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うぇいの哲学

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哲学みがある記事のまとめ
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#人生論

哲学は「答えがない問いについて考えること」なのだろうか?

哲学は「答えがない問いについて考えること」だとしばしば説明されます。けれども、このような説明の仕方に僕は違和感を抱いてしまいます。というのも、「問い」であるならば、なんらかの志向性が認められるはずだからです。ここでの志向性とは――専門的な意味ではなくて――問う際には、問いの対象(問いにおいて求められているもの)が目指されているだろうという意味です。 さらにこの事柄を考えるにあたって、いわゆる「哲学的問い」の言い回しである「そもそも〇〇とは何か」という型の問いを取り上げましょ

「人生の意味」を問うてしまう人のための、5つの考え方

僕の記事で一番読まれている記事が、以下のものになります。今回は、下の記事を加筆したよというお知らせです。 要約です ↓ 人間社会は非常に複雑ですが、その根本には生殖=再生産という事実があります。社会や共同体のルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためと言えます。では、人類の生存と繁殖の先には何があるのでしょうか?... そもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように思われるのです。 生き

Ayase「幽霊東京」から哲学的に思考する

人は自分と向き合い続けることはできない、と僕は思っています。なぜなら、自分について深く考えれば考えるほど「自分」という存在がいかに不確かで不安定であるかが自覚されてしまうからです。 人は、自分の存在の重さ(Last)に耐えられない。 重さに耐えられない人間は、そこから逃避します。どのような仕方で? 一言でいえば、気晴らしです。不定形で掴めない存在から逃れるように、忘れられるように、何か別な物事で置き換えるということ。 僕は、哲学的な思索に耐えられなくなったら、散歩に出か

マルティン・ハイデガーって誰? 「存在の意味への問い」をめぐって

本記事では、ドイツ哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)について紹介します。 そもそも、なぜ日本で哲学を学ぶのにあたって西洋のエラソーなおじさんの本を読まないといけないのでしょう? 僕は哲学を、「自分で考えるために学ぶもの」だと考えています。したがって、自分に関心のある問題について考え抜いた人物の著作を読めばそれでいいんじゃないかなぁと思うんですよね。自分の思考の質を上げるための材料として、「古典」を読むという態度です。  僕は「なんで生きないといけないの? 

「人生に意味があるのか」という問いに向き合うための、2つのアプローチ

記事の要約 人生の意味について、どのように考えるべきなのでしょうか。究極的には「個人の人生の意味」が問題になってくるのでしょうけど、まずは「一般的に生きる」ということがどういう事態なのかを考えることから始めようと思います。なぜなら、私たちはさしあたり他の人と同じように生きているからです。一般的な生について考えた後で、「自分の人生の意味」にアプローチしたほうがよいでしょう。 そもそも、人生の意味を問うてしまったのはなぜなのでしょうか。現代日本の構造上、人生の意味を考えざるを

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