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トンネルのこっち側 ~雪国雑記2~

             民宿に生まれて

スキー場まで歩いて5分。生まれた頃、家はもう民宿を営んでいたので物心ついた時、冬には家にお客さんがいるのが当たり前だった。
新幹線、高速道路の無かった当時、スキー場にはほとんどの人は泊りでやってきた。
年末年始、週末はいつも満員。6畳から8畳くらいの部屋に4,5人は当たり前、居間に泊めたり廊下でいいから泊めてくれなんてお客もいたらしい。山小屋状態。今ならネットでボロクソに書かれそうだ。
当然、お客さんとの境界もあまりなく、よちよち歩きの頃に食堂の大広間に入って行ってお客さんの飲み残しのお酒を飲んでふらふらになって帰って来たこともあったそうだ。
常連のお客さんやその子供たちともよく遊んでもらったし一緒に滑りにも行った。
アルバイトの高校生なんかも休憩中遊んでくれたが、大体は忙しくしてるので相手をしてくれるお客さんを見つけてはトランプや花札を持って後を追いかけた記憶がある。

昔は部屋同士が襖で繋がっていたり鍵がない部屋もあったりしたが、改築して個別の部屋とドアになりお客さんとのつながりも薄れていった。常連のお客さんは少なくなり旅行会社経由の一見さんお客が増えてきた。時代の流れとして当然だろう。

10年ちょっと前の民宿をやめる直前、息子たちが3人とも保育園の頃、まったく人見知りが無かった息子たちはよくお客さんに遊んでもらっていた。時には一緒に家の周りで雪像をつくったり雪をぶつけあったり。
一番印象深いのは年末ごろ来ていた2組のカップルで、気が付いたら食事をしている時までくっついていて風呂も一緒に入ると言ってパジャマをもって行く状態。ちょと馴れ馴れしすぎかと思いながらもお互い楽しそうだったので、まあいいか。とそのままにしていた。
子供たちが大人になった時、小さい頃に家が民宿だった記憶が楽しかった事として思い出されるといいなあと思う。自分がそうであるように。

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