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ハンドクの話(実母の話)

タイトルを見て〈???〉となった方もいらっしゃると思います。
この〈ハンドク〉、私が勝手に作った造語です。
これは私の実母のことを指します。どういうことかと申しますと、
〈私のお母さんって世に言う毒親だったのかな?でも自分の親をそんなふうに思いたくない〉と苦しみ悩みながら私が自分自身に出した案なのです

私の母は半分毒親だった?・・じゃあ、ハンドクかな。といった感じです。

毒親という言葉が普通に聞かれるようになったのは大人になってからのことですので、子供の頃は漠然と〈うちのお母さん、何か変じゃない?〉と思いながら生きてきました。

衣食住や学校のことはちゃんとしてくれたし、悩んでいる時に話も聞いてくれた。
でも、1年中、毎日汚い言葉使いでヒステリックに怒鳴っていた。その矛先のほとんどが父だったのですが、時々私や兄に向かうこともありました。

それに加え過干渉は私が結婚して実家を出るまで続きました。
行く短大を決めたのも母が実家から出るのを許してくれなかったからだし、
社会人になってからも家を出たいということは言いだせなかった。
短大に入り恋人ができた時は、なぜかなじられ、デートに行くときに〈行ってきます〉と言っても無視され続けました。
なのにデートに出かけている間は毎回必ず1本(多くて2本)の電話が入り、〈今日は何時に帰るの〉と怒鳴り口調で言われました。
そんなことをされているうちに自分がしていること(異性とのデートなど)に罪悪感を覚えるようになっていきました。
そして1度目の結婚を決めた時は強く反対され、押し切って結婚。結局その結婚は破綻し、実家に帰ったのですが、そのことを毎日責められるようになりました。これは私にも責任がありますが、毎日〈だからやめとけっていったのに・・〉と言われ続けました。
ここで少し余談ですが離婚した元夫の母(私の元姑さん)なんですが、大変癖の強い方ではありましたが、怒ったところは一度も見たことがなく、精神が安定していた方だったと記憶しています。それでも夫婦は破綻しましたが。
その姑と暮らして、〈世間のお母さんって普通はこんな穏やかな感じなのかな〉と感じたのを覚えています。


その後2度目の結婚を決めた時も母は現夫のことを悪く言っていた記憶があります。(その後、夫とうちの母は仲良しになりました)

2度目の現夫との結婚で実家を離れた私は、少しずつ穏やかな生活に安心感を覚えるようになり、今も穏やかに生きることができています。本当に夫には感謝しています。
結婚後は実家に月に1度は世間話しをしに帰省し、母といい距離関係になりました。
今思えば、母の手を振り払ってでも短大卒業後に家を出れば良かったのかなと思います。1度目の離婚の時も結局実家に帰ったので私にも母に依存している部分があったのかも知れません。

母の晩年

母が穏やかになってきたなと感じたのは私が結婚後、実家を離れてからなのですが、病気が発覚してからは、さらに穏やかな関係になったかなと思います。
若い時は〈お母さんが老後なにかあったら私は進んで介護できるのかな〉
と不安に思った時もありましたが、実際そうなった時は、私の中に見捨てる気持ちなどまったく起きず、最後まで母の世話を続けました。なので後悔はありません。

結局

結局母が毒親だったのか自分でも分からないまま(認めたくないまま)今に至ります。
不器用ながらも一生懸命子供に向き合ってくれた母だった。でも思い出したくない記憶がたくさんあるのも事実。なので人には言いませんが自分の心の中では、私の母はハンドクだったな。と思うようにしているのです。






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