2022年6月の記事一覧
気づいている…というより「気づき」
動詞じゃなくて名詞 誰かが気づいているんじゃなくて「 気づき=ある 」
“自分”というのも、思考とおなじように気づきに浮かんでいるアイディア…
でしかないから“夢”と表現されたりする。
悟っている悟った悟っていない…っていう【動詞】は、やっぱりおかしい。動詞じゃない、行為じゃないから…
すべてが悟りであるということを如実に現している現象があるね…ってかんじ【名詞】
この気づきに 境目 ってある??
気づき、意識、真我、ライフ、これ
これとこれじゃないものってある??っていう非二元ぽい表現がしっくりくる今日この頃
なにかになったりならなかったりってことに気づいている気づき…なので、この気づきに「なる」ってことは不可能…なにかになったりならなかったが起きている全体性そのものに、現れたり消えたりしている映像がなれたりしようがない…というのが「自分は悟らない」と言われている所以な気がする。
思考|に気づいている|気づきそのもの|
思考との一体化=じぶんという現象
それに気づいている=一体化していない
気づきそのもの
普遍の気づきだけが「ある」