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戦争と喧嘩

自分でやるか他人でやるか

手段も意志も規模も関係ない

喧嘩は自分たちの都合ですぐにやめることができる

でも戦争は現場の人たちの都合で終わることはない

それは喧嘩は当事者同士でやるもので

戦争は構造でやるものだから


昔、フリーダムウォーズのゲームにあったセリフで
(動画がなくて、うろ覚えで申し訳ない)

パンが、ここに「1つ」あるとする
「2人」の植えた人に、それを与えたとしよう
彼らは、それを分け合うだろうか
または、独り占めしようと殴り合うだろうか
まあ、どちらにせよーー2人だと、話はシンプルだ
パンはどちらかの胃袋に収まるか、どちらの胃袋にも収まるか
はたまた……どちらの胃袋にも収まらない、そのいずれかだ
では、それぞれ飢えた人間が「100人」いる国が……
「2つ」、あったとしよう
パンは100個……いや、パンを作るための
小麦の種が「100」という方が、想像しやすいかもしれないな
2つの飢餓に苦しむ国、100の小麦
さて、何が起こるか想像がつくかい?

パンの取り合いが喧嘩
種の取り合いが戦争にあたる

いずれも考えの食い違いで起こる争いなわけで
自分が正しいという意見を「残す」ために
違う意見を「消そう」という行動になる

喧嘩が当事者同士の争いにおいて
妥協なり片方が折れるなりすることで
もう殴り合いも言い争いも必要なくなる
そこで終わる

戦争は終わらない
たとえ相手の指導者が死んでも
兵隊がテセウスの船のように全員入れ替わっても
終わらない
もはやなんのための争いかもわからないまま
ただ戦いとお金の流れが続いていく

どちらも同じように
避けられないものと思われている
たとえ殴り合いも言い争いもなかったとして
心の中で相手を障害だと思った時点で
もう喧嘩は始まっている

そういうとき人間は怒る
自分の立場を守るために怒りという感情が暴れる
これは抑えられない

ただ、そのあと冷静になって妥協なり折れるなり
または落ち着いて話し合うことができたなら
大事にはならない

つまるところ
争いはどちらかの思考の放棄の結果と
自分は思う

でも腹立つんだよなぁ・・・

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