2:良い支援について


 五章:軌跡を振り返る 1:価値観と支援観の繋がり
https://note.com/welfare/n/n102cc3be432a


「良い支援をしたい。」ずっとこの考えを持ってやってきた。

支援を仕事や給料の関係で捉えると、このような図式になる。「支援をする」=「仕事をする」だから「仕事をする」=「お金をもらう」になる。つまり「支援をする」=「お金をもらう」になる。ならば「お金をもらえる支援」または「お金を払いたくなる支援」とはどうのようなものだろうと考えてみる。

ある動画で、興味深いと思うのがあった。内容は、服を購入する人への実験で、回数ごとに割引の率をあげていって、最終的には無料にしてしまう。その反応を見るという。最初の方は、割引の率が低いので、「ラッキー」くらいだったのが、半額になって驚きにかわり、中には戸惑う人もいて、そして、最終的に無料になった時に、その客はどうしたか。「すみません」と満面の笑みで一言。そしてテロップが入る。「人は、無料になると、謝ってしまう。」このフレーズがすごく残った。
仕事で発生する「お金」にも似たようなことが言えるような気がする。相手が「本当に受け取った」、あるいは「貰い過ぎた」と感じた時、何か差し出したくなるんじゃないか。それが、対価としての「お金」だったらいいと思う。

影山知明著「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済」
という本で、くるみをサービスで置いているという話があった。
これは無料なので、「店側の提供しているサービス」と「客が受け取っているサービス」の認識の差を図るそうだ。店側のサービスを客がお金に対して満足していれば、持って行かないし、足りないと思っていれば、持っていくと。その減り方を見て、サービスの厚みにフィードバックするという。この測り方はとても面白いと思う。サービスの受け手側の意識と、与える側の認識のバランスの本質を捉えた発想だ。

「NOTE」というサイトがある。ブログを書くような仕組みなのだけれど、この特色は、記事に価格が付けられることと、サポートや投げ銭といった、作家への応援もできる点だ。
個人的に、面白いと思った記事にいくらかサポートをしたのだが、してみて思ったのが、「お金を払って」というメッセージがそこになくても、感謝や感動をすると、人はお金を払いたくなってしまうのではないかということ。心が動いた瞬間は、人に何か差し出すものを探させる動機づけになる。

何かを発信するということは「自分の価値観や考え方の表現によって人と繋がる」ということだ。しかも投げ銭や有料記事の形式にできるとこで、さらに付加価値が生まれる。「自分の記事=商品」ということは「自分の価値の固有化=体験に値段が付く」ということだ。「どんな人もすべて価値がある」社会学ではそのような視点でも見られるけれど、それを支えるのは人の繋がりや関係性だ。つまりお金とは「関係性の中でこそ消費されて価値を持つ概念のようなもの」と言えるのではないか。人は価値観に合ったお金の使い方をする。お金に求めるのは「生きている感」や「豊かさがあるか」ということになるのかもしれない。自分が生きていることの「手応え」がそこにあるかないか。
このような関係性の中に「支援」を置くと、そこに正解はなくとも関係性によって何かしらが、「回答」のように決まっていて、手探りや応答を通して、近づいていくような感触が伺える。「服が欲しい」と言っている人に「洗剤」を説明しても仕方がない。「寒い」と言っている人は「冷たいサイダー」なんて求めていない。そういうものをくみ取って、「あなたが欲しい物って、(そういう関り)って、こういうもの?」と差し出せる応答が、そうなのだと思う。そういう支援をしたい。そういう支援者で、ありたい。

3:軌跡を振り返る
https://note.com/welfare/n/ne853d675c2e9


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