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スキーの歴史に触れてみて

こんにちは。

笑うと梅干し顔になる男。佐々木玄です。

今回は、スキーの歴史的人物のご紹介と、スキーの歴史に少し触れ、私が感じた事を書きました。

それでは、ご賞味あれ。

今回ご紹介するスキーの歴史的人物は、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人、デオドール・エラード・フォン・レルヒ大先輩です。日本のスキー界では「レルヒ少佐」と慣れ親しまれているのではないでしょうか。(以下レルヒ少佐)公的には、レルヒ少佐が日本に初めてスキー技術を伝えた人物だとされています。

レルヒ少佐は、日露戦争に勝利した日本の軍事視察を目的に1910(明治43)年に来日しました。この約10年前には「八甲田雪中行軍遭難事故」という、痛ましい雪山での遭難事件が発生しています。 原因としては、天候悪化はもちろんのこと、資材を運んだりするソリの装備の難しさや炊事作業の困難など、あらゆる悪い要因が重なったことです。 最終的に210名いた行軍が1名しか生き残れなかった、という大事故となりました。八甲田遭難事故の辛い経験から日本陸軍はレルヒ少佐のスキー技術に注目し、1911(明治44)年に新潟県の高田町でスキー技術をレルヒ少佐から教わりました。1912(明治45)年2月、旭川の第7師団に着任。スキー研究会を結成して指導を行うとともに、スキーの普及に努めました。レルヒ少佐はアルペンスキーの創始者のマティアス・ツダルスキー氏の弟子でもあり、とてもスキー技術の長けた人でした。レルヒ少佐は、1本ストックで2枚のスキー板で滑る方法「一本杖スキー技術」を伝授しましたが、その方法は「リリエンフェルト式スキー術(別名:オーストリア式スキー術)」と呼ばれるもので、日本の地形を目にしたレルヒ少佐が当時世界の主流だったノルウェー式ではなくて、山岳スキー術のリリエンフェルト式を教えたとされています。

元々は軍事目的で伝えられたスキー技術ですが、その後、徐々に日本国内でスキーが普及し始め1923年には第1回の全日本スキー選手権大会が小樽で開催されるなど、日本でもとても人気なウィンタースポーツ・レジャーとなったのです。この様に私達がスキーを楽しめているのはレルヒ少佐のお陰とも言えます。

レルヒ少佐は、私が住むニセコ町のお隣の倶知安町にも足を運んだそうです。倶知安町にはレルヒ少佐の像があります。そして、レルヒ少佐は羊蹄山で登山をしたそうです。きっとスキーもしたのではないでしょうか。羊蹄山を滑る時には、レルヒ少佐がどこを滑ったのか、そんな事を考えながら滑るのもなんだか面白いですね。

1900年代以降は、目まぐるしいスピードでスキーの技術が発展していったために、当然スキー用具も進化していきました。これにより今の様にスキーを履き、物凄いパフォーマンスをする事が可能になったのです。


話は変わりますが、スキーの歴史は長いのでしょうか。短いのでしょうか。私はまだまだ勉強不足なので確かな事は言えませんが、スキーの原型となった物(移動や狩猟のために使用していた2本の木の板)は遥か前から存在していた様です。

(以下Wikipediaから引用)
スキーの発祥は、紀元前2500年頃から積雪期に交通手段、あるいは狩人が獲物を追って雪の山野を移動する手段であると推定されており、古代のスキーと思われるものが北欧をはじめとしてシベリア・中国・朝鮮半島・樺太など広範囲で発見されている。
中国では、紀元前8000年頃の壁画にスキーをしていると考えられる姿が描かれていた。ロシアでは、紀元前6000年頃のスキーの遺跡が発掘されている。ノルウェーのスカンディナヴィア半島では、紀元前2500年頃の壁画に狩りをする人達のスキーを履いた姿が描かれている。その他にもスカンディナビア半島の丘陵地に住む人々の間にスキーの神としてウルとスカディが伝承されている。その他にも、樺太や沿海州のアイヌ民族が用いた「ストー」や、朝鮮半島の山岳地帯で用いられた「ソルメ」など、雪上を歩き、滑走する機能を持つスキーの原型と考えられている。日本での古いスキーの記述は、1794年に菅江真澄が描いた「立ちソリ」や1808年に間宮林蔵が樺太から沿海州方面を探検したのちに表した『北蝦夷図説』の中にある、スキーを履いている樺太アイヌの図がある。

スキーの歴史は、どこをスタートにするかによって長い物にも短い物にもなりそうですね。


この様にスキーの歴史に触れてみて、私が感じた事とは・・・

フリーライドスキーは、新しいスキースタイルの様に捉えられがちだと思います。世の中ではあまり認知されておらず、見た人は「こんなスキースタイルがあるのか!」などと思う事でしょう。しかし、フリーライドスキーは本当に新しいスキースタイルなのでしょうか。
今ではフリーライドスキーと呼ばれていますが、元々はエクストリームスキーと呼ばれていました。実はこの様なスキースタイルは新しものでは無く昔からあったのではないでしょうか。

昔のスキー写真を見てみると、パウダーに刻まれた数本の美しいシュプール。その横に「ぴょん」と可愛らしく飛んだのが分かるシュプールがありました。そのシュプールはまさにフリーライディングそのものの様に感じます。つまりスキーを履いてジャンプをしたり、ユニークな滑り方をして自由に遊ぶと言う事は、昔から慣れ親しまれていた事なんだと思います。考えてみてください。スキーを履いた子供達はどんな風に遊んでいますか?単に斜面を滑るだけでなく、自由な発想でジャンプをしたり、壁を滑ったりと、まさにフリーライドスキーを楽しんでいます。フリーライドスキーとは、単に数あるスキーカテゴリーの一つと言うことだけではなく、スキーの新しい可能性を広げる自由なマインドそのものの事の様にも思えます。

また、パウダーを滑る事に関しても同じ様な事が言えると思います。バックカントリースキーと言うのも「ここ最近になって人気が出て来た、発展して来た」と思われがちだと思います。確かにバックカントリースキーと言う呼び方は、新しいものが知れません。しかし、昔はピステンが無く圧雪された斜面はありませんでした。つまり、パウダーを滑る事が当たり前だったのです。この様にスキーの歴史や文化を知ると、また違った視点からスキーを楽しみ、感じる事が出来そうですね。

スキー最高です。

これから来たる2024/2025シーズンに向けて、この夏から気持ちを昂らせていきましょう!

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