見出し画像

デカになった彼と、デカダンスな私の思い出

岸田奈美さんのキナリ杯に応募したかったので、「事実も小説も奇なり」という体験のうち、公開しても問題なさそうなエピソードを書くことにした。

ちなみにこのアカウントは、息子とウンチについてなど、普段は育児4コマをメインに投稿している。

突然の電話

今から10年近く前、学生時代に付き合っていた元彼から突然電話があった。
そのとき私は昼間に一人暮らしのアパートに居たので、休日だったのかもしれない。よく晴れた日だったが、季節は思い出せない。

うろ覚えだが、彼とは大学を卒業してほどなくして別れたように思う。居酒屋でご飯を食べながら別れ話をした記憶がある。

大学を卒業して社会人として2社目の会社で働いていた私は、その彼のことは忘れていたし、なんだったら既に他の人と付き合っていたような気もする。

つまりその電話は、別れてから数年後に、唐突にかかってきた。

「もしもし?」

「…もしもし。ペシ子ちゃん?…オレ、誰かわかる?」

…思い出して悶絶しているが、私はペシミスティック(悲観的)なことばかり言うので、彼に「ペシ子」と呼ばれていたのだった。

一瞬、虚を突かれたが、すぐに声の主がわかった。

「おいちゃん?久しぶりやん!何?どうしたん?」

便宜上、私は彼を「おいちゃん」と呼んでいたことにする。懐かしさがこみ上げて、やたら大きな声で喋ったような気がする。

「別に用事はないんやけど。どうしてるかなーと思って」

用もないのに数年ぶりに元彼女に電話してくるなんて、よほどのことがあったのかと思ったが、相手はそれ以上話す気がなさそうなので、こちらの近況を話した。

Webデザイナーになったこと、まだ京都に住んでいること、楽しく暮らしていること。

そんなことを話したように思う。

「デカ」になった彼

一通り話すと、やっぱりどうしても電話をしてきたことが気になった。

「おいちゃんは今なにしてんの?」

「おれなー、今東京やねん。
 ペシ子ちゃんが嫌いっていうかもしれへん職業に就いたで」

「え?なになに?消防士?」

交際当時、「消防士になろうかな」と言っていた彼に反対したことがあった。
消防士は人の命を救う素晴らしい職業だけど、危険が伴うから辞めてほしい、と。

「ちゃうねん。おれ、デカになってん。刑事。」

「は?え?!なにそれ!刑事ってあの刑事ドラマとかの刑事?
 …私、刑事嫌いなんて言ったっけ?」

「いや、権力とか嫌いやったやろ?警察とか。一番嫌いな職業かなーって。」

いやいやちょっとまて。昔の私はそんなに反権力・反体制な感じだったのか?

私のデカダンス・モラトリアム

彼とは同じ大学だった。アルバイトがきっかけで知り合い、お互い読書が趣味とあって意気投合した。(当時好きだった)太宰の何を読んだだの、これがおすすめだの、そういう話をしていた。

彼はショーペンハウアーの「幸福について」を読んでいた。

しばらく経つと、お互いのキャンパスを行き来し(学部が違うとキャンパスが違った)、大講義にもぐったりした。違う学部の講義はとてもおもしろかったし、何より得した気分になった。

大学に入って初めて「ジェンダー」という言葉を知った。「ジェンダー論」がすごく面白かったので、毎週講義を楽しみにしていた。

ボーヴォワールの「第二の性」、ハンナ・アレントの「人間の条件」を知ったのも大学の講義でだった。

彼とは講義の話や、政治や社会についてもよく討論していたなーと思い出す。

---------

「知的で高度な研究や議論が行われている大学って、カッコいい!」と興奮した。朝から晩まで講義詰めの履修登録をして、ただでさえ必須単位も多い教職課程を取っていたのに、3回生までに必要な単位を取得した。

こういうと勤勉で勉強家だったように思われるが、とんでもない

単位こそ落としていないが、講義は遅刻したりサボタージュしたり。
興味のある勉強や読書は喜んでしたが、ゼミの研究発表なんかは全く理解が進まずボロボロだった。そもそも、人前で発表することも嫌いだった。

一晩中ガバガバお酒を飲み、髪の毛は金髪、タバコを吸い、「太宰が─」「芥川が─」と言っていた。

メンヘラの素質もあったし、ヤンキーの素質もあったと思う。

インターネットにハマったときは、1週間分の食料を買い込んでは、家に引きこもってジオシティーズに「Makiko's Homepage」を作ったりしていた。(黒歴史すぎてもはやネタ。)

当時はまだダイアルアップで、「ピーガガガ」と接続する。電話回線を使うので、その間、固定電話はつながらなくなる。電話料金がかさむため、深夜23時から安くなる「テレホーダイ」にも入っていた。

酒、読書、インターネット、タバコ。

大学生活は私にとって、確かに有限なはずの時間が、なぜか無限に感じられたモラトリアム期間だった。そして、人生で一番、露悪的な期間でもあった。

「めっちゃしんどいで」

「おいちゃん」からの数年ぶりの電話で、「刑事」という日常から乖離したワードを聞く。それがきっかけで、自堕落な学生生活が一瞬のうちに思い出されたのだった。

「別に刑事嫌いってわけじゃないで。就職先迷ってたし、よかったやん!
 …刑事ってよくわからんけど、どんな生活なん?」

「めっちゃしんどいで。
 体力的にも精神的にも。最近ほとんど寝てないねん。」

嫌な予感がした。

睡眠も満足に取れないほど疲弊した状態で、数年ぶりに元彼女に電話してくる理由とは。

もしかして、世をはかなんで…なんてことを考えているんじゃないかと思った。過去につながりがあった人間に、最後に電話しているんじゃないかと。

その危機感だけは強烈に覚えているのに、それ以降の会話はほとんど覚えていない。

「そんな状態で、数年ぶりに突然電話してきて。
 …まさか死のうなんて考えてないよね?」

くらいは聞いた気がする。

「そんなことないで」

と言われたような気もする。

「またご飯くらい食べようや」くらいのノリで電話を切ったと思う。

それから

その後も「おいちゃん、死んだりしてないかなー」と気になっていた。
当時、既にLINEがあった。かかってきた電話番号を元にLINEで検索したら、それっぽい名前のユーザがヒットした。

友だち登録の申請をしてメッセージを送ってみたところ、やはり彼だった。

生きていたことにホッとしつつ、「東京行くことあったら、ご飯でも食べよう」とメッセージを送ると、「彼氏おるんやったらやめときや」みたいな返事がきた。

相変わらず、そういうところは高潔だった。

やりとりしたメッセージはそれだけだった。幾度かの機種変更のせいか、友だち欄に名前はあるものの、トーク履歴は消えている。

特に用事もないので連絡を取っていない。
でも、たまに「死んでないかなー」と思い出す。

それから10年近い歳月が経った。

今回記事を書くにあたって、もしやと思ってSNSで検索してみた。

「おいちゃん」は生きていた。

プロフィール写真は子どもとのツーショット。
外部からはそれしか見えなかったが、「おいちゃん」のその後の人生は幸せそうに思えた。

そして、ベランダで日光浴しながらカンタンにそんな情報を調べられるインターネッツは、本当に素晴らしいな。

おいちゃん、まだ刑事やってるん?私はまだWebデザイナーやってるで。
露悪は辞めたけどな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?