、最後の最後までトラブル続きの私の出産記録をどうぞ。

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