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前回までのあらすじ

初めての投稿に前回はないのだがnoteを始める前にも当然人生は続いてきたわけなので、それを以て前回とし、自己紹介に充てる。先に言っておくがまぁまぁの長さになっているので、大便をしながら読む場合は乾いて痒くなる前に拭いておくことをお勧めする。大便をしながらでないなら読まなくて結構。その際は次回大便をする前に思い出して、大便をしながら読んで欲しい。

1980年生まれ。大阪府堺市で1歳から23歳まで、ほとんど波のない時間を過ごす。大学軽音部の合宿で先輩後輩の立場が過剰に逆転するゲームをしたとき、後輩に、腕立て伏せをしながら陰毛入りポテチを食わされたこと以外それほど嫌なこともなく、mixi以外に特筆するほど楽しかったこともなく。そんな23年を経て周りより出遅れてしまった大学卒業を目前に、後輩に誘われてWEIRD(ワイヤード)というバンドに加入(というか結成)することになった。メンバーの居住地であり練習スタジオもある奈良へ、就職活動や親の小言から逃げるように引っ越しをした。資金はアルツハイマー用の薬の治験一発で捻出した。腕の血管がごついので、採血のとき若い女性看護師にすごく太いと言われ興奮したことは一生忘れないだろう。

さて引っ越したはいいものの友達もなく、バンドをやりに来たのだからスタジオやライブハウスで友達を作れば良いのだと、NEVERLANDというライブハウスに出入りするようになる。

2004年当時は奈良というローカル環境にあってもバンドが多く、それもあってかなり強気のノルマ制が敷かれていた時代だった。とはいえ結成当初のバンドというのはとにかくライブがやりたいもので、少ないバイトの稼ぎから生活費をギリギリまで削ってとにかくライブをした。すぐに10kg痩せた。セミを捕まえて食おうと思ったこともある。(当時の食生活は面白かったのでまた記事にしたい) 電気もガスも止まった。家主から呼び出しを食らって大いに説教をされた。親にも勿論怒られた。寝る時間も惜しんでバイトに明け暮れ、当時酷くなった目の下のクマはもう取れないだろう。たまにはハメを外そうと男三人で早朝から海へ出かけ夕方まで砂浜で水路を作っていたら日焼けで全身大火傷した。でも特に何もなかった今までの生活と比べて、ベタだが生きているという実感があった。そんな生活をしている仲間が沢山いた。(大火傷は俺だけだったが) 

ギリギリアウトの生活が数年続き、終業後の清掃を手伝えばビールがもらえる程度にNEVERLANDのスタッフとも仲がよくなり、2007年頃移転した今の店舗でアルバイトをすることになった。ノルマが安くなるかもしれないという期待は外れたが色んなライブを見たこと、爆発的に増えた友達、先輩、過剰に逆転することのない後輩、本当に大切な財産を沢山得ることができた。それから色々あった。多くのバンドが解散してしまった。会えなくなってしまった人もいる。分かってはいたが皆で渡っていたのは赤信号、ギリギリアウトの生活チキンレースだった。今のところ楽天カードのおかげでセミを食うという狂った発想をせずに済んでいるが、この先は分からない。夏場に連絡が取れなくなったら察して欲しい。

ライブハウスで働いて数々のミュージシャンに触れた結果か、2010年頃から、WEIRDという本妻がありながら性欲がおさまらず、とにかくスタジオでステージでベースを弾きまくりたかった俺はベーシストが抜けたと聞けば行って加入し、レコーディングを頼まれれば行って演奏した。加入、サポート、ヘルプ、コピーバンド、セッションなど、時間のある限りとにかく弾きまくった。その割には上手くなっていないが、まぁいい。この頃からの縁で「仁丹女とホッピーブラザーズ」や「阿南遼介」バンド、「ワコンチュ」などで弾くことが今に続いている。また、ちょうどそこにいたから、という彼らからすれば喫緊の理由からでしかないが、LOSTAGEのNEVERLANDという曲のベースの録音は俺が弾かせてもらった。当時は右肩と左肩が胸の前でくっつくかと思うくらい恐縮したが、時間の経ったいま、混じり気のないドヤ顔で自慢させていただく。働いてて良かった。

他にもNEVERLANDスタッフ一同が駅前の天下一品にハマりすぎて店員と仲良くなり、そこの店長の「バンドをやりたい」という欲求に亜音速で応えて今の「電撃不良倶楽部」というバンドがあるし、SSWでもあり個人的に結婚相手でもある金子ゆかと始めた「soxsoysoz(ソックスソイソーズ)」というユニットはベースに対する考え方に一石を投じてくれた。もうひとつ、「爆睡 便にかえらず」と訳の分からないことを言っていたときの浦飯幽助みたいな顔で自慢したいのが岡崎体育のレコーディング参加である。snackと鴨川等間隔の再録でベースを弾いたのは俺だ。例に漏れずその当時も心の両肩は同化していたのだが。働いててよかった。

ここまで書いたことで分かっていただけたと思うが、今持っている大事なものと自分との間には必ずNEVERLANDがある。そんな場所が2020年春、新型コロナウィルス感染拡大を防止するための自粛を中心とした収入減で事業継続の危機に面している。

別にNEVERLANDがなくなっても、今抱えている大切なものが壊れるわけではない。その通り。なくなったら新しく作ればいい。それも分かる。他にも困ってるところは沢山ある。それも知ってる。それでも、俺は、ここを守りたいと思ってしまう。だから、俺にとってはそれが正しい。

誰も頼るところのない奈良へ来て16年。気づけば大事なものが沢山ある。好きな人が大勢いる。本当に面白いことばかりだった。何もない状態から始めた奈良での生活だからこそ、そのすべてがNEVERLANDと繋がっている。そんな場所を、守りたいと思っている。以上が、2020年4月7日現在の長すぎる自己紹介である。

【次回に続く】
以下参考サイトなど
・LiveHouse NEVERLAND
http://nara-neverland.com

・奈良の宝LOSTAGEとNEVERLANDという曲。新譜「HARVEST」傑作です

・宇治の肉、岡崎体育と鴨川等間隔という曲(これは俺が弾いた音源ではない)


・仁丹女とホッピーブラザーズの忍法ウェブサイト
https://jintangirl.com

・阿南遼介
https://anan-r.com

・過剰に逆転する後輩のバンド

・天下一品
https://www.tenkaippin.co.jp








愉快な生活苦