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路地裏の雑文集 vol.4 ビートルズからデビッドボウイへ、弱虫少年が殻を破る映画の話。

自由に外に出れない巣篭もり生活の中で、
改めて、映画の有り難さを噛み締める日々です。
映画好きでよかった。

映画は、もう、やっぱり、ほとんど旅だ。

物語という容れ物(春樹的にいえばヴィークル)に僕らを乗せて、古今東西の世界へ、縦横無尽に連れて行ってくれます。

最近の僕はといえば、駒沢は深沢のマンションの一室にいながら、

1920年代禁酒法時代のNYの動乱へ(『アンタッチャブル』)、悲しい歴史に翻弄され続けながらも歌うことを止めないキューバの老ミュージシャンの半生へ(『ブエナビスタソシアルクラブ』)、理不尽なシステムが失業した大工職人をさらに追い詰める容赦ないイギリスの福祉の現場へ(『わたしはダニエルブレイク』)、2030年代か2040年代か、人間とAIの恋愛が日常的になった近未来のLAへ(『her』)と、めくるめくトリップを満喫しておりました。

肉体は叶わずとも、意識と好奇心だけは、のびのびと外界を散策することができて、退屈せずに過ごせております。

映画様に、厚く御礼申し上げます。

1本映画を観れば、次に読みたい本のテーマが見つかり、聞きたい音楽に出会え、食べたい料理が浮かび、事物が有機的につながり、世界を芋づる式に味えることがよくあるのです。

まあ、映画なんぞ観なくたって、生活に困らない人もいるでしょうが、
世界を知れば知るほど、目の前の対象をより深く楽しめる確かな感覚があるので、僕は常々「映画を観ると結構トクするよ」と執拗に言いふらしています。

さて、また前置きが長くなってしまいました。。

今回は、このところ観た映画の中でもお気に入りの一つで、観終わった後に、探究心が一人歩きして、なかなか元の場所に戻ってこれなかった作品についての紹介です。

名曲「HEROES」が冴え渡る、映画「ジョジョラビット」。


『スタンドバイミー』、『マイフレンドフォーエバー』、『リトルダンサー』、『シングストリート』など、少年の冒険譚および成長譚に、僕の涙腺が元々弱めであることを差し引いても、昨年公開された『ジョジョラビット』は近年指折りの良作といえます。

第二次世界大戦前のナチス政権全盛期のドイツが舞台。ヒトラーに憧れナチス少年隊に入隊した10代の弱虫少年ジョジョが、母親が自宅にかくまっていたユダヤ人少女との関係を通して、自立した青年へと成長していく過程をコメディタッチで描いた作品。

際どく重たい対象を軽やかな演出とユーモアでくるみながら、人間の成長という普遍的なテーマを逞しく描き切っていて、昨年は豊作過ぎてアカデミー作品賞逃しましたが、本来ならば作品賞級の重厚感があります。キャリアのピークを迎えているスカーレットヨハンソンも、ダメ中年男を演じさせれば右に出るものは皆無のサムロックウェルも、極上の仕事を提供。

僕は何よりその音楽使いに甚く感動致しました。

オープニングはビートルズの「A HARD DAYS NIGHT」。

当時のヒトラーは、こちらの想像を超えるほどに国民からの熱狂的な支持を獲得していて、子ども部屋がポスターで埋め尽くされるほどのポップスターとして機能していたのでしょう。多感な少年ジョジョが、そんなヒトラーの一挙手一投足に陶酔し、自分の人生をすべてナチスに捧げんばかりに高揚する姿を、冒頭のビートルズで鮮烈に表現します。

エンディングはデビッドボウイの「HEROES」(※ドイツ語版)。

「1日だけなら僕らはヒーローになれる」。美しいリフレインが胸を打つ稀代の名曲を物語のラストに配置。母親の愛情やユダヤ人少女との対話を介して、ナチスの幻想から抜け出し、自分の世界を自分が主人公として生きていく決意を宿したジョジョの勇敢な姿を、ボウイの熱唱が讃えます。

「自由とは踊れること」という劇中に幾度も登場するパンチラインに応える形で、ナチスに踊らされていた少年が自分で踊れるようになるまで、Lets Danceするまでの変転を、ビートルズとデビッドボウイを引用して描く演出が相当ニクイのですよ。

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ポップアイコンとしてその役割を全うし大衆の期待に応え続けたビートルズに対して、アルバムを発表する毎に、それまでの自分の音楽性やパブリックイメージを覆し、リスクを承知で、殻を破り続けてきたデビッドボウイ。

音楽だけ切り取っても監督のメッセージが自ずと伝わる名作です。

勝手に1930年代〜のドイツを追想

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映画はそれとして素晴らしかったのですが、観賞後にずっと脳裏にこびりついて離れないのが、「改めて、ナチスって何だったのだろう」という素朴な疑問です。この映画観た人なら確実にみなが抱く問いだと思います。

高校生の頃に世界史で一応は習ったり、NHK「映像の世紀」で再度かじったり、『シンドラーのリスト』でスドンと落ち込んだり、これまでも折々で避けては通れなかったテーマではありましたが、この映画のせいで、求知心が再び刺激され、STAY HOME週間を活用して、関連書籍を読み漁ってしまいました。

当時ヨーロッパでも随一の文明国と目されていたドイツで、なぜ有史以来人類最大の過ちが起きたのか。なぜ「ヒトラーユーゲント」という少年隊に入隊希望が殺到し、子供達まで巻き込んで人民がヒトラーの虜になってしまったのか。

『ヒトラーとナチ・ドイツ』(著者:石田勇治)では、第一世界大戦後に、泡沫政治家として誰からも期待されていなかったヒトラーが、街場のビアホールで演説を繰り返す中で、あれよあれよという間に、同志らを獲得し、あれよあれよという間に、国を掌握していく様が、手に汗握るほどスリリングに解説されていて、不謹慎ながらも、無我夢中で読み進めてしまいました。クーデターに失敗したあと、曲がりなりにも選挙という正当な手続きでナチスが第一党にのし上がったという事実は本当に見落とせないと思います。

僕なんぞの浅知恵で、これほどクリティカルなテーマを語る資格はもちろんないのですが、いくつかの本を読む限り、その悪魔の温床は、以下の要素が重なり合うことで醸成されたのではなかろうか、という推測まではできます。

・第一次世界大戦後の敗戦、ドイツ国内の大失業問題と食糧不足という国難
・議論を重ね慎重な意思決定を是とする議会制民主主義のスピード感の欠如
・切れ味鋭い言葉、白か黒か強く言い切ってくれる言葉への渇望

ちょっとドキっとしますよね。

さすがに当時の状況を、市民が成熟している現代と重ね合わせて語ることは無邪気すぎるし早合点ですが、コロナ禍という前代未聞の危機を前にした為政者の頼りなさと社会の不安や焦りを眺めるにつけ、いざというときには歴史を参照する術を僕らは持ち合わせておいた方がいいと思った次第です。

たがが1本の映画で、深みに嵌って、分不相応なことまで考えてしまう悪癖を恨みつつも、1本の映画で、古今東西へと自由に旅に行ける醍醐味を、改めてこの作品で深く味わうことになりました。

『ジョジョラビット』、5月20日〜Amazonプライムやらで順次配信予定らしいので、劇場で見逃した方は絶対に観て欲しい。

C/NEでも叶うならばいつか必ず上映したい1本です。

おすすめです。

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