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【読書体験】意識の高さと『存在の耐えられない軽さ』

“永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。…われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのでわれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘付けされていることになる。このような想像は恐ろしい。
…もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、我々の人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとして現れうるのである。”
 ― ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

 

 パソコンの電源を入れる。Wordを立ち上げて、書類を作成する。動画を見る。オンラインで議論する。そうなると、ほとんどが頭脳活動だ。

 さて、一息つくと、どうも足元が軽い。地に足がついていない感覚だ。

 「ふわふわする」とGoogleに入れると、色々な病気の可能性がずらっと候補に上がる。どうも、お悩みの方は多いらしい。


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 もし、病気として治療するというほどでもないなら、自分を癒やす手段を一つみつけている。それは、動物的で、本能的な行為をするということだ。五感、とくに嗅覚に働きかけるのがいい。

 そういうわけで、重い匂いをかぐ。例えば根の香りであるベチバーや、暗渠を思わせるパチュリのエッセンシャルオイル。これらの香りを配合した香水もあるが、それでは物足りなかった。

 

 今夜は、パチュリの匂い。濡れた落ち葉と、地下水を思わせる暗いトーンだ。お世辞にもお洒落にまとえる類いものではないけれど、ふぅっと息をつける。

 頭ばかり働かせると、どうも意識が高くなりすぎる気がしている。時折、動物であることを思い出す時間をつくろう。そんなことを考えた、梅雨明けの夜であった。


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