シンエヴァンゲリオン感想 3.0+1.0
皆さん、こんにちは。真相に気付いた木賃ふくよし(芸名)です。
さて。本日も予告通り、エヴァンゲリオン感想3.0+1.0をお送りする訳ですが、念のための注意。
これは3部作の3部目であり、感想の完結編である。
感想関連のまとめリンクはこちら。読んでない方はこちらから第1回と2回からお読みください。
1回目と2回目は、主にネタバレが有料部分になっているので、いちいち書いてなかったが、今回は割とのっけからネタバレなため、ここに注意書きをしておく。文句とネタバレしか書かれていない。読め。でなければ帰れ。
∴∵∴∵▲▼▲▼▲▼▲▼ 以下ネタバレ保護区域 ▲▼▲▼▲▼▲▼∴∵∴∵
ネタバレ配慮ができて、
∴∵∴∵▲▼▲▼▲▼▲▼ 保護区域終わり ▲▼▲▼▲▼▲▼∴∵∴∵
(´・Д・)」 はい。そんな訳で文句垂れ流し第三回。
もうね、ワケわかんない。Qの訳わかんなさと比較するから騙されてるだけで、ぶっちゃけ何が何だかわからない。
※ なお、筆者も鑑賞中は割と雰囲気に流され、騙されてた。
ニア・サードインパクトで、人類はどの程度生き延びたんだ? どうやって生き延びたんだ?
あんな状態で、どうやって新造艦とか用意したの? しかも4隻も。
劇中じゃ見えないところで人類、割と生き延びてんの? で。なんで14年間、ヴィレとネルフは膠着状態だったの?
てか、破でシンジが行かなければ、本当にサードインパクトで人類は滅んでいたの?
ホントに万策尽きてたのか? ぶっちゃけ、まだカヲルがいたよね?
ってか、ミサトがシンジを初号機に乗せた責任とか寝言を言ってたけど、シンジはサードインパクトによる人類滅亡を防いだ英雄であるべきだよな?
いや、百歩譲って、シンジがニア・サードインパクトを起こした張本人だったとしても、だ。
周囲に言いふらす必要ある?
そんなん誰もわからんのだし。
てか、ゲンドウらぐらいじゃねーの? 何が起きたかをわかってたのは。うん。
いや、別にいい。それもゲンドウが情報操作して、シンジに敵意が回るように仕向けたのかも知れんからな。うん。
けど、ネルフから離反してヴィレになった時点で、シンジへの誤解は説明すりゃ解けたよね? ね? やっぱ説明してねーじゃん。
何を善人ヅラしてんだよミサト。
てか、ポカポカ綾波ことポカ波さんと、黒いプラグスーツの綾波こと黒波さん。
結局ポカ波さんと黒波さんは別人だった訳ですよね?
じゃ、なんでシンジに惚れるの?(そーゆープログラムと言及されているが、そーゆー話じゃない)
結局ポカ波化するし、シンジはポカ波と黒波を別人だとしながらも、なんでそれで立ち直るの?
てか、それだったらQでポカ波を退場させる必要はなかったし、結局シンジが立ち直るんだったら、破のまま、熱血シンジくんのままで良かったんじゃないの?
そうなると、マジでQは必要だった? って話になる訳だ。
いや、トータルで見て、Qという寄り道があったにせよ、だ。もはや漫画版でそれなりのトゥルーエンド(ギャルゲーっぽく)は提示されていた訳で、
シンエヴァンゲリオンの物語的には、
ぶっちゃけ漫画版の劣化版エンドだと思う。
特にゲンドウやレイに関しては、漫画版の方がちゃんと救われている。
世界のやり直しの切っ掛けが、補完計画か、サードインパクトか、槍かの差こそあるものの、世界が改変される事実には変わりはない。
漫画版も最終的にやり直した世界でエヴァに乗らなくていい選択肢を選べているし、どうやら使徒の存在もなさそうであるため、シンエヴァンゲリオンはより幸せな終わりを迎えた訳でも何でもないのだ。
で。アスカだ。別にケンケンとくっつくのはいい。
ただ、アスカとケンスケはいつ再会し、関係を持ったのだ? ヴィレに所属してるなら、第三村で過ごしている時間はないはずだ。(ミサトと息子、トウジとサクラの関係性からも)
だとすると、本作に入ってからか? それにしちゃ肉体関係もあるっぽい描写があった。
定期的に会う事が出来たとしたのなら、それぐらいの説明は入れられただろう。
とにかく作りが雑なのである。四半世紀かけた結末がコレでええんか?
とは言え、良かった点もある。
ワタクシの心の代弁者、ピンク髪にぶあつい唇の北上ちゃん。この子のツッコミがあったお陰で、どうにか消化できた部分はある。
あと、この子がニア・サードインパクトを、
ニアサー
とか言ってて、どんなつらい出来事であろうと、割とカジュアル化されちゃうのね、って所はとても良かった。本当に良かった。個人的に、この映画の一番良かった所はそこだ。
まぁ、
テニサー
みたいな響きはどうにかならんかったのか、とか、他の奴もニアサーって言ってて苦笑いしたけど。
サクラがシンジにすがって泣くところで、「女房か」ってツッコミで笑ったし、
「子が親にしてあげられる事は、肩を叩くか、殺してやる事だけ」
ってワケのわからん事を名言っぽく言ってるシーンとか笑ったし、
本作以前にも、ワタクシは劇場で、
そんなの関係ない!とか、
槍があればやり直せるとか、
(´°3°).:∵ ブフーッ
ってなったのに、劇場内の観客がみんな真剣なツラしてシーンと静まり返ってたから、必死こいて笑いを抑えたんだよ。
ワタクシは言いたい。それこそシンジのように言いたい。
(´・∀・)」 笑えばいいと思うよ。
そしてそこで、ワタクシはエヴァの真実に気付いてしまったのである。
かつて「トップをねらえ!」で仁王立ちで出撃する巨大ロボットを描いたら、観客から「熱い!」「カッコいい!」と好評だったらしい。
しかし、本人としては、
(´・Д・)」 いや、そこ、笑うトコ。
ってものすごい温度差を感じたそうな。
そこで気付いたのである。庵野は、どこまで酷いパロディと酷いギャグをやったら「これはひどい」と言ってもらえるか、という実験を、エヴァンゲリオンで行ったのではないだろうか。
だからエヴァンゲリオンは基本的に過去作の寄せ集めのような作りになってるし、根幹となる物語の土台がないのではないか。
ところが、一見ハードな設定を盛り込んだSFロボットアニメ、でも本当のところは荒唐無稽で深く考えてない雰囲気だけの作品は、表層部分だけでウケてしまった。いや、表層ではない。誤解や曲解され、深層部分としてウケてしまったのだ。
本人の予期せぬところまで、危惧した方向で。
今で言えば、コレだ。
今のままではいけないと思います。
だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている。
小泉構文を読んだのに、誰からも突っ込まれないどころか、「深い」「その通り」「これはきっと日本の未来を暗示している」「宗教観にも触れる名言」と絶賛された訳だ。
※ 小泉進次郎は本気で、庵野はギャグで言った可能性が高い、という違いはある。
しかし、売れに売れたので、そんなコトまるで考えてねーよ!とは言えなくなってしまった。
福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言ったが、主題は「それでも差が出るのは学問の差だ。だから学びなさい」と言いたかったのに、平等を謳うスローガンとして利用された。
庵野は皮肉めいたギャグをやったのに、苦笑いどころか、笑っても貰えず、蔑みもされずに、崇拝されてしまったのだ。
「ギャグでした」とは言えないまま、旧劇場版で、精神世界って事にして全部をブン投げ「もう知らん!」と終わらせたのに、庵野と、エヴァの神格化は進む一方。
皆が、ようやくエヴァを忘れた頃、エヴァを金に換えようとパチンコに売ったら、まさかの大ヒット・リバイバル人気。
出資者から「リメイクしようぜ!」って声が掛かっちゃったからもう大変。
ネス湖のネッシーの実在を証明したと言われる少年が撮った一枚の写真。これは少年の捏造だったのだが、彼は死ぬ間際に「ごめん。アレ、インチキなんだ」と言い残してこの世を去った。
それほどの後悔があったのだろう。
庵野はその「二度目のネッシー写真を撮れ」と言われたのだ。
そして破で解決を提示するも、今度こそ解決するのでは!?という信者の期待に負けたのではないか。そして、まとめきれずに、Qですべてが崩壊した。庵野の精神もだ。
シンエヴァンゲリオンは、そうやって教祖のように奉りあげられた庵野が、
お前たち信者の強い祈祷のお陰を持って、世界の危機は回避された。
お前たちは、お前たちの残る人生を大事にするがよい、、、
と、信者たちに救済を与え、そして、庵野が教祖の座を降り、在野となるまでの物語だったのではないか。
おめでとう、
おめでとう。
っていう、
いい話で終わらせる
とでも思ったか!?
そんな事は許されぬ!
許されぬのだ滓どもめ。
いいか?
エヴァはキャバ嬢なんだよ、キャバ嬢!
お前らはそのカモ客なんだよ!カモ!!
※ はい。ここからはコレまで以上にボロっカスに書くので、覚悟の上、金を払って読んでください。てか、読むな。読まないように値段をつけてるのに、なんで読むの? 普段は全部読めるようにして投げ銭(¥100)という親切設計にしてあっても全然買ってくれないのに!
いいか読むな! 今回は¥700だ! 全部合わせたら、500+600+700円だぞ? シンエヴァンゲリオンが、もう一回観られる金額だぞ!? 読むんじゃない!!
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¥ 700
(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。