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# 17 マカッサル、ジョコボヨ王の予言


『インドネシア民族は長い間異民族に支配されるが、やがて北方から黄色い肌の民族が来て白人を追い払い、しばらくの間統治するがトウモロコシの実る頃までに去り、その後には独立が訪れる』

12世紀、ジャワ島中部ボロブドゥール(世界遺産)、ジョコボヨ王の予言だそう。

マカッサルは観光地じゃないけど白い観光バスが時々街中を走っていく。

行先はわが家ホテルから15分ほどの"ロッテルダム要塞"。週末の駐車場には何台ものバスが停まっていることがある。

けど、マカッサルは観光地タナ・トラジャ(トラジャコーヒーの里、トラジャ族伝統家屋が多く残る桃源郷)への玄関口として、マカッサルを貫けてトラジャへと向かうバスを見送ることになるらしい。

桃源郷と言われるタナトラジャ

『ロッテルダム要塞』は約350年間オランダ植民地だった頃の唯一の名残。

Holland Bakeryオランダパン屋という人気チェーン店があるけどオランダ式パンを作っているわけではない。

バリ島にもある『オランダパン屋』

"ロッテルダム"という名前はまさにオランダ!
名前を聞いただけで『長崎ハウステンボス』をイメージする。

ロッテルダム要塞

"要塞"?
海を見張るための高台だったのかな?と思えるスポットはあるけど、大砲はない。高さ約7mの石壁にぐる~と囲まれた内部は異国情緒溢れる特別な空気に包まれている。

13の建物があり、そのうち11の建物は17世紀に建てられ17〜19世紀頃まで、主に商人、船長、首席秘書官、スラウェシ知事の住居として使用され、他に、19世紀半ばまで兵器保管庫や教会としても使用されていたみたい。

。。やっぱり"要塞"の役割はあまり果たしてないよーな?!だから?"要塞"という重苦しい文字からは想像できない、優しいそよ風が流れる、住民の"癒しの場所"となっている。

現在、建物は主に博物館として機能し、古代の武器、調理器具、スケッチなどの歴史的遺物を保管、他はガラ~ンとした空間の建物棟。

広場を歩いていたら現地ガイドさんが近づいてきて、私が日本人と分かっているかのように当時の日本人の話を始めた。

棟の一つは日本商館で、オランダ人が去った後に建てられ、インドネシア独立のために使われていたことを教えてくれた。

日本と深い関わりがあったロッテルダム要塞

短い(3年半?)日本占領の間、要塞はマカッサル人のための語学学校と農業分野で科学的研究のために使用され、日本人がインドネシア独立に大きく貢献していたことが、山ほどの資料に記されているらしい!

"戦争"という言葉の中には、悲しく辛いだけの破壊と心の『負の遺産』しか残っていないと思っていた私は、そのガイドさんの話にどれだけ救われ、感謝したことか!

日本人としてなんと誇らしい!

歩いているとき、地元の人たちから「こんにちは」ではなく「ありがとう!」と声をかけられ、一緒に写真を撮りたがる訳があったんだ。

買物中「ありがとう!」と言って買物カゴを持ってきてくれるスタッフの笑顔の理由が分かったよ。

"日本人LOVE"は私の勘違いじゃない、と改めて確信できた気がした。

そして、ぐーと熱い思いが迫ってきた。。

ここマカッサルで"ジョコボヨ王の予言"は『日本人がオランダ人を追い払い、私達を独立に導いてくれた!』という"ジョコボヨの日本人伝説"となって語り継がれていた。

「その時」の偉大な先人たちへ感謝、尊敬。。特別な深い思いを込めて。。

ー合掌ー

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