「童貞キャラ」について

久々に4〜5年前にやっていたブログを読んで、なんとなくまとまった文章が書きたくなった。ブログを新しくした理由は心機一転したかったから。noteにした理由はなんか最近流行っているっぽかったから。けどなんかこれ普通のブログとは色々形式違って慣れるのに時間かかりそうだな。

あ、多分クソ長くなるし、普通にキモいので、マジで読まなくていいです。こうして書いているのは自分の思考整理のためで、公開にしているのは、非公開にする理由もないかな〜くらいで、特に深い意味はない。

・Introduction

え、こんなカッコイイ見出し作れるんだね、note。

早速本題に入るが、書きたいのは「童貞キャラ」の功罪についてだ。

1年ほど前に、彼女が出来た。初めて。大学4年の春だった。遅いと思う人もいるだろう。実際、周りと比べるとかなり遅い方だった。

けれどまあ凄まじく遅いというワケでもないと思うし、何より現在に至るまで彼女とは仲良くやっているので、何が問題なのだという話なのだが、なんかこう、長年染み付いた「童貞キャラ」が未だに抜けきれてないというか、俺は彼女が出来ても多分内面的な部分はほとんど何も変わっていないんじゃないかと思うのだ。そして今後、変えられるという展望もないのだ。

男子校出身だった俺は中高時代の青春を音楽とエロゲとAVに捧げ、当然誰かと付き合うという経験なんてゼロの状態で大学に入った。そして大学に入って数年、同学年の間では何組ものカップルが誕生し(100人ほどの小さな学部だが、多い時は15〜16組いたはずだ)、先輩と付き合う人、後輩と付き合う人、大学に恋愛しに入ってきたの?というレベルでみんな付き合っていった。大学内の知り合いで飲む時は、大抵は誰が誰と付き合っているみたいな、そんな話ばかりだった。かく言う俺は、タイミングを逃し続け、色んな人から「まだ出来ないの?」とか「あの娘と付き合っちゃえよ」みたいなことを言われつつ、不快な焦燥感と苛立ちを感じていた。苛立ちの対象は、自分に対して、周りに対して、どっちもだ。

・童貞であるというアイデンティティ

そうしてそんな環境で心折れずに生き抜くために俺が身につけたものは、「童貞キャラ」としてウェイウェイやることだった。「童貞キャラ」というかまあ普通に童貞なんですけど。中高時代からキモい童貞ツイートとかがちょいちょいバズったりしていたので、俺には元々童貞としての素養があったのだろう。中高時代のツイート全部消しちゃったけど、ヤラハタになった時に騒いでた時のツイートとかはあった。



力強いな俺。なんかアレなんだよね、童貞ってしょーもない下ネタとか言っててもなんか許されちゃう空気があったんだよね。恐らくこれは時期的な問題もあるとは思う。例えば40過ぎのオッサンが童貞ネタしてたらなんか笑えないけど、大学生ならマイノリティではありつつ、まだ20代だからウケるみたいな。いや普通に40過ぎのオッサンが童貞ネタしてたらそれはそれで面白い気がしてきた。​

まあとにかく、童貞キャラって「同性には」受けるし、その場では結構自分も楽しいし、盛り上がったりするのだ。それと同時に、一人でも生きていけるし、なんて思ってるうちに実際どんどん一人で色んなことをして、独り身でも生きていけるメンタルも身に付いていった。気づけば「童貞キャラ」であることは俺のアイデンティティだった。

・童貞であるというコンプレックス

しかし当然、そんなんじゃ異性にモテるわけがない。まあ基本みんな仲良くはしてくれるのだが、恋愛経験がないことに対して馬鹿にされているんだなって思うことは何度もあったし、それはしょうがないことだと思う。けれど確実に歳を重ねるに連れ、童貞であることに対するコンプレックスも膨らんでいった。童貞であることが、アイデンティティであり、コンプレックスでもあったのだ。誇らしくもあり、恥ずかしくもあった。歪んだ2つの感情を抱えていた。

・「童貞キャラ」でい続けることについて

そんなこんなで、4年になってようやく、たまたま運良く彼女が出来たわけなんだが、どうやら俺の抱える童貞アイデンティティ、そして童貞コンプレックスはちょっとやそっとじゃ払拭出来るようなものではなかったらしい。

未だに色んなキモいことを言ったりツイートしたりしたくなるが、思いとどまる。その発言、そのツイートは俺が恋愛経験ゼロの童貞だから許されていたのであって、今言っても面白くないどころかどこか嫌味ったらしく聞こえてくる。彼女が出来ても変わらずAVは見るし、オナニーもする。むしろ自粛期間中閲覧時間は爆増している。イチャついてるカップル見ると未だにイライラする。「お前も彼女が出来て変わっちゃったよ」みたいなことをたまに言われるが、変わったとすれば表面的なことだ。中身は何も変わってない。

結局彼女いるんだろ?お前こそリア充死ねよと思う人もいるだろう。まあ確かにそうっちゃそうなんだが、しかしこれは意外と切実な問題だ。コンプレックスを抱えつつも、23歳になるまで俺は童貞であることに甘え続け、童貞であることを「個性」と思っていた結果、俺は現在何者なのか、分からなくなってしまった。念の為強調しておくが、彼女に対して不満があるとかでは全くない。これは俺個人の問題だ。

・なんか何言いたかったのかも分かんなくなってきた

凄まじく中身がありそうで全く無い文章になりました。

なんだろうね、きっと童貞である期間が長ければ長いほど、それを意識せざるを得ない期間が長ければ長いほど、「童貞」から抜け出すのは中々難しくなるという話。「本当の意味での非童貞」はもはや自分が非童貞であることにすら気にも留めないだろう。彼女が出来て1年以上経っても、未だに童貞非童貞を意識している俺はいつになれば「本当の意味での非童貞」になれるのか。

そもそも「童貞」「非童貞」って何?

元はと言えばSEXしたことあるかないかってだけなのに、その二文字に色んな意味が内包され過ぎていないか?

なんか頭おかしくなりそうだ。何も結論の無い文章でごめんなさい。でも「童貞」が持つ社会的な意味について、今真剣に考えてみるのも面白いかもしれません。




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