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「コミュニケーション」がゲシュタルト崩壊する

2012-13 Nothern Lighjts Masterclass を受けた時、
“Photography is Communication Language.”
であるならば、というところから始まった。
その一方で
“写真は記録。”
という言葉がある。
“広義”という言葉において、コミュニケーションと記録は混ぜ合わせることは可能なのだが、元来はちがうものに保坂は考える。

しかしよくよく考えると、シャノンの通信理論的には“記録”と“コミュニケーション”の差はない。
シャノンならば、記録は未来への通信と考えられるからだ。

まさに“メディアはメッセージ”なのだが、同時にただ通信の雑音≒エントロピーを減らす行為をメッセージで言ってもいいのかな。
と「惑星ソラリス問題」として考える。
亡くなった妻を延々と送り続ける、惑星ソラリスはコミュニケーションをしているのか?

つまりグライスの協調の原理/会話の公理で考えると、“記録”は“コミュニケーション”であるのか危うくなる。

記録とコミュニケーション、さらに“芸術”を加えた三体運動にすると、価値創造の秘密がわかるんじゃないかと掘っている。
しかしコミュニケーションを考えれば考える程、ゲシュタルト崩壊しはじめる自分がここにいる。

2022/03/19 16:31

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