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私は祖父母の愛を食べていた。

寒い時期になると、祖父母が作ってくれた焼き芋のことを思い出す。
祖母が市場で選び抜いた芋を、仕事場の石油ストーブで朝からじっくりゆっくり焼く。
保育園から帰ると、祖父が軍手をして割ってくれる。
その金色の美しさ!そのねっちりとした甘さ!
そして胸いっぱいに広がる、幸せな気持ち。
夢中で食べた、私の大好きなおやつだ。

私が小学校に上がる頃、祖父母は仕事を引退した。
それと同時に石油ストーブも姿を消し、焼き芋がおやつに出ることもなくなった。
代わりに、クッキーやチョコレートがおやつになった。
みんな好きなものに違いはないけれど、いつも心の隅で「焼き芋の方がよかったな。」と思っていた。

だからだろうか。
大人になった今でも、街を走る焼き芋の移動販売や、スーパーの隅で甘い匂いを漂わせる焼き芋を見かけると、心の中の幼い私が「食べたい!」とねだる。
いつだったか、その声に負けて、はじめてスーパーの焼き芋を買ってみた。
祖父母の焼き芋と同じように、金色で美しく、ねっちりと甘い。
でも、何かが違う。
頬張るたびに胸に満ちてくる、あの幸せな気持ち……湧き上がってこないのだ。
なんだかとてもがっかりしてしまって、あれから一度も買ったことがない。

祖父母の焼き芋を食べたときにしか生まれない、あの気持ちは何だろう。
目を閉じて、あの頃を思い出す。
石油ストーブの上の、アルミホイルに包まれた焼き芋。
仕事場中に、甘い匂いが広がっている。
焼き芋を割る、軍手をした祖父の手。
「ゆっくり食べなさい。」という、祖母の声。
焼き芋を頬張る私を、にこにこと見守る祖父母の顔。

そこまで思い出して、はっとした。
そうか、あの気持ちは「愛されている実感」だ。
祖父母が私のためにと、手間暇かけて用意してくれていることを、私も知っていた。
だから、どんなおやつよりも「祖父母の焼き芋」が好きだったのだ。
スーパーの焼き芋が、祖父母の焼き芋に勝てるわけがない。
私は祖父母の愛を食べていたのだから。

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