勝って、失い、選ぶ。(映画『落下の解剖学』)

「落下の解剖学」という映画をみてきた。前回に引き続き、またもや例のJ-WAVE RADIO DONUTつながり。今回も、特に遠慮せず作品の内容に触れるので、未鑑賞の方はご注意を。


まず総論として、自分は子供が悲しい思いをする物語をみていられないということがよくわかった(たとえフィクションであっても)。その意味で、きわめて嫌な気持ちになる映画であった。おもしろいとか、胸がスカッとする物語ではない。

印象に残った言葉は「裁判に勝ったけど何も得るものはなかった」というセリフであるが、これは裁判経験者なら思い当たるものがあるのだろう。大きなマイナスが少し小さくなっただけだ。この映画の真相に自分はたどり着けなかったのだが、彼女が犯人であっても犯人でなくても、失ったものが大きいことはたしかだ。

真相にたどり着けなかったのは、弁護人との関係がわからなかったからである。単に見落としただけのような気がするが、この関係がいつまでも明かされないので、真相にたどり着くカギだと思ってみていた。とりあえず祝勝会で結ばれなくてホッとした。150分あれこれをみせられた結果、もしそうなっていたら、軽い結末に唖然としていただろうな。

そんな中でかろうじて自分なりにたどり着いた結論は、「どちらかを選ばなければならない」と悟ったダニエルは、母を助ける選択をある程度意識的にとったのではないかということ。読み取り不足かもしれないけど。だとするとこれも胸を締め付けられる。子供に気を遣わせてしまった母親と、母と父の生々しいあれこれを聞かされたうえで身を守る現実的な選択をとる息子のこの先の暮らしを思うと…

映画の内容とは関係ないが、ドイツ人の話す英語はかなり聞きやすかった。発音もボキャブラリーも私の耳には理解しやすく、字幕を補強しながら鑑賞できた。また、フランスの法廷は日本とは全く異なっており、こうした異文化に触れられる映画は教養としても味わい深かった。


最後になるが、とても困ったことがある。劇中の夫婦喧嘩に触発されて、いくつか妻に直してほしいところを書き出してみたのだが、3つぐらいのつもりが次から次に出てきてしまったうえ、だんだんと「嫌いなところ」「悪口」に変化してきてしまった。憎悪を育ててしまった。この件については別稿で語ることにする。とりあえず自分の子に悲しい思いをさせぬよう生きたい。

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