きつね山の女の子 第一回
山元ときえ 作
るみなは、ふしぎなハンカチを一まいもっています。白地に、赤いコスモスの花が、一りんだけししゅうしてあるハンカチです。
もう、一年いじょうもつかっていて、せんたくをくりかえしているのに、赤いコスモスのししゅうは少しも色あせていません。たった今、糸をさしおえたばかりというように、つやつやとかがやいているのです。
そのハンカチは、るみなが小学二年生だったきょ年の秋、きつね山でいっしょにあそんだ、見知らぬ女の子からもらったのです。でも、るみなは、今でも思うのです。あの日、いっしょにあそんだ女の子は、もらったハンカチよりももっとふしぎな子だった、と。
一、くま太ズボン
るみなは、小学二年生。
長いかみを二本のみつあみにしたヘアスタイルが、よくにあっている女の子です。
すみきった水色の空が広がる、秋の日曜日。
るみなは、朝から上きげんでした。きのう、お母さんがデパートで買ってきてくれた、すてきなズボンをはいていたからです。
毛足の長い、ふかふかのフリースのズボンで、きれいな金茶色をしています。
るみなは、きのう、そのズボンをはじめて見たときから、気にいっていました。るみなのもっている大すきなくまのぬいぐるみと、色も、けがわのかんじも、よくにていたからです。
ぬいぐるみの名前は『くま太』。るみなの五さいのたんじょう日に、いなかのおばあちゃんが作ってくれたのです。くま太は、昼間は、るみなといっしょにあそび、夜は、るみなのとなりでねむる、なかよしです。
だから、るみなは、今朝、ズボンをはくと、すぐ、いいました。
「これ、『くま太ズボン』だ! はいていると、いつも、くま太といっしょにいるみたい!」
くま太ズボンをはいたら、どこかへ出かけたくてたまらなくなりました。
(どこへ行こうかな?)
るみなは、考えはじめました。
(そうだ! 『きつね山』なんて、どうだろう?)
きつね山というのは、るみなの家のすぐうらにある、山のことです。
今年の春、山のぼりに来ていた人が、年とったきつねを一ぴき目げきしたのです。そしたら、その日から、地元のテレビきょくの人たちが、大きなカメラをかたにのせて、何人も取材にやってきました。
「新しく開発された住宅街の山に、まだきつねがいるなんて、めずらしい」
と、いって。
そして、きつねのすがたがテレビニュースでながれると、うら山は、きつね山とよばれるようになったのです。
きつね山は、今では、テレビきょくの取材もなくなり、もとのしずかな山にもどっています。くま太ズボンをはいて行くには、ぴったりなばしょだと思えてきました。
(よーし。きつね山へ行くぞ!)
そうきめたるみなは、お昼ごはんを食べおわると、すぐ、
「ちょっと、外であそんでくる!」
といって、はねるようにげんかんへ走っていきました。
「るみな、くらくなるまでには、かならず帰ってくるのよ! それから、新しいズボンなんだから、一日で、よごしたり、やぶったりしないでよねー!」
くつをはいていると、おさらをあらっているお母さんの、しんぱいそうな声が、おいかけてきました。
「わかってる、わかってる!」
うるさいなあと思いながら、大きな声でへんじをしておきました。
二、きつね山へ行こう!
るみなは、元気よく、山道をのぼっていきました。
はちみつ色の日ざしに、山道のススキのほがキラキラ光っています。
きつね山は、きつねがすむくらいですから、かなりふかい山です。だけど、るみなが行こうとしているのは、ほんのすそ野にある、くぼ地でした。立ちならぶ木ぎのなかに、ぽっかりとあながあいたようにできたくぼ地です。小さな野原をかこむ、ひらべったいすりばちのような形をしています。
くぼ地は、今、歩いている山道が、ちょうどまがったところにありました。山道の右がわには、るみなの家と、家のそばのどうろが見え、左がわには、くぼ地につづくゆるやかな斜面があるのです。
斜面には、やわらかくてみじかい草が生えていました。それで、先週の日曜日には、お父さんといっしょに、ソリすべりをしてあそんだのです。
ソリといっても、ダンボールのソリです。ダンボールばこを切りひらいて、長方形に切り、まえの方にふたつあなをあけ、ビニールひもを通した、お父さんの手作りです。それでも、そのソリにのって斜面をすべりおりるのは、とても楽しかったのです。
ソリは、ゆるやかなカーブをえがきながら、斜面のしたの野原まで、すべりおりていきます。びゅーっと顔にあたる風は気もちよく、おちばでいっぱいの、ふかふかの野原が、ぐんぐん近づいてきます。
さいしょの一回だけ、お父さんとふたりのりをして、すべりおりました。でも、そのあとは、ひとりで、なんどもすべりました。そのたびに、
「るみな、すごいぞ! じょうず、じょうず」
お父さんが、パチパチはくしゅをして、ほめてくれました。
斜面のうえには、くぼ地をふちどるように、人が歩いてできた細い道があり、一周して、山道にもどれるようになっていました。そして、その道にそって、丸いつぼみをたくさんつけたコスモスが、ぐるりと生えていました。ゆらゆらゆれるつぼみたちも、るみなのソリすべりを、ほめてくれているみたいでした。
今日はダンボールのソリをもってこなかったので、ソリすべりはできないな、と思いました。でも、コスモスの花は、もう、さきはじめているかもしれません。野原では、赤や黄色のきれいなおちばや、どんぐりの実がひろえそうです。
つる草が、ぶらんと、首かざりみたいにたれている大きな木が、目のまえに見えました。あの木のあたりから、道がまがりはじめるのです。ソリあそびをした斜面は、もうすぐです。
赤いコスモスの花が一りん、手まねきするようにゆれています。
るみなは走りだしました。
でも、大きな木のそばまで走ったとき、ピタリと立ちどまってしまいました。
三、知らない子
知らない子が、いたからです。
るみなより、ひとつかふたつ年上くらいの女の子が、斜面のしたの野原に、ひざをかかえてすわっていたのです。
女の子は、ぼんやり考えごとをしているようでしたが、るみなに気づいて、ハッと顔をあげました。それから、だまって、じっと、るみなを見つめはじめたのです。
きゅうに強い風がふいてきて、山の木ぎがザワザワゆれはじめました。
なんだか、こわくなってきました。楽しみにしていたコスモスの花も、さいていたのは、あの赤い一りんだけです。あとは、まだ、丸いつぼみのまま。それで、るみなが、引きかえそうときめたときでした。
女の子がぱっと立ちあがり、声をはりあげて話しかけてきました。
「あんた、いいズボンをはいているねえ! あんたみたいな子をまっていたんだよ。いっしょに、あそぼう!」
るみなの、いなかのおばあちゃんみたいなことばづかいでしたが、明るく、はずむような声でした。
るみなは、ズボンをほめられてうれしくなり、女の子のそばへ、かけおりていきました。
四、ソリすべりのすきな女の子
女の子はベージュ色のセーターをきて、あらいざらして白っぽくなった、茶色のズボンをはいていました。ところどころ長さがちがう、へんてこなおかっぱ頭がふしぎとにあっている、色の白い子です。
「こんにちは」
ドキドキしながらあいさつをすると、女の子も、
「こんにちは」
と、あいさつをかえしてくれました。それから、ちょっとつりあがった目を細めて、もういちど、うっとりといったのです。
「ほんとうに、いいズボンをはいているねえ。色といい、毛なみのつやといい、どこからどう見ても、かんぺきな、きつねズボンだよ」
「きつねズボン?」
るみなは、びっくりして、大きな声をあげました。
「ちがうよ。これは、くまの、くま太ズボンだよ!」
そしたら、女の子も、チロンとよこ目でるみなをにらみ、いいかえしてきました。
「くま? あんた、おかしなことをいうねえ。ここは、きつね山なんだよ。きつね山に、はいてくるズボンは、みーんなきつねズボンって、きまってるんだよ」
「そんなきまりなんて、知らないよ!」
るみなは、はらがたって、くるっと、女の子にせをむけました。家に帰ろうと思ったのです。
すると、きゅうに、きげんをとるようなねこなで声になって、女の子がいいました。
「ねえ、ソリすべりをしようよ」
「ソリすべり?」
るみながふりかえると、女の子は、にっとわらって、うなずきました。
「でも、ソリがないでしょ?」
と、聞くと、
「ソリなら、ほら、あそこに。ちゃーんとあるよ!」
女の子は、るみながおりてきた、むかいがわの斜面を指さしました。
斜面のうえには、たしかにソリがおいてありました。ダンボールのソリでしたが、まるで、るみなが来るのがわかっていたみたいに、ぴったりふたつ。
「ね。だから、やろうよ!」
女の子は、るみなの手をひっぱります。
「でも‥‥」
るみなは、お気にいりのくま太ズボンのことを考えて、まよいました。ソリすべりをしたら、くま太ズボンが、よごれたり、やぶれたりしそうです。
出がけに聞いた、お母さんのことばも、耳のおくにのこっています。
女の子が、るみなの心のなかが見えたみたいにいいました。
「あんたの、すてきなズボンをよごしゃしないかと、しんぱいしているんだろ? だいじょうぶ! ソリにのっているんだもん。草のしみひとつ、かぎざきひとつ、できやしないよ」
「そうかなあ‥‥」
まだ、まよっているるみなに、女の子は、じれったそうにいいました。
「ねえ、やろうよ! ここに来て、ソリすべりをしないなんて、大ぞんだよ。
あんただって、ほんとうは、ソリすべりが大すきなんだろ? 先週の日曜日、あんたがここで、とてもじょうずにソリすべりをしているのを見かけたよ。ふたりですべったら、きっと、すごくすごーく楽しいよ!」
女の子は、どうしてだか、とても、るみなとソリすべりがしたいみたいでした。女の子の目はしんけんで、きらきらとかがやいています。その目を見ているうちに、るみなも、だんだん、ソリすべりがしたくてたまらなくなってきました。
「うん。やろう!」
るみなは、とうとう、大きな声でせんげんしました。
「ヤッホー!」
女の子は、ほんとうにうれしそうにとびあがると、ソリにのるために、斜面をかけのぼりはじめました。
「まってよおー!」
るみなも、いそいで女の子のあとをおいかけました。
五、ふしぎなソリすべり
ダンボールのソリには、どちらにも、白いビニールのひもがついていました。先週、お父さんが作ってくれたソリに、とてもよくにています。
るみなは、またがるようにソリにのると、まえを少しおって、ビニールのひもを、たづなみたいに、つかみました。
「一、二の三! で、いっしょにすべりおりようよ」
となりで、おなじようにソリにのった女の子がいいました。
「うん。いいよ」
「それじゃ、一、二の三!」
るみなも、女の子も、じめんをけると、足をサッとソリにのせました。
ふたりのソリは、そろってすべりだしました。
先週より、少し風が強いせいでしょう。顔にあたる風は、ビュンビュンとはげしく、斜面のうえのコスモスは、ザワザワ声をたてて、わらいころげているようでした。
そして、るみなも、ソリがすべりだしたときから、クスクスわらっていました。ソリが土のこぶにのりあげて、ちょっとういたようなかんじになったときも、ちっともこわくなくて、わらっていました。
ソリが止まって、おちばでいっぱいの野原に体がなげだされたときも、クスクスわらいはつづいていました。まるで、だれかにまほうをかけられたみたいに楽しくて、るみなは、おちばのうえを、ゴロゴロころがりはじめました。
そしたら、女の子も、ゴロゴロころがりはじめ、いつのまにか、ふたりは野原にねそべって、大きな声でわらいあっていました。
二回目のソリすべりのときには、となりですべっている女の子が、大声で、へんてこな歌をうたいだしたので、また、わらってしまいました。
それは、こんな歌でした。
とりかえっこ とりかえっこ
ホーイ ホイ!
ふるい けがわと あたらしい ずぼん
ふるい ずぼんと あたらしい けがわ
とりかえっこ とりかえっこ
ソーレ ソレ!
歌は、ソリがすべりだしてから、野原のまんなかあたりで止まるまでのあいだに、ちょうど、うたいおわる長さでした。
歌詞はかんたんだし、ふしまわしがおもしろくて、いちど聞いたら、すぐにおぼえられる歌でした。とくに、ホーイホイ! と、ソーレソレ! という、かけ声のところなんか。
だから、三回目のソリすべりをするために、ソリをもって、斜面のうえにのぼったとき、
「おもしろい歌だねえ!」
と、るみなは、女の子にいいました。すると、女の子は、キラリと目を光らせ、
「気にいったかい? じゃあ、つぎは、あんたもいっしょにうたおうよ。ふたりでいっしょにうたったら、ソリすべりが、もっともっとおもしろくなるよ!」
と、さそってきました。
「うん、いいよ! あの歌は、わたし、もう、ぜーんぶおぼえたもん」
るみなが、じしんまんまんにいうと、女の子は、ぱあっとえがおになっていいました。
「あんた、なかなかやるじゃないか! それじゃ、スタートとどうじに、うたいだすよ。
ほら、せーの!」
「とりかえっこ とりかえっこ
ホーイ ホイ!‥‥」
ふたりでうたいながら、ソリすべりをはじめると、るみなには、なぜか、ふしぎなけしきが見えてきました。黄色やオレンジ色に紅葉したはっぱが、ひらひらとまいおちている、どこかのふかい山のなかのけしきです。
るみなのソリは、その山のなかの一本道を、すべりおりているのです。顔にあたるひんやりとした風は、山のおちばと、きのこのにおいがします。鳥の声も、聞こえてきます。
だけど、歌がおわってソリが止まり、体がなげだされると‥‥。そこは、ふかい山のなかではなく、斜面のしたの、おちばでいっぱいの野原なのでした。
それで、つぎのソリすべりのときも、そのつぎのソリすべりのときも、うたわずにはいられなくなりました。
「もういちど!」
「もういちど!」
そういいあって、るみなと女の子は、いったい何回、うたいながらソリすべりをしたでしょうか。
つめたい風が、ふいてきました。
ソリが止まって、おちばのうえになげだされていたるみなは、ハッと、われにかえりました。
空は、いつのまにか、バラ色の夕やけにそまっています。
六、くらくなった帰り道
るみなは、あわててとびおきました。
「わたし、そろそろ帰らなくちゃ! くらくなるまでに家に帰るって、お母さんとやくそくしたの」
少しおくれて立ちあがった女の子に、早口でいいました。
ひきとめられるかなと、しんぱいでしたが、女の子は、もう、ひきとめようとはしませんでした。そのかわり、るみなの手をりょう手でしっかりにぎり、こんなことをいいました。
「ありがとう。あんたのおかげで、やっと、月見山へ行けるよ」
それから、ほとんど聞きとれないくらいの小さな声で、
「ごめんね‥‥」
と、つぶやいたのです。
「え?」
るみなは、わけがわからなくて、聞きかえしました。ところが、女の子は、ごまかすように、にっとわらうと、足もとにおちていた赤いコスモスの花をひろいあげました。そして、
「ほーら。今日の、楽しかったソリすべりのおれいに、これをあげるよ。
かれない花だよ」
といって、るみなの水色のカーデガンの、むねポケットにさしてくれました。
「さあ、早くお帰り。お母さんとのやくそくが、あるんだろ」
女の子は、るみなの頭やせなかについたかれはを、そっと、はらってくれました。
バラ色だった夕やけは、もう、ずいぶん黒ずんでいます。
「さようなら!」
るみなは、かけだしました。
斜面をかけのぼって、ふりかえると、女の子はまだ、さっきとおなじばしょにぽつんと立って、手をふってくれていました。
るみなも手をふりかえしてから、また、走りだしました。
秋の日がくれるのは、あっというまです。山道をかけおりるちょっとのあいだにも、あたりは、どんどんくらくなっていきます。
でも、るみなは、少しもこわくありませんでした。さっきの、ソリすべりのときの楽しかった気もちが、心のなかに、ぽっと、明かりのようにのこっていたからです。
(あの女の子、どこの子だったのかなあ。そういえば、名前を聞いてなかったな。だけど、いいよね。きっと、また、会えるよね)
そんなことを考えながら走っているうちに、家に帰りつきました。
第2回へ つづく
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