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[辛かったシリーズ]会社員時代の話 #3

自分の市場価値を正確に把握しきれない私×とにかく人を雇ってみて考えるワンマン社長。

当時、一番被害を被ったのは先輩デザイナーだったと思いますし、
今も思い出すたびに申し訳ない気持ちでいっぱいなります。

3社目は、Apple関連製品をECサイトで販売している会社でした。

今は珍しくもなんともないと思うのですが、20年前の当時はまだApple製品が市場に出回ってない時代で、新しいことをやっている楽しそうな会社だ!という勝手な思い込みのもと未経験で飛び込んだのでした。

ただ困ったことの一つに、社長がとにかく無理難題を私たちに持ちかけてくることでした。笑

この会社はデザイナーが2人、開発も2人、全10人程度の小さな会社でしたので社長が直々に話を持ちかけてくることがよくあったのですが、
例えばその日は、
犬が好きだからという理由で、前々から展開したいと思っていたという、ペット関連商品のEC展開の話を私たちに持ちかけてきたのでした。

AmazonのようなECを考えてみろ!と無理難題を申しつけられて本当に困ってしまったのですが(しかも忙しい業務の合間に考えなければなりません。)

ビジネスの知識もないただのデザイナーの私たちが、AmazonみたいなすごいECを私たちが突然作れるわけがないだろう、、、って

そんな感じでよくその社長には困らされていました。

別の日には、社員全員の飲み会があった時に
たまたま席の順番が社長の隣になってしまうタイミングがありました。

そうしたら、社長はすかさず、「君、話はできるのかね?」と言ってくることがありました。
最初意味がわからず、答えに困っていたところ先輩社員が手招きをしてくれるのでそちらに向かうと、他の女性社員がすかさず私と交代するかのようにそちらに向かったのでした。

そうか、社長は話が上手な女性を隣に置きたかったのか。。。最終的に合点することができました。
その上手という意味には、話が面白いという以外にも、社長が気持ちよくなれるような話題を提供できるという意味合いも含んでいたのだと思います。

私は本当にこの社長が嫌いでした。相手の気持ちを全く尊重しない人です。
自分の発言で相手はどう思うかなどの配慮が全くできないのだと思いました。

だけれど悲しいことに、その時の自分は対抗できるような術を一つも持っていなかったのです。

会社の一員として、デザインがすごくできる訳でもなく、明るい訳でもなく、学歴や体力が秀でている訳でもない。
ただの若いデザイナーでしかない。

そのことが、自分にとって一番受け入れ難い事実でした。
(もちろん今の自分は、若いことそのものが貴重なことで、可能性しかないと信じています笑)

その後、ある会議があった時に、飛び交う専門用語がまるっきしわからないと思い、それが退社を決意するきっかけになりました。ちょうど試用期間が終わるタイミングだったというのもあります。

コードが書ける程度の知識しかなかった私は、phpやMySQL(データベース)のことを何の話をしているのか分からず、会話の内容がちんぷんかんぷんだったのです。

また、会社を辞めてしまった。。。たった、3年程度で3社も。
そのことでしばらく塞ぎ込んでしまう自分がいました。

あーなんて自分はダメ人間なんだ。っと思って
続く


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