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私は私の世界で生きていこう

私という人間は、大きなコンプレックスの塊だ。そして、自分のことで精一杯の人間で、世のため人のためにと考えて行動するとあんまり思ってない。

何しろ、ひとりっ子確定の時期から、非情にもかわいそうな子どもとラベリングされたのだ。
そのラベリングの呪文で、どこか自分は欠けていると思ってた。

ひとりっ子はかわいそうよね。
さみしいでしょう。
わがままなんじゃない。

とか、私の知らない大人に散々決めつけられ、挙句の果てに「ひとりっ子だから、社会性がない」と親に言われ、そう言う情報をインプットしてしまった。

なので、人のために尽くすという余裕はなく、欠けた部分をなんとかしようともがいていた。そんなこと不可能なのに。

が、、、
うちに引きこもってばかりいたのかというとそうでもない。人が勝手に貼ったラベリングに苦しんでいたものの、持って生まれた才能もある。
それは、天然で明るい。めっちゃ人の中で目立つという明るさはないが、逆境になっても何とかなるとどこか自分を信じられる、そんな明るさかな。そして、こだわりがあまりない。

あー、私はかわいそうな子なんだと落ち込んでいたとしても、しばらくするとご飯はおいしいなぁとか、これおもしろいなと立ち直れる。
だから、ここまで何とかなったのでしょう。

周囲の大人や両親が言った言葉で、傷ついた。それが尾を引いてしまったのは確か。
が、こんなことは特別私が不幸なわけではなく、みんななんだかんだ言って傷ついている。
そして、いろんな影響を受けている。これが当たり前のこと。
わたしの両親はまぁ私を言葉で傷つけたかもしれないけど、わたしは彼らが好きだ。
生んでくれてありがとうとか、親孝行は徳を積むとかそんな高尚なレベルではない。
人間として、なかなかいいやつなんじゃないと思う。

新しいものが好きで、情が厚く、厚すぎてうざい父親と、お茶目で新しもの好きで、正直すぎて言葉で人の心をグサリ刺す母親。そして、ふたりともメモ魔。
そして、うんざりすることもあったけど、同時に愛も感じていた。彼らは私のことが好きなのだ。だから、私も好きなのだ。それだけ。
彼らの事情があったかもしれないけど、ひとり娘の割にはとても自由で、勝手に自分の進路を決めても、最終的に受け入れてくれたことには感謝している。

毒親なのは当たり前なのだ。
人にはいい面とそうでない面がある。
私だって、娘にとっては迷惑きまわりない存在である。けど、彼女は私のこと好きだろうなぁと何か感じる。それは、私も好きだからだ。

そういえば、昔からよく笑うとか、笑顔がいいねとか言われていた。それは、ただおもしろいから笑っているだけだ。自分の気持ちを盛り上げようとか、人のために笑っていようとか思ってない。

高尚なことは何もないのである。

いつもどこか怯えていて、でも大胆な行動をしてしまう、そう言う人間です。
そうそう、こういう気質の人は、HSS型HSPというそうだ。専門家に言われたので、そういうことにしている。

その昔、優秀になりたくて、めっちゃがんばってたときがある。とにかく、かわいそうな子から脱出したかったから。
が…、不幸なことにわたしは器用ではないのである。できることとできないことの差がめっちゃ激しい。だから、できないことが気になって、できることがあっても自信がなかった。

天然で人並み以上にできることあるから、できる人と思われ、何でもうまくやらなきゃといつも緊張していたような気がする。

メンタルの不調はそんなところからきたのかな。
チカラが入るから疲れるし、呼吸も浅かったからイライラもしていたな。

うまくやりたい、すごい人と認められたい、わたしの存在を認められたい。愛してほしい。

くれくれ状態の日々。

そして、壊れた😅
大病もしたしね。そして、仕事でもトラブルがあったし。何かするたびに自分は嫌な人間という思いが離れない。

最初に戻って、コンプレックスの塊なのである。
これが大きな間違い。
コンプレックスって、そもそも人と比較しているから感じることだ。
自分に集中しているときは、コンプレックスは感じないじゃない。
と、人生も終盤になって気づいたのである。
コンプレックスは、誰かよりも抜き出て優秀でありたいという競争に執着する結果だ。
そもそも、こだわる必要はない。

ひとりっ子だって、何が悪いのかわからない。
だいたいわたしにレッテルを貼った大人は、わたしのことを大切にしていないのだ。そんな人の話を真剣に受け取る必要はない。

スルーしていいのである。
ひどいとかそんなふうに思う必要もなく、ただふーんってスルーしていいのである。スマホ持ちながら、適当に流していていいのである。

つまりだ、大したことないなぁと思ってた私でいいのである。
そう思ったらラクになった。

そして、大したことない私でいいと思ったら、ほどよく力を抜くことも覚え、何だか1番力を発揮できるような気がする。

余裕ができるから。
自分のことに集中すると、かえって人の本質が見える。余計な感情が混じらないからだ。
愛情を感じるから、やさしくなる。
大切な人を大切にしたいから、やさしくなる。

もちろん、高尚な人間でないので、人があぁだこうだと言って大騒ぎすることもある。
でも、いいのだ。
そういう時があると認識しているから。

何にもならない、ただの自分。そういうときが1番パフォーマンス力が高いんじゃないかなと思う。

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