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『メイキング文化人類学』読書ノート三章

cf.文中に機能主義とあるが、原義との繋がりがわからない。
行動主義(泣いている=悲しい)<->解釈主義(泣いている=悲しいとは限らないから解釈が必要だ)
同一説(心=脳)<->平行説(心と脳はコインの表と裏)
タイプ同一説(心の悲しい=脳の悲しい)<->トークン同一説(悲しいは一人ひとりの脳の状態は違う)
機能主義:同一説と行動主義の矛盾を解消、心はソフト脳はハード。
機能主義:刺激->心と脳->行動

第3章 村のなかのテント
     ― マリノフスキーと機能主義[浜本 満]

1マリノフスキー日記
・青年の名前はブロニスラフ・マリノフスキー。人類学におけるフィールドワークの価値を確立しその最初のお手本を示した人。機能主義理論の提唱者として、人類史に不滅の名を刻むことになる。

2重点研究としてのフィールドワーク
・リヴァーズは人類学調査の手引書である『人類学質疑問答』の一九一二年改訂版および翌一九一三年の論考のなかで、自分がおこなってきたタイプの広域調査とは異なる「げんていされた地域に対する重点研究」の必要性を説いている。
・この「重点研究」をはじめて実地に推し進めることになったのがマリノフスキーに他ならない。思いがけない、いわば強いられた長期の滞在がそれを可能にした。日記を読むと、彼が『人類学質疑問答』を携行し、折に触れてそれを参照しているのがわかる。

3現地での社会理解
・このようにちょっと立ち止まって考えてみると、どこかへ実際に行ってみることと、ある社会や文化を理解することとの間の自明な関係は、たちどころに揺らいでしまう。これが自明に思えるのは、ある社会や文化を理解するとは、どういうことであるのか、何を知ることなのかを、われわれがすでに知っていると思っているかぎりにおいてである。
・注意すべきは、マリノフスキーの時代には、かならずしもそれはまだ明確になってはいなかった。むしろ彼らこそが、社会や文化を理解するとはどういうことか、何をどのように知ることがそれに当たるのかを、具体的な実践として示しつつあったのである。

4日記におけるフィールドワーク
・日記の裏側に透けて見えるのは、むしろ体調不良や無気力、孤独、故郷に置き去りにしてきた者に対する思い、性の衝動、こうしたさまざまな悩みに苦しみながらも、あるいはまるでそうしたものを振り払うかのように、「日常業務」として、調査の仕事に打ち込むマリノフスキーの姿である。
・彼がリヴァースらが提唱した「重点研究」を、ほとんど禁欲的なまでの真面目さでみずからの課題として遂行していたことは明らかである。結局彼はトロブリアンド諸島の住民について、合わせると二千ページを優に超える数々の書物を書くことになるのであり、それを可能にした情報の質や量において、彼の調査が不十分なものであったと非難することなど、とてもできそうにもない。しかし、もしそうであるなら、重点研究の実践の過程で頻繁に彼を襲う失意や憂鬱、苛立ちや無力感は何を意味しているのだろうか。

5理想化されたフィールドワーク
・トロブリアンド諸島についての最初の著作『西太平洋の遠洋航海者』はマリノフスキーにとっての理想のフィールドワーク像がもっとも明瞭に自信をもって描かれた著作である。
・白人の社会から切りはなされ、たった一人で土地の人々の社会に参入していくという、このフィールドワーカーにとっての困難な「通過」は、しかし通過儀礼が一般にそうであると考えられているように、マリノフスキーにとっても新たなすばらしい能力を約束してくれるものであった。
・たった一人の調査者が村のまっただなかで手に入れるポジションは、あたかも彼にパノプティコン、一望監視の特権的な眺望を与えてくれるものであるかのように描かれる。
・このフィールドワークの魔法が、われわれの目のちょっと奇跡のような離れ業に見えるとすれば、マリノフスキーが描き出す調査者の資質も、見ようによってはいささか現実離れしているかもしれない。

6対照
・『遠洋航海者』のなかに描かれているこの理想的なフィールドワーク像と日記のそれとの間には、さまざまなずれが見出される。
・しかしなんといっても決定的な違いは、フィールドにおける知識獲得の経験が帯びているまるで正反対と言ってよい色調にある。『遠洋航海者』における、一種の全能感といっても過言ではないほどの、対象世界に対する理解達成の瞬間は、日記のなかにはどこにも見出せない。

7「重点研究」の夢と現実
・それは社会や文化を、ちょうど博物学における種のように、それが生きて活動している現場で、さまざまな角度から観察できる一つの全体性としてとらえていた。しかしその全体性がどのようなものであるかについては、それは何一つ具体的なイメージを与えていなかった。
・「すべてを」という命令に忠実に従おうとすればするほど、意味不明な細部が増殖し、手に入るはずの全体性は見えてこず、自らの営み自体が意味を喪失する危険にさらされる。
・機能主義、あるいはもっと根幹をなす新しいものの眺め方は、単に社会や文化についての新しい考え方である以上に、ばらばらに解体する危険に脅かされたフィールド経験をとりまとめるものであった。

8機能主義
・機能主義の眼目とは、社会や文化を構成する諸要素が、ばらばらに存在するのではなく互いに関係し合って全体を作り上げており、その全体のなかで一定の役割を果たしているという考え方である。
・機能主義が人類学における中心的パラダイムとしてしっかり根をおろした後は、特定の機能主義理論本体が批判され、破棄された後も、この見方そのもの、諸要素が相互に密接に関係し合った全体という捉え方そのものは、人類学的探究のほとんど反省以前の前提として定着した。
・しかし機能主義的全体観は、その部分的知識を透かして全体があたかも把握できるかのような架空のパースペクティヴを拓くのである。
・読者は、調査者の限りある知識、部分的理解こそが、全体への眺望を与える鍵であると悟る。
・それは、単なるフィールド経験によってもたらされたものではない。むしろフィールド経験を救済する機能主義的転回の産物だったのである。

2022/09/22 11:56

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