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【雑話】挨拶と信頼から始めよう。世の中は思う程敵ばかりじゃないのだから

■ 『挨拶不要論』なる話題を最近現実でよく見かけるし、これに反応している人も現実・Vに限らずよく見かける。話題の源泉についてかいつまむと、『挨拶は強制されるべきでない。習慣だからととりあえずする、意味の形骸化した挨拶が世の中には溢れており、わざわざそれに時間を使う必要を感じなければしなくてもいいのでは』という理論の話だった。共感はともかく、言いたい事の理解はできる。そんな話だった。

■ 少しズレるけれど、福本漫画の『銀と金』には『善意や道徳は凡人たちの最後のよりどころ』というセリフがある。自分たちは道徳を守っている。常識を守っている。善意によって動いていると世間にアピールすることで、何も持たない凡人でもなんとか世の中に存在する事の意味・有意義さをアピールできる。できるのだが、逆に言えば"凡人"とはそれしか能のない存在で大変つまらない。このセリフはそのようなニュアンスとして作中で使われていた。

■ 先の挨拶不要論を展開した人からすれば、『とりあえず挨拶をする人』という存在が、まさにその”凡人”のイメージと重なっていたのではないかと、勝手に少し考えてしまったりする。価値観のズレが無ければ疑問は生まれず、疑問が無ければ自論は生まれない。そしてそのズレを言語化し世にアピールしてみたはいいけれど、『自論』の部分だけを見る他人は元のきっかけの『価値観のズレ』までをトレースできず、何より道徳・常識によって動く"凡人"の常識感を逆撫でする形になってしまい、猛反発を買って自らが述べた事以上の否定・攻撃を受ける結末になってしまったように思う。また、今は傑出した人物と呼ばれる人たちも、元は何も持たない凡人だったというケースだって少なくない。彼らの反応すらも、相当に懐疑的だった。そもそも凡人の姿から始まらない人間なんて、世の中にそうそう存在しないのだ。挨拶不要論を展開した件の人物と、それを見る世間の人たちは 悲しい事に敵同士になってしまった。

■ 自分が思考し、言葉で考えることの大半はきちんと伝わらない。それは言葉・文章が思考の近似値でしかない、という話だけでなく。自分の口から発された、思考としての言葉を受け取りデコードするのが他でもない他者であり、発した言葉が最終的にどういう意味になるか という出力が、完全に相手の頭の中に依存してしまう点が大変に大きい。この出力結果は多くの場合『信頼関係』によって左右される。

■ 信頼関係は、心理学用語の中では『ラポール』と呼ばれ扱われる。アイビィによって提唱されたマイクロカウンセリング技法の中では、そのラポール獲得の土台として、民族的な文化要素・かかわり行動と言ったものが位置している。それらは平たく言うと、まさに日本の文化の中で行われる適した挨拶であったり、適した目くばせであったり、適した体の姿勢・発声であったり、会話のキャッチボールのタイミングであったりする。そういったことの積み重ねにより、カウンセリング対象の人物に『この人は自分に害を為さなそうだ』『この人は自分の価値観に近そうで馴染みやすそうだ』と言った意識を持ってもらって、『信頼するに値しそうな人物だ』と思われたタイミングで初めて高度な言葉・論理の突き合わせを行うべきという理論になっている。カウンセリング、という1vs1で会話をする場面でさえ、信頼され、相手に自分の意見を可能な限り正確に聴いてもらうためには、これだけの事が必要な基礎として成り立っている。

■ ここで何が言いたいかと言うと、挨拶は大事だよと言う事。もっと正確に言えば、『挨拶』とは世の中の殆どの人間に理解される共通の関心確認のフォーマットであり、同じ挨拶が使える人間は、同規格の人間だと解釈され、ラポールの獲得につながりやすくなるから大事だよ。逆に言えば、ここからもうかみ合わない人間は、違う規格の人間だと解釈され、『この人と話なんて通じるのか?』と警戒され、自分が話すことが全て懐疑的に受け取られやすくなっちゃうよ と言う事。

■ この考え方は、言葉を扱うコミュニケーションの色々な場所に応用できるように思う。VRChatにおいても、穏やかで朗らかな人の元には、元気な人もおとなしい人も集まってくるし、男性アバターより女性アバターのほうが、『この可愛さを纏った人なら間違いなく自分にとって無害だろう』『きっと清廉な性格の持ち主なのだろう』と言った形でグイと信頼を得やすくなる傾向にあるし、プロフィールが空欄の人よりは三文程度書いている人の方がその後のコミュニケーションにつながりやすいし、一本調子に話し続ける人よりは、うんうんとうなずいてくれる聞き手の方が重宝されやすい。これらの要素は全て、自分と相対する相手のラポールに対して、アプローチをしているようによく思う。よく思うから、自分自身もできるかぎりそうしている。

■ 今の世の中はコンディションが悪く、自分一人が生きるだけでもだいぶ手いっぱいになってしまっている。そんな時代で、時に他人が。時に社会が。時に既存の価値観が敵に見えてしまい、悩み考える時もある。でも、世の中はじっくり見てみると、思ったより天才ばかりではないし、思ったより敵ばかりでもない。愛情のハンガーノックの記事でも似た事を書いたけれど、皆自分と同じように、おっかなびっくり他人と関わっているものなんだ。だから自分が伝えたい事がある人ほど。他人に理解してもらいたい事がある人ほど。まず目で見る相手・場所こそを信頼して、同じような語らい方をすることから 始められると良いと思う。

■ そうして『相手を信頼する事』『相手の側に立って語らう事』『その結末として自分が信頼されること』の因果が良いものだと理解されて、その輪が世界に広がれば、今より少しは幸せな世界になるんじゃないかなという、そんな気持ちのお話でした。

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