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【大人の発達障害】私の幼少期

「普通」から日々遠ざかっているような。
でも、私にできることもあるはず。

母に幼少期(小学生まで)の様子について聞いてみました。
母からの聞き取りと、私が思い出した記憶↓

・育てにくさは特に感じなかった(手がかからなかった)
・出掛けると、行きにいつも「何時に帰るか」聞いていた
・旅行に行っても、思い出話をする頃には記憶になかった
・「旅行行っても忘れるから留守番する」と言い出して怒られてた
・勝手口のスリッパを必ず履く向きに直していた(家族で私だけだったようで、褒められてた)
・祖母の家事手伝いを自らよくしていた
・祖母がお小遣いを渡そうとすると断って怒られてた
・読めない漢字も前後から推測して読んでいた
・看板の文字に興味があり、車では看板ばかり目で追っては声に出して読んでいた
・何回通っても道が覚えられない
・お店では買わないのに、お店から出ると欲しくなって泣き出すけど、結局買わない
・宿題をしない
・忘れ物が多い
・校庭まで着いてるのになかなか教室に入らず遅刻常習犯
・成績は良かった
・朝起きられない
・寝起きが悪い
・登校時間にはほとんど間に合わなかった
・おねしょが多かった(最後のおねしょは高校生(笑))
・年齢が上がるごとにひとり遊びが好きになっていた
・男の子とのカードゲーム(遊戯王)にハマっていた
・ハマるととことん収集する
・学校から帰るといつも祖父と時代劇を見ていた

これは、どうなんだろう。笑
母は、これらを個性・性格と捉えていたから幼少期に発達支援等を受けることはなかった。

それが今や、発達障害当事者。
なにか幼少期にヒントはあったのだろうか。

ちなみに、先日妹から聞き取りをした際には

・ロウソクに火をつけて眺めてた印象が強い
・よく押し入れで寝てた
・兄との喧嘩の仲裁してたのにいつの間にか喧嘩の当事者になってた

くらいの情報しかでてこなかった。

何かの役に立つ情報なんかな。

ちなみに、中学と高校は半分近く不登校。
好きな時間に行って帰ることが多かった。
理由は、したいと思わないとできないから。
高校では、教室では酸欠で息がしにくくなるからよく保健室の廊下にいた。
(家の最寄り駅≫電車≫高校の最寄り駅≫徒歩30〜40分)駅にお弁当忘れたことに気づいたのが高校の目の前で、誰にも連絡も伝えもせずにお弁当取りに駅まで戻って、また歩いて高校へ。着いたのが10時くらいで、学校行ったはずだし・学校来てないしで騒ぎになったこともあった。
高校の学祭・修学旅行・卒業式は参加してない(準備には参加した)
授業も発表の日は欠席。
雨の日は出席率低め。

高校の頃から、煙草や自傷行為が始まった。
でも、帰りにパンを食べてると、通りすがりの人に「美味しそうに食べるな〜」って、違う人に何回も言われたことあるから、美味しそうに食べてたんかな。

不登校ながらギリ卒業できて、国立大学に謎に受かって引っ越し。初の独り暮らし。
原チャの納車当日に壊してそのまま数日修理。
家の鍵は基本的に開けっぱ
大学で友だちもできたけど、煩わしくなって疎遠になっていく。
学祭実行委員と軟式テニス部と弓道部を掛けもち。
バイトは最高3ヶ所掛け持ちで、塾講師と居酒屋×2

小学生の頃から、人に道を聞かれる率が高い
(今でもたまに聞かれる)

書き出してみたけど、なんの結論もでん。

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