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すいかと月

蛍光灯が切れて薄暗い実家のキッチンで、すいかを切りながら、そういえば平成最後の夏だなと唐突に思った。自然光に照らされて瑞々しいすいかに、“平成最後”といった特別感は微塵もなかった。


幼い頃、夏休みが少し怖かった。たまたまいつだかの夏休みに、自分や身内や周囲の人にたてつづけに病気や死が降りかかった。私は「早世」という言葉を早くに覚えてしまった。おそらく同年代よりすこし、その辺を不安に思いやすい子どもだった。

元気でない子どもにとって夏休みとは“長い暇”だった。ほんとうは思い切り遊んだり勉強したりしなければならないが、それが出来なくて、“長い暇”になってしまった。その暇は自分を、答えのない考え事に向かわせた。

天才は死ぬのが早い、だとかいう、誰かの根拠のない言葉を聞いたせいだろう。長い夏休みのなかで、楽しいことを突然思いつくと、そのとき私ははしゃいで、すぐ、怖くなった。死ぬ前に、いいことを、思いついてしまったんじゃないか。すごい発見をしたら、もう「ゴール」なんじゃないか。今考えると、すごい発見なんてなにひとつしていないのだが、おおまじめに私は怯えていた。もちろん、ノストラダムスの予言がそうだったように、今までに終わりは来なかった。


10年前の夏に病気で倒れた祖母は、10年経った今も、生きている。
実家の祖母の部屋は冷房を強く効かせているのに、祖母はしきりに暑いと言った。すいかを運んできた私にも言う。
「暑いなあ。」
「ねえ。」

「月に行きたい。」

祖母は、唐突に、良いことを思いついたかのように笑った。
冗談なのか判別がしづらかった。最近はいつも突拍子も無いことばかり言って家族を困らせているからだった。
たぶん月に行く前にこの人はどこかに行ってしまうんだろうなと、不謹慎ながら思った。どこに行くんだろう。行き先は本当に月かもしれない。

「体が重い。月なら軽いかな。」
祖母は続けた。そう冗談でもなかったらしい。
“体が痛い、辛い、苦しい、”
“もう死ぬのを待つだけだから。”
前に祖母から聞いた言葉を思い出して、私は黙り込んだ。冷房が寒かった。

「月は涼しいかな。」
「うん。涼しいんやないかな。」

精一杯のやさしさで答えた。

突然良いことを思いついても、それで終わりということはないし、
体がひどく痛み、終えてどこかに行きたくても、行くことはできない。

自分では何も決められない。

祖母は何かを諦めたみたいにすいかを齧った。

私達は恐らく月には行けず、
ただ、何も特別でない、平成最後の夏に居残る。

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