現世界グルメ「ピザ・トースト」
私が愛して止まない料理のひとつに、ピザ・トーストと言うものがある。
とんでもなく美味いシロモノだ。
だが、このピザ・トーストについて語る前に、通過儀礼として語らねばならない料理がある。そう。
ピザだ。
おそらく、1980年代以降に生まれた日本人には信じ難い話だろう。だが、これは事実だ。
1980年代に入るぐらいまで、ピザという料理は存在していなかった。
本当の話だ。
無論、日本には、という意味だし、まったく存在していなかった訳ではない。資料によればピザ自体は2次大戦後にはあったようだし、1960年代には冷凍ピザも輸入されていたようだ。
だが、そんな物を入手できる人間は限られていた。そもそもイタリア料理店で外食するなど、一般的ではなかった時代である。
そもそも本格的なイタリア料理店が乱立し始めるのは1990年代で、それまでは洋食と言えば「日本スタイルの洋食」か「フランス料理」が外食の主流だったのだ。
そして、冷蔵庫の普及は1950年代だが、冷凍庫付冷蔵庫の普及は1970年代。つまり、保存食となる冷凍食品を冷凍保存しておく為の冷凍庫がなかったのである。
つまり、冷凍ピザもイタリア料理店で食べるピザも、一般的ではなかった裏付けと言えるだろう。
簡単な話、どうやらピザと言う舶来の食い物が存在するらしい。食った事はないが。と言うツチノコかUFOのような位置付けだったのだ。
宇宙人と言うのは大袈裟にしても、映画などに登場するピザやハンバーガーは実在は裏付けられても、誰も本物を見た事がない状態だったと言っても過言ではないだろう。
実際、私も見た事がなかった。
冷凍ピザが売られているのを目撃はしていたものの、食べた事がなかったのである。ちなみに、冷凍庫は普及していた。
それでも冷凍ピザを食べた事がなかった理由は簡単だ。
ピザを焼けるオーブンがなかったのである。ピザを温める電子レンジなど尚の事、まだまだ庶民には手の届かないシロモノだったのである。
流石にトースターはあったが、パンを縦に入れて一度に2枚焼くタイプでピザは焼けなかったし、横にして焼けるタイプも、丸型のピザが入るサイズではなかった。
従って、どう足掻いても食えない。それがピザという料理だったのだ。
それをどうにかしたのが、私の愛するピザ・トーストである。
要はピザ生地を入手したり焼いたりする事が困難であるため、生地の部分をパンで代用した、いわば紛い物に過ぎない。
しかし、この紛い物が、途轍もなく美味かったのである。
この時代までの洋食はそもそも、入手できない食材や不可能な調理法のオンパレードだった。だからこそ、どうにか本場の味を模倣しようと努力した時代でもあったのだ。
スパゲッティ・ナポリタンはナポリに存在しない、と言うのは有名な話だ。要はトマトの入手が困難だったからこそトマト・ケチャップで代用した。これと同じ発想だ。
ピザ生地の代わりに、パンを使う。パン生地を使って焼くのではない。それは後に生まれるピザパンだ。第一、パン生地だろうとピザ生地だろうと、丸いピザ状に大きくしてしまうと、トースターで焼けない。
要するに、ただピザの具を食パンに載せて焼いただけの代用品。それがピザ・トーストなのだ。
これだけ言うと、想像がつく、知ってる、食べた事もある、不味くはない、と思う輩で溢れる事だろう。
だが、違う。ピザ・トーストは恐ろしいほど美味い料理だったのだ。残念なことに、だった、と過去形にせざるを得ないのも事実である。無論、今でも美味いが、かつてほどの美味さは失われた。
人はそれを、単なるノスタルジーと笑うだろう。だが違う。根本的に違うのだ。何が違うかを説明するためには、1970年代に話を戻すしかない。
この頃、世は喫茶店ブームだった。2022年現在、今では当たり前のスマートフォンが、20年前には普及どころか存在していなかったと言える。そこから更に5年前、インターネットもようやく普及し始めた時代。
それらと同じように、1970年代にはまだ、家庭でコーヒーを嗜む文化は広まっていなかった。正確に言うとインスタントコーヒーは市民権を得ていたが、家庭でコーヒーを淹れるなんて、映画やドラマの世界でしかなかったのである。
そんな庶民が本物のコーヒーに触れる事が出来るのは、喫茶店だけだったと言えば、ご理解いただけるだろうか。
そう。喫茶店のピザ・トーストはとんでもなく美味かったのである。
フライパンで軽く炒めてしならせた薄切り玉ねぎと輪切りピーマン。嚙み切れるギリギリの厚さに切ってあるサラミ。そして、とろけて伸びるチーズ。味わったことのないコク深さのあるピザ・ソース。
そして、4~5cmはある、ふかふかのパン。
こんなにも美味いものが存在するのか。子供心にそう思った。特に、とろけて伸びるチーズは、味も舌触りも、視覚にも美味しい。
こう言っても、しっくり来ない人は多いだろう。理由はわかっている。だから説明しよう。
まず、とろけて伸びるチーズは、普及していなかったのである。
1980年代は、手を加えたプロセスチーズが主流で、焼けばとろけるナチュラルチーズの一般化は2000年頃から。
プロセスチーズも種類や調理法によって溶けない訳ではないが、トーストに乗せて焼いたぐらいでは、伸びるどころか溶けもしない。
この当時、とろけるチーズを入手できたのは、専門店であるレストランや喫茶店だけだったのである。
すなわち、喫茶店でピザ・トーストを注文すれば、ハリウッドの俳優のように伸びるチーズを堪能できたのだ。こんなに憧れるシチュエーションが他にあるだろうか。
それだけではない。ケチャップでもコチュジャンでもない謎のピザ・ソースも、まだ量販店に並んでいない時代である。
チーズも、ソースも、喫茶店でしか味わえなかった。そしてもうひとつ、チーズとソースに隠れて目立たないが、影の主役とも言える、パン。
今でこそ、一斤で食パンを買える店は増えた。食パンの味も格段に上がっている。だが、昔の食パンはもそもそして、耳などもさもさしていた。
しかし、レストランや喫茶店などに卸されている食パンは、ふわふわのふかふかで耳だってサクサクしている、全くの別物だったのである。
その食パンを贅沢にぶ厚く切って、とろけるチーズとピザ・ソースで食べるのだ。
これはもう映画の世界である、いや、映画どころかカートゥーンだ。米国産アニメーションに登場する穴の空いたチーズを食べているような感覚。
しかも、それが美味い。まさに異次元の体験だ。
だが、時代は変わってしまった。とろけるチーズは、シュレッドされた状態でスーパーマーケットに並んでいる。
ピザ・ソースだって下手すりゃコンビニエンスストアで買えてしまう。パンだってそうだ。
あの美味しさが損なわれた訳ではない。だが、時代とともにその美味しさは当たり前の波に飲まれて失われたのだ。
ちなみに私が初めて、いわゆる本場風の窯焼きピザを食べたのは、バブル期も去りし後の1990年代後半である。
それまで厚焼きピザしか知らなかった私は、薄焼きのピザの歯応えと香ばしさ、そして酒のツマミとしてのポテンシャルに感動した。ピザ・トースト以来の、ピザでの感動だったと言えるかも知れない。
無論、それまでにアメリカンスタイルの厚焼きピザを食べた事はあったし、美味いとは思ったが、感動に至るほどではなかった。理由は、宅配ピザの延長上でしかないと感じたからだ。
なお、日本人にとって、ピザ・トーストではない「ピザ」が普及するのは1980年代に入ってからの、宅配ピザのブームからである。
30分以内に届けないと無料という看板を掲げて、アメリカンスタイルのピザが、日本におけるピザのスタンダードとなった。
宅配ピザを初めて食べた時、流行り物に触れられた喜びや、皆で食べる楽しさはあったし、もちろんのこと美味しいと思った記憶がある。
しかし、ピザ・トーストの味や感動に比べると、期待外れの感は否めなかった。言うまでもなく、記憶の美化はあるかも知れない。
だが、私にとってピザ・トーストは、本物のピザなんかより美味しい紛い物だったのである。
家庭で懸命に、自家製ピザ・トーストを喫茶店の味に近付ける方法を考えた。今思えば、デッドコピーのデッドコピーだ。粗悪品だが、味が上がるたびに喜びがあった。
結局、完全再現は「美味しいパン」と「とろけるチーズ」と「ピザ・ソース」がほぼ全てで、それらが買えるようになった事で解決した。
自分の努力などほとんど無意味だった訳だ。
それでも、喫茶店のピザ・トーストは別格なのである。
それは、ピザ・トーストが初恋の人だから特別に感じているだけかも知れない。現に、その美味しさはもはや失われてしまった。
だがそれでも、ピザ・トーストはイミテーションの星だった。たとえ一瞬でも、偽物が本物を超えていた稀有な例だと、私は胸を張って伝えたいのだ。
少年漫画でも、今イチ強くない主人公のニセモノが敵として送り込まれ、主人公と戦ったことにより敗北し、仲間になって、一瞬でも主人公より強くなって、「俺、本物になれたかな、、、?」って主人公を守って死んでいく、そんな展開、皆も好きだろう?
ピザ・トースト。奴は今でも俺の心の中に生きてるのさ、とね。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。