「やれるけど、やれば人生詰む」のが悩み
たまには写真の事も書く。
結論から言えば
InstagramのHUBでガンガンフィーチャーされるくらいの写真を撮りたい。実力アップしていきたいのだ。
承認欲求が強いのか?負けず嫌いなのか?
子供の頃から何かにつけて他人と競争する事、それに勝ち抜く事を教育されて来たと思ってる。良くも悪くも生存競争は生き物である以上勝った者しか生き残れない。なので、当然だと言えば当然の教育なんやけどね。
今、Instagramのアカウントをひとつ持ってる。そんなにフォロワーもいないけど、見てくれる人がいる事は幸せだと思う。
けど、その幸せとは別で、見てくれる人たちの写真のレベルがめっちゃ高い。これが悩みの種にもなっている。
運動部だった時も負けず嫌い
子供の頃から10年間。あるスポーツやってた。なのでスポーツに例えてしまうけど。
その人たちはインターハイや国体の常連レベル。
ぼくは県大会どころかその下の予選ですら、勝ち抜けないレベル。同列に比較する事がはなはだ間違いなのは重々承知。けれど、負けるの嫌なんよね…
勝ちたいと言うよりも、同じレベルになりたいが正直な気持ちかな?
プロレベルの人たちは、たくさん撮って考えて、費やしてきた時間も違う。誰かからレクチャーされて基礎のある人もいるし、絵や動画で基礎力つけてて静止画で実力の花を咲かして人もいる。
憧れる写真や尊敬する写真だからこそ、自分もこんなレベルの写真を撮りたい。撮れない自分にイライラしてる
⚫️ やれない理由よりやれる理由を探せばいいのもわかってる。
⚫️ そう、焦るモノではない!落ち着け!というのも分かってる。
実力のある人たちの背景もうっすら感じてる
インターハイや国体レベルの選手って、それだけにすべてをかけて何年も厳しい「訓練」に耐えてきた。もちろん、才能がある人がそれをやってきてる。
また、楽しいからこそ不休で没頭しても苦ではなく快感と言う選手も知っている。こっちの人の方が圧倒的に強いんやけど。
病気のせいにしてはいけないけど。。。
アラサーで発達障害の二次障害になり、そこからは70歳くらいの老人並みの疲れやすさ。
40過ぎて発達障害と判明したから、障害による「疲れやすさ」を知る。悲しいけど仕方ない。
二次障害がでる前は、不眠不休で夜は乳幼児期の子供、昼間は普通に仕事を1年くらいやれてた。あのポテンシャルが戻ってきて欲しい。
二次障害が出てしまった事で、発達障害の特性を堰き止めてたダムが決壊。豪雨被害を受けた被災地をイメージしている。
仕事に行って帰ってで精一杯。
まだ、仕事行けてるくらい回復してきたのが奇跡的に思う。
家事は自分じゃ出来ない。やれるけど疲れ果てて何も出来なくなる。
「やれるけどやったら詰む」
そんな自分が趣味でレベル上げたい。こう思うことっておこがましいようで、身勝手なようで。仕事ではスキルアップは望めない。
「やれるけどやったら2カ月ほどで人生詰む」
モヤモヤしたまま結論が出ないな…
- おしまい -
写真を撮ってる人と友だちになりたいです。よろしくね(^^)