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重戰騎兵2


 前回 ↓


 この建物が何の施設かはわからない。
 だが、直感的に病院かそれに準ずる目的で作られたであろう事は何となく把握していた。
 そして、おそらく想定していたよりも広い。けたたましい非常ベルの鳴り響く中、「俺」は右手の壁沿いに進み始める。
 右手の壁沿いに進み始めた理由は明白だ。
 基本的にほぼあらゆる建物は、左右どちらかの壁沿いに進み続ければ、必ず外に出られる。
 簡単な話、どんな迷路的な建築物であっても、外壁に沿って進めば、一周するか、出口に辿り着く。
 出口が扉なのか階段なのかエレベーターなのかはわからない。フロアの上下が絡んでも法則は狂う事はないが、恐ろしく遠回りする事もある。
 法則が通用しないのは、柱のように外壁に接していない空間にエレベーターなどの出口がある場合だ。わかりやすい例としては、百貨店などの中央にあるエスカレーターだろう。これらは外壁に面していないため、こればかりは壁沿いに進むだけでは脱出できない。だが、現実的な話で言えば、エスカレーターに行かずとも、階段もエレベーターもほぼ外壁側に建造される。従って、アトラクション的な迷路でもない限り、必ず出口に辿り着く。
 ーそんな事は理解しているのに、自分の名前ひとつ思い出せないとはな。
 自分の事も、自分の置かれた状況もわからない。だが、想像しうる限り、自分は何者かによって監禁された状態で目覚め、部屋から出た途端に警報が鳴った。つまり、「俺」を監禁した人物が逃すまいとしているのだ。少なくとも芳しい状態ではない。
 今のところ、自分を捕らえようとする敵の姿は見えないが、いつ出くわすとも知れぬ状況だ。
 曲がり角のたびに壁に隠れ、敵の姿がない事を確認して進む。
 ークリア。
 会敵なし。
 すでに3つ曲がり角を曲がったが、誰とも出会っていない。この施設に人がいたとして、警報が鳴ったから逃げたのか。それとも、こちらの出方を伺っているのか。
 建物の内部は基本的に殺風景で、白い壁ばかり。部屋は幾つも通り過ぎた。見た限り、全ての部屋に電子ロックが掛けられている。侵入できない。いや、先ほどの怪力をもう一度出せると言うなら、押し入る事は容易だろう。だが、目的は部屋じゃない。脱出だ。
 何処かの部屋に隠れるという手段もあるだろうが、賢明とは言い難い。理由は監視カメラである。
 先ほどの部屋にもあったように、他の部屋にもカメラが仕掛けてある可能性は高い。おそらく確実にカメラが仕掛けてあるだろう。その理由は明確だ。廊下にも監視カメラが設置されているからだ。
 ーモニタしてる奴がいたら、何処に隠れても無駄か。モニタされているとしたら、ずいぶん情けない格好だ。
 全裸という事を考えれば隠れたい気持ちはある。だが、隠れるより抜け出す方が正解だろう。目指すは地上だ。確証がある訳ではないが、この場所がおそらく地下であろう事が推測される。
 一切存在しない窓。殺風景すぎる構造。施設の広さに対する天井の低さ。通気口の数。そして、設置されている消火器の数。
 壁沿いに進めばおそらくは階段に遭遇する。その時にもし階段が上下に伸びていたら、その時は迷わず上を選ぶ。それだけの事だ。
 6度目の角を曲がった時、そこに階段らしきものが見えた。位置的に奥まっていて確証は得られないが、非常口の緑が見えている。おそらくは正解だ。だが、走ってそこに近付こうとは考えなかった。この警報の鳴り響く中、今まで一度も会敵していない。
 ー階段に近付いた所を蜂の巣にされる可能性もない訳じゃない。
 我ながら物騒な思考だと唇を歪める。視界に動くものはない。「俺」は慎重に階段側に近付いた。
 その時、目覚めて以来初めて、「俺」は動くものを目にした。
 防火シャッターである。
 ーしまった!
 慎重が仇になったのだ。慌てて走り出そうとするも、タイミング的にもはや間に合わない事が明白で、「俺」は走る事を諦めた。
 ゴォン、と鈍い音が反響しながら、閉じられる防火シャッター。悔しさがない訳ではない。閉められたタイミングを考えると、モニタしてる奴が嫌がらせをしているようにも感じる。
 苛立ちがない訳ではない。だが、こちらに目算がない訳でもないのだ。
 ここまで会敵していないこと。殺すつもりなら、目覚める前に殺していただろうこと。つまり、捕まえるつもりや閉じ込めるつもりはあっても、それが優先されている以上、殺す気はない。
 それに、あのドアを破壊した怪力。あれを用いれば、防火シャッターも力ずくで開けられるかも知れないのだ。
 問題は、閉じ込めた奴の意図と、この力の事が知られているかどうかである。
 「俺」は、シャッターの前に向かいつつ、何気なしを装い、右手で廊下の壁に触れた。指先から伝わる温度は冷た過ぎはしない。
 この規模の施設が地下だとするなら、建築材のメインはコンクリートになる。だが、触れた指先の温度から察するに、壁材はコンクリートではない。鉄筋なりコンクリートなりの上から、別の素材でカバーしている事になる。おそらくカバーしている素材は、壁紙の下がコンクリートパネル(木製)か、プラスターボード(石膏)だろう。
 いや、地下なら火災を考慮して、高確率で石膏だ。
 「俺」はゆっくりと歩きながら、壁に触れている親指にのみ力を込めた。
 ゴリッという音と共に、脆い感触が指に伝わる。壁を見てはいないが、おそらく石膏の壁に小さな穴が空いた。無論、常人なら歩きざまに指一本で石膏に穴を開けるなんて芸当はできない。
 確かめたのである。ドアを破壊できたあの力が本物かどうかを。
 壁から手を離し、ちらりと親指を見る。指先が白い。削り取った石膏だ。
 ーこっちがこの力を持っていると知られていても、使いこなせると知られない方がいい。
 交渉材料は多い方がいい。そう思った時、頭上から声が聞こえた。
 「ぴんぽんぱんぽ〜ん♪ 業務連絡、業務連絡。そこにいる全裸の不審者くん。ストリーキングとはいい趣味だな」
 好きでやってる訳じゃねえよ、と「俺」の唇が歪む。
 「んんん〜? 返事が聞こえないなぁ。おっと、コレは館内放送か。そりゃそうだ。一方通行だったな。それじゃ不審者くん。その防火シャッターを開けて、裏にある内線を取って欲しいんだけど、構わないかな?」
 煽っているのか、罠か。それとも、フザけた性格なのか。「俺」は言葉に従い、防火扉を手で押す。ロックはされていない。しかし、階段に通じているはずだった防火扉の向こう側は、再び防火扉だった。
 もし、連中がその気なら、防火扉と防火扉の間に入った瞬間にロックを掛けて閉じ込めるだろう。だが、ここで逡巡するつもりはない。いざとなれば防火扉はぶち破る事も選択肢に入れている。せめて、何か持ち物のひとつでもあれば、扉に挟み込んでロックを防ぐのだが。
 ない以上は仕方ない。従順な振りをした方がいい場合もあるだろう。「俺」は階段の踊り場へと進み、壁に据え付けられている内線電話の受話器を取った。
 「やあやあ。キミが話せる相手で助かったよ」
 媒体が違うためか、少し雰囲気は変わるものの、館内放送と同じ声だ。
 「誰だ? あんた」
 「おやおや。挨拶ってのは自分から名乗るものだと、小学校の時に習わなかった?」

 声の主が「俺」の質問に質問で返す。どうにも癪に触る男だ。
 「俺が小学校で習ったのは、怪しい相手には本名を教えるな、だったかな」
 「いいね。防犯意識のしっかりした学校だ。なんて小学校だい?」
 「個人情報は漏らすな、とも教えられててね」

 無論、小学校の事など何ひとつ記憶していない。だが、子供が通常学校に通うと言う常識は残されている。
 「ふむ。これじゃ埒があかないね。じゃあ、私から名乗ることにしよう。信用するかどうかはキミに任せるが、私の名はキリシマタクミ。この施設の室長。一応、一番のお偉いさんだ」
 「そいつはどうも。ついでにこの施設について教えてもらえると助かるな」

 状況を少しでも把握したい。何より、この霧島という男が敵なのか味方なのか、あるいは別の存在なのかを見極めねばならないのだ。
 「ふむ。資料通りだな。ここで長々と腹の探り合いをするつもりはない。単刀直入に言おう。私はキミとご同類だよ」
 「同類? 随分と違うタイプに思えるがな」

 資料と同類という言葉にカマ掛けを感じる。記憶こそないが、この霧島も「俺」も、真っ当ではない何かに関わっているらしい。
 「んんんー。面倒だな。私もキミと同じ【ゴースト】だと言えば少しは信用してくれるかな?」
 「ゴースト? 幽霊になった覚えはないが」

 その【ゴースト】という言葉の真意がわからない。ここでひとつ明確になりつつある事がある。常識や知識は失われていない。観たかどうかも記憶にない映画「ゴースト−ニューヨークの幻」の物語はちゃんと思い出せる。俳優の名前も。顔も。セリフも。
 だが、「俺」個人に関わる事は、綺麗さっぱりと消え失せているのだ。その映画をいつ観たのか。誰と。どんな気持ちで。何ひとつ思い出せない。
 頭の中に靄がかかったような、なんて表現を耳にするが、まるで違う。綺麗に切り取られたように何も思い出せない。思い出せないどころか、記憶をトレースしようとする気持ちさえ消え失せるのだ。
 「さすがは一流の【ゴースト】だ。惚け方も一流だな。いや、そうか。【ゴースト】は自分を【ゴースト】だと認めないな。私が【ゴースト】を名乗ったから訝しんでるのか? 私はキミとは違って、ただの研究員だからな」
 こちらに記憶がないという手札を見せる訳にはいかない。そういう意味では惚けたが、演技という訳ではない。だが、霧島にはそれが完璧すぎる演技にでも見えたのだろう。
 そして、この状況と霧島の言葉から推察するに【ゴースト】とは諜報員か何かだ。組織の規模はわからないが、少なくともこの施設を持つ程度には大きい。ならば諜報員が諜報員であると知らない可能性は充分にある。
 だが、だとするならば、もうひとつの可能性が残されている。
 この施設が、霧島が、その【ゴースト】と敵対する組織の構成員である可能性だ。もしそうなら、安易にわかった振りをするのも危険だと言える。
 「話が見えないな。まず、俺は今、自分の置かれている状況を知りたいんだがね」
 「ふむ。私にも些か把握しかねている部分はあるのだが、一応、一番恐れていた事態は免れたようだ。信用してくれるかどうかはわからんが、ここは【ゴースト】の施設のひとつだ。表向きは【黒部みらい科学研究所】と言うが」
 「研究所ね。なるほど」

 その「黒部みらい科学研究所」の名前に覚えはない。自分の過去に関わる事なのか。それとも単に知らないだけか。だが、この件に関してはおそらく後者だろう。お互いの探りの入れ方からして、知っているならば「ここは黒部みらい科学研究所だ」と最初に振るべきである。
 霧島の言葉を信用した訳ではないが、彼が研究者で、スパイ活動に直接関係がない人物だとしても、研究者であり、話し振りからも頭脳が明晰である事は明確だ。
 「で。キミは任務の途中で意識不明の重体になった。生死不明の重体、と言う所かな。そこで最寄りのこの施設へと運ばれた。ここなら治療も行えるからね」
 聞き間違いか、言い間違いなのか、事実なのか「意識不明」ではなく「生死不明」と言った点が引っ掛かる。それに、重体の人間をあんな部屋に閉じ込めるのも不可解だ。だが、それにはひとつの解答がある。「俺」が持つ、あの異様な怪力だ。
 「任務については何か聞いているのか?」
 今度はこちらから鎌を掛ける。だが、
 「いいや。その辺はタキザワくんに聞いてくれ」
 あっさりと流されてしまう。そして、そのタキザワとやらも誰なのかわからない。
 「タキザワ?」
 「ああ、タキガワだったか」

 しくじった。「俺」の中で始めて動揺が生まれる。今のは霧島の鎌掛けだったのだろう。いや、だが逆に考えろ。こちらに記憶がないとは思われていない筈だ。
 「ついでに、俺の名前も教えてくれるか?」
 ふざけているように、霧島を挑発する。だが、先ほどの動揺が焦りを生んだのか、この質問は先ほど以上の失敗だったらしい。
 「ふむ。キミの疑念も晴れないようだが、こちらも疑念が晴れないな」
 少しの間をおいて、霧島が答える。声のトーンが少し低い。
 「お互い様さ」
 「答えてもらおう。キミは一体誰だ?」

 挑発は効果がなかった。いや、逆効果だったと言える。霧島は突き放すように冷たい声で問う。
 「俺」はひとつだけ深めの呼吸をして、気持ちを切り替えた。状況的に有利とは言えない。そして、霧島も明確な敵ではない。ならばいずれバレる嘘に嘘を重ねる事は得策とは言えない。
 「Ok.わかった。正直に言おう。目覚める前の記憶がない」
 見えているのかどうか。左手を上げて降参のゼスチャーを見せる。
 「記憶がない?」
 霧島が不意を突かれたのか、調子の外れた声を出した。
 「冗談のようだが、自分に関する記憶がすっぽり抜け落ちてる。抜け落ちすぎて動揺もできないぐらいだ」
 その言葉に嘘偽りはない。だが、嘘でなければ信用を得られる訳でもない。
 「なるほど。まだキミは少し危険な状態らしいな」
 霧島が言葉を発すると同時に、防火扉が動いた。
 「ぬッ!?」
 受話器を投げ捨て、扉に腕を挟もうとする。だが、間に合わなかった。防火扉は無情にも閉まり、「俺」は鉄の壁に閉じ込められた事になる。
 「慌てるなよ、ヌーディストくん。ここは簡単なテストをしようじゃないか」
 ぶらりと揺れる受話器から、霧島の声が届く。
 「テストだ?」
 仕方なしにもう一度受話器を取る。
 「簡単な事さ。キミは今、防火扉に閉じ込められた状態だが、キミなら簡単に脱出できる」
 「どうやって?」
 「惚けても無駄だ。簡単だろう。その拳で防火扉をブン殴ればいい」
 「冗談だろ」

 やはり、霧島はこの能力について知っている。おそらくはこの異常な怪力こそが、この事態を生み出した元凶なのだ。知られている以上、どう駒を進めるか。
 「惚け通すならそれもいい。だが、さっさと行動した方がキミの立場は有利になる。やるかい?」
 「選択肢はないってか」

 そうだ。霧島が敵が味方かはわからない。だが、今「俺」の生殺与奪を自由にしているのは霧島で、従えば有利になる。そうなると選択肢などない。
 「ご明さ…」
 霧島が言い終えるより先に、「俺」は右手に持っていた受話器を再び宙空に投げ捨て、振りかぶり気味に防火壁をぶん殴っていた。
 ごうん、と地震でも起きたかのような鈍い音を立て、スチール製の防火扉がひしゃげた。
 それはまるで、柔らかいベッドの上に敷かれたシルクのシーツに、赤ん坊でも落っことしたかのように。
 金属の板が、布のように柔らかく歪められたのである。
 それは「俺」にとっても、想像以上の威力だった。鉄の扉だけではない。踏み込んだ左足のつま先が、床材を踏み割っていた。
 完全に怪物の破壊力だ。だが、その破壊力を見ても動揺はしなかった。想像を遥かに超える力ではあったが、「俺」の肉体や思考は、そうなる事を知っていたかのように。
 この結果を知っていなければ、思い切り殴るなんて真似はできなかった筈だ。
 当たり前だ。たとえ怪力を手にしたとしても、金属を拳で殴ればどうなるか。普通なら怪力であればあるほど拳骨が砕ける。
 だが、拳が砕けるどころか、突き破らんばかりに鉄の扉を歪め、そして、
 拳に痛みなどなかったのである。
 「これで好待遇に…」
 減らず口を叩こうとして、痛みを感じなかった己の拳を見る。
 そして、言葉を失った。
 「どうした?」
 霧島が苦笑気味に問う。霧島はおそらく、それも知っていた。
 「何だこりゃ!?」
 自分の指先から肘の辺りまでを見る。
 腕が、変色していた。いや、変色ではない。皮膚の下から、何かが染み出して、腕を覆ったのである。
 「俺」の腕を覆ったもの、それは、鉛にも似た鈍色の金属。
 声には出たものの、同様は少ない。先ほどの霧島の鎌掛けに引っかかった時の方が動揺した。だが「俺」は思考として認めたくなかったのだ。
 自分が怪物化している事に動揺していない「俺」自身を。
 「ふン。腕が金属化でもしたか?」
 「てめえ、何を知ってやがる!?」

 ぶら下がった受話器を乱暴に掴み取りそうになって、慌てて力を抜く。同時に、その腕から鉛色のコーティングが皮膚下に染み込んでいく。
 「知らないね。むしろ、わからない事だらけだ。キミが化け物になったって事以外はね」
 「何だよこりゃ…」

 受話器を持つ手は、もう完全に普通の腕に戻っていた。
 「何かはわからんが、多少の手助けはしてやれるつもりだ。敵意を向けないで貰えるならね」
 霧島が少々苛立ち気味に答える。
 「服を用意してもらえりゃ、そうする」
 「なんだ、裸が気に入ってるのかと思ってたよ」

 霧島が軽口で返す。だが「俺」の軽口は、実のところ、軽口などではなかった。
 直感的に理解してしまっていたのだ。
 「俺」が望めば、その全身をあの金属で覆えるであろう事を。


 (´・Д・)」 スーパーヒーロー誕生編。


 これこそまさにメタルヒーローだぜ!

 反響があれば続く。いや、なくてもいずれは書くんだけど。


 ※ この短編小説(?)はすべて無料で読めますが、反響は主に投げ銭(¥100)で示されます。
 なお、この先には「あとがき」的で「次回予告」的な何かしか書かれてません。


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94字

¥ 100

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。