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『ホモ・デウス』を今朝読了。

ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス――テクノロジーとサピエンスの未来』(*1)を今朝、読了。

世界的ベストセラーだけあって、書評はいくらでもあるので本の内容は割愛して、思ったことを書き留めておきたい。(内容を知りたいなら、本書の訳者あとがきが一番お薦め)

2018年刊行の本だけど、今読む意味は大きかった。このパンデミックのなかで、ますます「すべてのモノのインターネット(IoT)」に頼らざるを得なくなっているからだ。なのに、すでに当たり前になっているコンピュータ・テクノロジーは、わたしたち利用者がただ文章を打ち込んだり、計算したりするだけの道具ではなく、わたしたちがせっせと入力するデータをまんまと入手する巨大IT企業に密に利用されている。SFミステリーのようなぞっとする話だけど、前々から、なんとなく不気味な現象に気づいていた。

ネットで近所の地図を見たら、まったく関係ないウェブサイトニュースに近所の不動産広告が出たりする、あれだ。

でも、そんなことよりもっと恐ろしいのは、テクノロジーを介して、知らず知らずのうちに精神的に影響やダメージを受けているかもしれない、ということだ。最近、ある巨大IT企業が、SNSによって子どもに弊害が及ぶ可能性があると知りながら、子ども向けアプリを開発していた、という内部告発のニュースが出た。

今、世界的にインスタの利用によって、子どものうつ病や摂食障害が増えている、という。うちの娘もSNSにはまって、いわゆる「アイデンティティ・クライシス」のような精神状態に陥った時期があった。

たとえば、友だちのツイッターやインスタをやたらめったにチェックする。そのころ、ディズニーランドに友だち同士でなんちゃって制服みたいな、お揃いコーデで行くのが流行っていて(今もかな?)、ツイッターやインスタに写真をばんばんあげる。そんな楽しそうな写真を毎日見せられると、あぁ~自分はちっとも幸せじゃない、なんて思ってしまったらしい。娘も負けじと流行りの服に身を包み、京都まで足を運んで「インスタ映え」する清水寺の庭で撮った写真をアップするほど、奮闘していた。幸い、彼女は熱しやすく冷めやすい性格らしく、早々にその競争から退散してくれた。

インスタには、有名無名問わず「美しい」とされる人たちの写真がアップされる。思春期にそれを見せつけられ続けると、自分はそんな「美しい」人ではないと自己嫌悪に陥ってしまう。何らかのストレスが相まって行き過ぎると、美しくなりたい、痩せたい、と摂食障害になることもある。

ファッション雑誌に「白人・金髪・極細・10代」のモデルを採用する広告を今でも多く目にするけど、かつてこれが「美の基準」だと刷り込まれた世代としてはうなずける。というか、思春期でなくても、若返りだのなんだのと「美しさ」を強要されている気がしてならない。

ハラリの話は、わたしなりに解釈すると、このままテクノロジー中心の社会形成が進めば、膨大なデータを分析できるアルゴリズムが暴走し、そうした人間の感情や意識が過小評価され、やがて人間を超える神のような存在が世界が乗っ取られるかもしれない、という警鐘だ。

「美の基準」はほんの一例。モノやサービスの消費行動から仕事に対する意識、家族の在り方まで、自分の意志決定がネット社会の影響を受けていないか、改めて考えさせられた。

ちなみに、この文章のデータとしてアルゴリズムに利用され、この書き手は「10代を過ぎた娘がいる年代」で「京都に足を運ぶ距離」に住んでいて、「ファッション雑誌」を愛読し、「アンチエイジング商品」に興味があるとカテゴライズされるかもしれないが、そうはいかない。

(*)『ホモデウス(上・下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社 2018)



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