2024年8月28日に発表された自然利子率に関する日銀の論文について

日銀が今日「自然利子率の計測をめぐる近年の動向」というタイトルの論文を発表した。

数多くある自然利子率モデルを以下の4つのカテゴリー化して説明している。

1. 時系列モデル

概要: 金利データの長期トレンドを抽出し、そのトレンドを自然利子率と見なす方法です。このモデルは、過去のデータに基づいて金利の傾向を捉えるため、比較的シンプル。

  • メリット: 経済理論に依存せず、実際のデータに基づくシンプルで計算速度が早い。

  • デメリット: 経済の構造変化や短期的な要因を十分に反映しない可能性がある。

2. 期間構造モデル

概要: 金利の期間構造(イールドカーブ)の情報を使って、将来の実質短期金利の予想を推計するモデル。金利の各期間に対応するプレミアム(リスクプレミアムなど)を除去し、自然利子率を導き出す。

  • メリット: 市場の期待に基づいて推計されるため、将来の金利動向を反映しやすい。

  • デメリット: プレミアムの推計が難しく、特に長期金利では不確実性が高まる傾向があります。

先日の投稿はこの期間構造モデルに近い。

3. 準構造モデル

概要: IS曲線やフィリップス曲線など、経済の基本的な構造を仮定し、需給ギャップがゼロになる利子率として自然利子率を推計する。

  • メリット: 経済理論に基づいており、経済全体の動向を反映しやすい。

  • デメリット: 仮定が多く、モデルに依存した推計結果になることが多い。

4. 構造モデル

概要: 家計や企業の行動をミクロ経済的に捉え、動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどを用いて、価格が完全に伸縮する均衡における利子率として自然利子率を推計します。

  • メリット: 経済理論に厳密に基づいており、政策シミュレーションなどが可能。更に要因分解できる事が強み。

  • デメリット: モデルが複雑で、推計には多くのデータと仮定が必要で、日本においては得にインフレ期待値のデータを作るのに更にモデルを必要とすることが多い等と、大変。


日銀は実際に6つのモデルを実装して計算した自然利子率をエクセルファイルで公表したので、チャートにして、それぞれのモデルについて纏める。
個人的には、岡崎・須藤モデルが一番好き。
(結構長くなってしまったのご注意)

それぞれのモデルの推移

HLWモデル

Holston, Laubach, and Williamsによって開発されたモデル。このモデルは、経済の構造を明示的に仮定し、経済の需給ギャップがゼロになる中立的な金利が、自然利子率としてを推計する。HLWモデルは、多くの中央銀行で広く使われいる。

主な特徴:

  1. 準構造モデル: HLWモデルは、IS曲線やフィリップス曲線といった、経済理論に基づく構造方程式を用いる。これらの方程式を用いて、需給ギャップを表し、そのギャップがゼロになる金利水準を自然利子率とする。

  2. カルマン・フィルターの使用: モデル内でカルマン・フィルターを使用し、実際の経済データ(GDPやインフレ率)から、時々刻々と変化する自然利子率を推計する。これにより、経済データの不確実性を取り込みながらリアルタイムでの推計が可能となる。

  3. 自然利子率と潜在成長率の関係: 長期的には自然利子率は潜在成長率に一致するという考え方を仮定としている。需要と供給のバランスが取れる経済成長率に対応する金利を自然利子率と捉える。

  4. 短期と長期の要因: 短期的な金利の動きは、需給ギャップやインフレの変動など、経済の短期的な要因による影響が大きいが、HLWモデルはこれらを考慮しつつ、長期的な自然利子率を推計する仕組みである。

メリット:

  • 実証的かつ理論的な基盤: HLWモデルは経済理論に基づいており、需給ギャップやインフレ率の動きと整合的な自然利子率を推計できるため、経済の実態を反映しやすい。

  • 実際の経済データに即した推計: GDPやインフレなどのリアルタイムデータを使って推計するため、現実的な政策評価が可能。

デメリット:

  • 推計値の不確実性: 自然利子率の推計はデータに依存しており、特に新しいデータが追加されると過去の推計値が変わる「リアルタイム問題」が存在する

  • モデル依存: IS曲線やフィリップス曲線の仮定に依存するため、経済構造が大きく変化した場合に対応しきれない可能性がある。実際にフィリップスカーブが非常にフラットな日本において、このモデルが出す現在の自然利子率は肌感よりもだいぶ高く出ている印象。

Goy and Iwasakiモデル

自然利子率を推計するためのモデルの1つで、均衡イールドカーブ(Equilibrium Yield Curve)の推計に焦点を当てている。このモデルは、イールドカーブ全体の構造を考慮し、短期だけでなく、長期の金利を含めた実質金利の動向を捉えるやり方。

主な特徴:

  1. ネルソン・シーゲル・モデルとの組み合わせ: Goy and Iwasakiモデルは、ネルソン・シーゲル・モデルというイールドカーブの形状を水準、傾き、曲率の3つの要因に分解する手法を使い、これにマクロ経済モデルを組み合わせて、各年限の実質金利を弾き出す。

  2. 共通トレンドの抽出: 実質金利や名目金利、インフレ率、インフレ予想のデータから、共通するトレンドを抽出して、それらを元に各年限の均衡利子率(均衡イールドカーブ)を推定。このトレンドに基づくアプローチにより、短期的な経済ショックや市場の変動に左右されにくい自然利子率を導き出す事ができる。

  3. 長期年限の自然利子率: Goy and Iwasakiモデルでは、短期の実質金利だけでなく、長期の自然利子率も推定できる。よって長期の金融政策や経済動向を評価するのに適している。これにより、政策金利だけに依存せず、長期の金利変動に基づいた金融政策の評価が可能。

メリット:

  • 長期視点の自然利子率の推計: 他のモデルが短期的な推計に限定されがちなのに対し、このモデルは長期的な金利も推計するため、金融政策の効果を長期的に評価するのに役立つ。

  • 経済データの多様な利用: 単純な金利データに加え、インフレ率やインフレ予想のデータを利用することで、より精緻な推計を可能にする。

Nakajima et al. モデル

準構造モデル。このモデルは、HLWモデルのような準構造的アプローチを基にしているが、長期金利を含めたイールドカーブ全体のバランスを評価できるように設計されてる。

主な特徴:

  1. 均衡イールドカーブ: Nakajima et al. モデルは、経済全体の需給バランスを考慮した均衡イールドカーブの推計に焦点を当ててる。このカーブは、各年限における金利が中立的な水準にある場合を示す。短期金利だけでなく、長期金利を含むイールドカーブ全体が均衡しているとき、金融政策の中立性を判断できるという考え方。

  2. IS曲線の修正: 標準的なHLWモデルのIS曲線に、イールドカーブの水準、傾き、曲率といった情報を組み込み、長期金利の影響も考慮する。具体的には、イールドカーブの3つの要因(水準要因、傾き要因、曲率要因)が需給ギャップに与える影響をモデル化している。

  3. 長期的視点での自然利子率推計: 短期的な経済ショックの影響だけでなく、長期的な経済環境を反映した推計が可能。これにより、単なる短期的な政策金利だけでなく、長期の金融政策の影響や見通しをより包括的に評価できる。

  4. 異なる仮定の比較: このモデルは、自然利子率 を推計する際に、潜在GDPの水準に依存するアプローチと、潜在GDPの成長率に依存するアプローチを比較している。よって、経済成長と自然利子率の関係をさまざまな角度から評価できる。

メリット:

  • 長期的な視点を強化: 単なる短期的な自然利子率だけでなく、長期的な自然利子率やイールドカーブ全体を評価できるため、金融政策の長期的な効果をより詳細に評価することが可能。

  • イールドカーブ全体の評価: 金利の水準や傾きだけでなく、曲率も考慮しているため、従来のモデルよりも市場の金利全体の動きを捉えることができる。

デメリット:

  • 複雑性: 複数の要因を組み合わせて推計するため、モデルの構造が複雑であり、推計には多くのデータと仮定が必要。また、結果の解釈にも慎重さが求められる。

  • 不確実性: 他のモデルと同様に、推計には不確実性があり、特に新しいデータが追加された際には、過去の推計結果が変更される可能性がある。

今久保・小島・中島モデル

均衡イールドカーブ(Equilibrium Yield Curve)モデルの一つ。このモデルは、短期的な自然利子率の推計に留まらず、長期的な金利構造(イールドカーブ)の全体像を評価することを目指して設計されている。

主な特徴:

  1. 均衡イールドカーブの推計: 金利のイールドカーブ全体を考慮して、各年限の均衡実質金利を推計する。具体的には、短期だけでなく長期の金利に至るまでの中立的な水準を示す均衡イールドカーブを推計し、これが現実のイールドカーブとどの程度乖離しているかを評価する。これは、金融政策の長期的な影響を評価する際に有用と言われている。

  2. IS曲線の拡張: モデルは、標準的なIS曲線に基づいているが、金利の水準、傾き、曲率という3つの要因を考慮することで、短期的な実質金利の動向だけでなく、長期的な金利の構造変化も評価できるようになっている。

  3. イールドカーブの要因分解: イールドカーブの形状を3つの要因(水準要因、傾き要因、曲率要因)に分解し、均衡実質金利の推計がイールドカーブ全体に対応する形で行われ、短期金利のみに偏らない包括的な評価が可能。

  4. 景気中立的なイールドカーブ: 現実のイールドカーブと均衡イールドカーブの乖離を分析し、金融環境が中立的かどうかを判断する。

メリット:

  1. 長期金利の評価: 通常の自然利子率モデルが短期金利に重点を置くのに対し、今久保・小島・中島モデルは長期金利も含めた評価を行うため、長期的な金融政策の効果や経済動向をより詳細に分析できる。

  2. 包括的な金融政策評価: 短期金利だけでなく、イールドカーブ全体を通じて、金融政策がどのように経済に影響を与えているかを評価できるため、よりバランスの取れた金融政策運営が可能。よって、誰どう見ても失敗だった日銀の政策(特にYCC)が効果的だったという事を示すのによく使われる。

  3. イールドカーブ全体のバランスを評価: 金利の水準や傾き、曲率の要素を個別に分解して評価できるため、政策金利が適正であるかどうかだけでなく、市場全体の金利構造の適正さを確認できる。

Nakajima et alモデルと今久保・小島・中島モデルの違い

今久保・小島・中島モデルは、短期から長期の金利全体を重視し、金融政策の長期的な影響を評価するために最適化されている。長期の経済動向や市場の金利構造を分析する際に有効。
Nakajima et al. モデルは、短期的な潜在成長率と自然利子率の関係に焦点を当て、成長率と金利の相互作用を分析することに優れている。経済成長と金利のバランスを分析する際に適している。
両者は自然利子率の推計を行う上で補完的な役割を果たしており、経済の短期と長期の視点から異なる洞察を提供する。

岡崎・須藤モデル

主にDSGEモデル(動学的確率的一般均衡モデル)を基にしている。このモデルは、他のモデルに比べて、経済全体の動的な振る舞いとミクロ経済学的な基礎に基づいており、特に人口動態金融市場の不完全性を明示的に考慮している。金融・人口動態・需要・生産性・投資特殊技術の要因分解が可能。

主な特徴:

  1. DSGEモデルに基づく推計: ニューケインジアンのDSGEモデルに基づいている。これは、経済主体(家計や企業)が未来を予想して合理的に意思決定を行い、それに基づいて価格設定や生産が行われるという、経済全体の動学的均衡を捉えるモデル。このモデルを利用することで、経済全体のメカニズムに基づいて自然利子率を推計できる。

  2. 人口動態の影響を考慮: 特に人口動態(少子高齢化など)を自然利子率に影響を与える要因として明示的に組み込んでる。人口動態が経済に与える影響は、自然利子率の長期的な動向に大きく影響するとされており、特に日本のように少子高齢化が進んでいる国では重要な要素。

  3. 金融市場の不完全性: 金融市場が完全ではない(たとえば、金融仲介機能が制限されるなど)場合、自然利子率にも影響が及ぶ。岡崎・須藤モデルは、金融市場のこうした不完全性もモデル内で考慮しており、これが実際の金利動向にどのように影響するかを評価している。

  4. 自然利子率の要因分解: モデルを用いて、自然利子率に影響を与える要因を分解することができる。具体的には、生産性の変化、金融仲介の機能低下、人口動態、投資特殊技術、需要、さまざまな要因がどの程度自然利子率に寄与しているのかを定量的に分析できる。

メリット:

  • ミクロ的な基礎を持つ: モデルは経済主体(家計や企業)の行動に基づいているため、経済の構造をより詳細に理解でき、政策シミュレーションに適している。

  • 長期的な推計: 人口動態や技術の進展など、経済における長期的なトレンドを反映した自然利子率の推計が可能。

  • 要因分解が可能: 自然利子率に影響を与える要因(生産性、人口動態、金融の不完全性など)を定量的に分解できるため、各要因がどのように経済に影響を与えているかを詳細に分析できる。

デメリット:

  • 複雑なモデル: DSGEモデルは一般に構造が複雑であり、推計には多くのデータと計算が必要です。モデルに依存した仮定も多く、全ての経済変動を正確に捉えることは難しい場合がある。

  • 不確実性: 他の自然利子率推計モデルと同様に、推計結果には不確実性が伴い、新しいデータが追加されると過去の推計値が変更される可能性がある。


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