“弱い”ほうの、あなたへ

物心ついた時から“変わった子”でした。

いつもぼんやりしていて物分かりが悪く、自分の思うことを上手に話せなくて、失敗ばかりしていました。何もないところで転び、忘れ物もなくしものも多く、友達グループには上手く入れませんでした。
小学校に入ってできた友人は、そんな私のことを「面白い」と言いました。しかし、自分では特に面白いことをしているつもりはなかったし、その言葉はあまり良い意味で使われてはいないんだろうな、とは、気づいていました。

いつのまにか孤立していました。友人がいたのに、です。味方は誰一人いなくて、学校に行って友達と話すといつも笑われ、なんで?と聞くとさらに笑われました。担任の先生に相談しましたが、特に対応はして貰えませんでした。家族に相談したら「気にするな」とあしらわれました。

自分は“ふつう”にならなきゃいけないんだ、そうしたらみんなと仲良くできるんだ。

そんな思いが日に日に増してゆきました。しかしどうあがいても環境は悪くなる一方で、
「あんたって何が出来るの?」
そんな言葉を投げかけられて、
もうその時には学校は、楽しいと思えなくなっていました。

小1から習っていたピアノが唯一楽しいと思えることでした。
しかし、物分かりの悪さが災いして先生と反りが合わず、だんだんとその楽しみはフェードアウトしていきました。こういう風に練習してきてね、と言われてその時は納得して家に帰るのですが、帰ってピアノに向かうと分からなくなってしまい、その次のレッスンで「練習してきましたか」と問われて私は黙り込みました。“しようと思ったんです。” 学校でもピアノ教室でも、正直に話すと言い訳ととられて、私はどうしたらいいか分からなくなりました。

好きなことでさえもうまくいかない。
そんな風に苦しんでいたとき、偶々、楽器を試奏するイベントがありました。そこで試奏した楽器は、今に至るまで続けている、レバーハープでした。

家にハープがあったわけでなく、親や知人が弾いていたわけでもなく、更に言うとあのきらびやかなハープの世界に強く憧れていたわけでもありませんでした。自分の人生に全く縁のなかった楽器を、なぜかそのとき「習いたい」と言いました。言うことができました。苦しい日常から抜け出して新しいところに行きたいという、言うなればSOSだったのかもしれません。

中学校に進み、私は学校を休むようになり、ついには全く足が向かなくなりました。学校の目の前まで歩いて行っても門のところで引き返してしまうのです。だるくて頭が痛くてお腹が痛くて、病院に行っても病名ははっきりせず、ずっと暗闇のなかを落ち続けているような感覚でした。普通ではないと何度も言われました。周囲の誰も頼りにならないと感じていました。

何かに取り憑かれたように、一層ハープにのめり込みました。
世界は家と学校だけではない、一歩外に出れば、面白いと思えることがある。それは大きな支えになりました。音楽教室の先生も発表会で出会う同じ教室の人も、優しくて自分のことを否定せず、いつか治るよという根拠のない励ましも、その時の自分にはほんとうに有難いことでした。
ハープは、上達するにつれて、輝いて見えるようになり、ますます好きになりました。もしかすると、もともとハープに憧れ夢見ていたのに、視界が曇っていたためにそう思えなかっただけだったのかもしれません。心の健康を取り戻したのか、程なく私は学校に行けるようになりました。

私はいまだに、周りに上手く適応できるようになったわけではありません。相変わらずコミュニケーションが上手くいかなかったりして、辛いなあと思う事が多々あります。「また笑われるんじゃないか」「やっぱり自分はダメな人間なんじゃないか」という不安もよく頭に浮かびます。

そういう時私は音楽に救いを求めます。少々大袈裟ですが、あの時自分を救ってくれた、生きる方を選ばせてくれた、音楽に。
声に出して話すことが得意ではなくても、私は楽器を演奏していると話している気になれるのです。自己を表現するツールは話すことだけではありません。上手に話せなくても、書いたり描いたり演奏したりと、いろいろな方法があります。そう思うだけでも気持ちが楽になります。

学校に行きづらいとか、人間関係が上手くいかないとか、普通じゃないと言われるとか、そんな悩みをもつ若い人へ、

どちらが良いとか悪いとかではなく、ただ、強い人と弱い人がいます。そして、社会は”弱い側“の人間にやさしいようには作られていない、というのが、私の実感です。

けれども、そういう弱い人間はいなくてもいい、ということは、絶対にありません。

弱いという自覚をもちながら生きるのは難しいことだと思います。しかし、そんな中で、自分を支えてくれるものが一つでもあると、とりあえず生きていくことができます。そしてその“とりあえず“が大事なことだったんだなと、今になって私は思うのです。
私を支えてくれたものは音楽でした。いま、そういうものがある人はそれを大事にして、ないとしても、回り道をしながらのんびりと、それを見つけてほしいと願っています。 それだけで、十分です。

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