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お休みします


夏。毎日暑いですね。いかがお過ごしですか。
結論から申しますと、しばらく活動をお休みします。

体調がよくありません。うまく動かせない虚弱な身体の中にどこまでも広がっていこうとする活発な精神が閉じ込められていて、そのバランスが取れなくなった時に、私は自分の人生を離れて抽象的な想像の世界に飛び込んでしまいます。それは良いところでも悪いところでもあります。身体の強さがあれば現実世界でアクティブに動き回っていろんなことを実現できていたかな?とか、想像力や気力が少なければそれらに振り回されずにもっと淡々と生活できたかな?とか、そんなことを考えてしまいます。

うっかり「生きそびれ」そうになることがしばしばあります。生きることから意識が離れてぼんやりしてしまうような感覚です。昔から無意識の行動が多くて手に負えない。気づいたら日が暮れている、気づいたら疲れている、気づいたら怪我しているし、気づいたら全然知らない駅で降りていたり倒れていたこともありました。

なんでこうなってしまうのか。
もちろん元々の性質が大きいのですが、それに加えて幼い頃から病弱だったというのも理由でしょう。病気というのは理不尽でつらくてどうにもならないものです。心は傷つくのですが、ままならない身体から傷ついた心を脱出させることなど絶対にできない、そんなときに逃げ込めるオアシスが、想像の世界、抽象的な世界です。何かを空想したりつくったりしている時、私は身体や精神の現実から離れることができます。だから熱中して没頭して、時々生きそびれそうになりながらも生きてきました。

私は生きる気力や熱意をほとんどなくさずにきて、病院はじめいろんなところで「それなら大丈夫」と、感心されているのか冷めた目で見られているのかわかりませんが、そう反応されていました。能天気なので、「大丈夫なのか。ならいいか」と思ってそのままでいたのですが、最近やっと気づきました。いくら気力があっても、根本的な問題がまったく解決していない。この先うっかり生きそびれてしまうと、困る。うっかり身体をなくしてしまったら、とても困る。命あっての物種だとようやくそう思うようになりました。



物心ついた時からずっと体調が悪いので、これまでいろいろな人たちに頼りました(お医者さんとか学校の先生とか支援の人とかね)。しかし「こうしてみたら」と頂いた提案はことごとく空振りに終わり、最終的に「申し訳ないけれども原因がわからない」「他にあたってください」などと言われ続けてきました。時には「がんばって健康になりましょう」などと言われたりしました。それは勉強がどうしても苦手なこどもに「頑張って勉強しようね」と声をかけるようなものです。勉強が苦手な子はそもそも、自分がどのような理由で勉強ができず どう頑張ればいいのか がわからなくて困っている、病気もそれと同じようなことです。

問題の原因が複雑で途方に暮れることは病気に限らずよくあります。こんな時できることは、めげないということです。これまでに読んだいろいろな本にも書いてありました。試した方法がだめでも次の方法を試してみる。いい方法が見つかるまで根気よく取り組む。問題の原因をじっくり見極める。自分にあったやりかたが見つかるまで自分と向き合う。みたいなことがたくさん書いてありました。

ただ、「めげない」、これがとても難しい。

だいたい、弱っている時は、めげます。心が折れます。全部どうでもよくなります。そういうものだと思います。
気力や熱意を失ったことがないと書きましたが、正確にはぎりぎりで持ち堪えてきたというほうがいいのかもしれません。



いつだか、あるご婦人と世間話をしていて、お孫さんがご病気だと打ち明けられたことがありました。お孫さんは大学病院に入院されていて、面会に行ったらその子がたくさん管をつながれて眠っていて、かわいそうで思わず涙がこぼれた、とお話してくださいました。
お話を聞きながら、たくさんの思い出が頭をよぎりました。(ひとつの出来事をありのまま捉えられずそこを起点に思考が際限なく広がってしまう性質が出ている。この状態をあらわす良い言葉があったら教えてください。)


___大学病院の古い建物に入り、暗い廊下を進んで小児科に着くと、雰囲気がどこか沈んでいて、奥のテレビにアンパンマンのアニメがただずっと流れていて、たくさんの患者さんがいて、中にはベッドごと運ばれてきている子もいる。その子にはたくさん管が繋がれている、その子はひとことも話すことなく母親と思しき女性の目を見ている、それを見て、はっとして、自分にはなんの管も繋がれていないことに気づく。あれだけ病弱だ気をつけろみんなと同じことをするなと言い聞かせられて病院をたらい回しにされて大学病院にたどり着いた私よりも苦しんでいる人がいる、と子供ながらに思いました。あちらこちらと移動する、薄暗い検査室、よくわからない英語がたくさん書かれた医療機器、日当たりの悪い診察室、先生と親のなにかしらの暗い会話。最後の受付(医療費の計算などをするところ)は人でいっぱいで、そのわりに静かすぎるほど静かで、かたい椅子に座ってぼんやり見つめた先には、数字が呼ばれる順番を示す赤いランプがぼうと灯っている、今頃小学校のみんなは給食を食べている頃だ、いいなあ、廊下をまたベッドがごろごろと音を立てて通っていく、私はきっと友達の中で私しか知らない世界を見ている、! あの光景をおそろしいほど鮮明に思い出すことができます。___


私は私の経験を少し話して、「私も病弱でしたけど、今までこうして生きてます。なんとか……」と言いました。ですからあなたの気持ちがわかります、とまで言うのは烏滸がましいかもしれませんがそのような気持ちで話しました。ご婦人はとても喜んでくださいました。
病を持つ人、その周辺の人、に寄り添うことができて、初めて自分の価値を感じました。こういうことがあるから、ぎりぎり、なんとか、めげないでいられます。もう残り数%という状況になってもライフがなくなってしまうことはないのです。これはただの思い込みかもしれないけれども、誰かの役には立っていると思って生きていたいです。



病弱や精神の性質、これはおそらくずっと外せない枷です。けれども絶望というほどではありません。社会に適合できないとしても、私は自分の中の豊かな海を愛しています。その海を逃避先としてではなくて力として使えたらこれほど嬉しいことはありません。

夏。
しばらくインターネットもSNSもおやすみして、いろいろ、チューニングしてきます。何をすれば元気になるのかすらよくわかっていない状態ですが、一度インターネットとは距離をとって、いろいろと試して暮らしてみようと思います。創作をやめるつもりはありませんしハープをやめるつもりもありません。ネットに現れないだけです。
正直に言うと心残りはたくさんあります。現代でインターネットをやめるのは至難の業……苦しいときに何度ネットに救われたかわからない……からだをつかわずにあたまではなせる唯一の空間……SNSで話したいことも発表したい曲も見たいものも聴きたいものもたくさんあるのに……この夏はやっと念願のラジオをはじめたのに……いやだ……やめたくない……


ひととおり、ごねたところで。

またふらっと戻ります。これだけいろいろ書いておいて、元気になったらすぐ戻ってくるかもしれません。体調の行く先は全く読めませんので……。
それではひとまず、失礼します。


昨年つくった自主制作アルバムがあるので、夏のお供によければぜひ……(最後は宣伝になってしまった……)。


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