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ストリートピアノ

静かな場所が好きだと、静かな場所を見つける能力が、日ごとに上がっていきます。

大学のキャンパス内でも、静かなエリアを自分の庭かのように渡り歩いています。この日選んだ共有スペースは、椅子と机が大量に並んでいて、端には吹き抜けがあるため開放的な雰囲気の場所でした。

ノートを開いたところで、かすかに音が聞こえてきました。ピアノの音。それから何か管楽器の音。「G線上のアリア」。最近クラシック音楽を聴きこんでいたかいがあってすぐわかったな、なんて得意げになる間もなく、近くにいた知らない人も「G線上のアリア」と呟いたのが聞こえました。クラシック音楽を聴きこまなくとも多くの人が知っている曲です。

音はそれなりに遠くから聞こえているのですが、なかなかの迫力です。そういえば、吹き抜けの下のロビーにピアノがあったのを思い出しました。サークルなどが申請をすれば使えたはず。どこかのサークルの誰かが申請して使っているのでしょう。

勉強する気持ちは失せ、せっかくの演奏だからのんびり聴こうという気になりました。ふと隣を見ると、隣のグループは勉強をしていたらしく、荷物を片付けながら喋っているのが聞こえてきました。

「今日、うるさいな」

曲が「主よ人の望みの喜びよ」に変わりました。先ほどから静かな曲の詰め合わせのような選曲。(評価できる能力はないですがおそらく)上手な演奏。吹き抜けの下からさわやかに流れてくる音に、隣で繰り返される言葉、

「うるさいな」

私も、吹き抜けの下でロックコンサートをやっているとか、応援団が太鼓を叩いて何かを応援しているとか、それだとちょっと場所を考えてほしくなりますが(応援されたらむしろ勉強などを頑張れる可能性もありますね)、今回の扱いは少し悲しく思えました。

最近、すごい技能の方が街でピアノを弾き、何ならお店の試し弾きなどでもその能力を発揮しています。そんなすごい方々を見ると、上手くないと外で弾いちゃいけないのかなという気持ちになります。家電量販店での試弾すら誰かに見られているような気がしてくるのです。また、路上ライブなどでは、どんな演奏でも一定数「うるさいな」と思う人はいます。

『上手くないと認めて貰えない』?『上手くても認めて貰えない』? 

空間に音楽が自然にある心地よさ、それがこんな消極性のために失われてしまうのは、なんだかもったいないことだと思います。

気づくと周囲にいたはずの人たちが誰もいなくなっていました。幸運にも貸し切りになった共有スペース。階下から聞こえてきたのは「クラリネットをこわしちゃった」。静かな場所に響くポップな音色があれほど悲しく聴こえたことはありません。






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