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麦茶とそうめん

「オトーチャン、イッショニネヨー!」

朝の4時である。
布団に下の子を招き入れ、大の字に転がって知らない天井を眺める。前日からの疲れは思ったほど残らず、窓からは仄かに朝の気配を感じる。

二度寝を試みるが、こうなってしまうとなかなか寝付けない。5時にはカメラをぶら下げて、朝の散歩と洒落込んでいた。

春から初夏に向かう山は、昼夜問わず賑やかというより騒がしいという言葉を使いたくなるが、流石に早朝は心なしか穏やかだ。

散歩から戻り、朝ご飯までのんびり……とはいかないのが子連れ旅で、朝から全力で遊具に取り付く子供たち。朝の日差しを浴びて、こちらは逆に今更眠気と疲労感が襲ってくる。
1日が始まった。


この日は、前日に田植え体験させて頂いた方のご厚意に甘え、水源地を探索させてもらう。当たり前だが一般には開放されていない場所だ。

オタマジャクシ、サワガニ、綺麗な石。子供たちは沢山の宝物を見つけている。こんなこともあろうかと持ってきた水鉄砲も、人気アイテムになった。

心地よいと感じる山には必ず人の手が入っている、という話をした。美しい手付かずの自然なんてものは都会育ちの世迷言で、多くはそこに生きる人たちがコストを負担して、管理し、整備している。自然の恵みに感謝するのと同じくらい、そこに生きる人たちへの敬意を忘れないようにしたいし、子供たちにもそれを伝えたいと思う。

遊んだ後は、おいしいご飯だ。
先輩夫妻のご厚意に甘え、お昼ご飯をごちそうになる。トマトやしらす、そして薬味に彩られたその料理は、そうめんというらしい。自分の知っているそうめんは、もっとこう、慎ましやかな、目立たない、テンションの上がらないものなので、多分、同じ名前の別の料理なんだと思う。


少し庭を散歩した。山が近い。
築150年を超えるというその家は、雰囲気はだいぶ異なるが、北川の祖父の家を思い出す。

「ここは境目なんだ」と先輩が言う。境目ということは、安定しない、変わり続けるという宿命を負うことだと思う。この感想が合っているかはともかくとして、実に先輩らしいと思った。

山と人里の境に、連綿と続いたであろう、土地の記憶と家への想い。見たこともない知ることもない過去からこの家を介して、確かに今、それが繋がりつつあるのだと思う。
繋がるということも、きっと変わるということだ。変わって変わり続けて、また未来に繋がればいい。


子供たちの声が、山のはに木霊する。
そこには、水浸しの笑顔が並んでいた。

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